山田将司(THE BACK HORN)

山田将司(THE BACK HORN)

自分の考え方ひとつで
世界なんか変えられる

デビュー前に気にかけてくれた人はいましたか?

1999年に今の事務所の前の社長と知り合ったんですけど、今思えば“よくこんな俺らを拾ってくれたな”と思います。俺らが19、20歳だから社長は当時40歳くらいなんですけど、俺は今42歳なので、このくらいの歳の時に20歳も年下の連中に“一緒にやろう”って声をかけるなんて。そしたら“俺らまだインディーでやりたいんで、メジャーはいいです”なんて言われて、“じゃあ、お前らのために事務所を作ってやるから”と今の事務所ができたんですよ。それが全部の始まりですね。

インディーズでやりたかった理由は?

まだ上京したての田舎者だったっていうのもあるし、バンドとして固まっていないのにメジャーに行っても脆いと思ったから、もっと下積みとしてインディーズでやりたかったんです。

その後、2001年4月にシングル「サニー」でメジャーデビューされますが、いざメジャーの世界に入って環境が変わる中でどんなことを思っていましたか?

デビューしたからって変わることは特になく、曲を出すたびに昔からの知り合いに“丸くなったな”と言われることが増えていきました。でも、自分らはインディーズの頃から変わっていなくて、思考はTHE BACK HORNというバンドに対して潜り続けている時期でしたね。インディーズの流れを引き連れていたというか、デビュー直前にベースが抜けていることもあって、バンド内は結構混沌としていたんです。真冬で雪が降る中、スタジオの大きい窓からそれを見ながら、大して会話もせずに曲を作り続ける日もあって、それでできたのが1stアルバム『人間プログラム』(2001年10月発表)ですね。

潜ってきた時期から上がってこれたのはいつ頃でした?

個人的に思うのは2005年くらいですね。フィジカル的な話になりますけど、運動をすることに意識が行き始めたのがその頃で、それまでは朝まで酒を飲んで、タバコを吸って、ふてくされた生活しかしていなかったんです。でも、「カオスダイバー」(2006年発表アルバム『太陽の中の生活』収録)、「ブラックホールバースデイ」(2005年12月発表シングル)、「初めての呼吸で」(2006年2月発表シングル)をニューヨークでレコーディングした時に、そのままロンドンでライヴをするはずが現地の手違いでできなくなって、スペインでライヴをして、全部で3週間くらい海外に滞在していたんですけど、その間にすごい太ったんですよ。で、日本に帰ってきてからランニングを始めたのをきっかけに意識が変わってきたんです。前を向けるようになったというか、ネガティブなものが少しずつ消えていく感じがあって、病的に走りまくっている時期がありました。そしたら曲に向かう意識も、お客さんに対する意識も変わって、運動を始めただけだけど、いろんなことが良いほうに向かっている気がして、“自分の考え方ひとつで世界なんか変えられるんだな”って思いましたね。

OKMusic編集部

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