没後20年メモリアル「マエストロ朝比
奈隆 永遠なれ!」〜 音楽プロデュー
サー吉川智明に聞く

指揮者 朝比奈隆が亡くなったのが2001年12月29日。まもなく没後20年を迎える。
戦後の焼け野原から54年に渡って大阪フィルを指揮してきた朝比奈隆の人気は今も変わらず、CDも売れ続けていると聞く。これまでに発売されたベートーヴェンの交響曲全集は8回を数え、あのカラヤンの4回を大きく上回る世界記録を誇っている。
一方、大阪フィルの楽団員の中で、朝比奈隆の指揮を経験していない者が6割強を占めるのが現状だとか。大阪フィルのシェフも、朝比奈隆亡き後、大植英次、井上道義、尾高忠明と変わり、朝比奈サウンドと言われた強烈な個性を持つ大阪フィルのサウンドも、洗練されたシャープなものへと形を変えた。
20年という歳月は、人が成人する長さ。朝比奈隆が亡くなって以降、クラシック音楽界も随分と変わった。
尾高忠明指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団    (c)飯島隆
朝比奈隆とも深く交友を重ね、亡くなった後も関西のクラシック音楽シーンを見続け、現在も「クラシックを聴くんやったらコレやで!」とFM番組で様々な提案をし続けている、音楽プロデューサー吉川智明。
目前に迫った朝比奈隆 没後20周年イベント「マエストロ朝比奈隆 永遠なれ!~没後20年メモリアル~」の見所、聴き所や、朝比奈隆との個人的な思い出など、あんなコトやこんなコトを吉川智明に聞いた。

FM大阪「お喋り音楽マガジン くらこれ!」でお馴染み、音楽プロデューサー吉川智明  (c)H.isojima
―― 朝比奈隆の没後20年を記念して「マエストロ朝比奈隆 永遠なれ!」が開催されます。実行委員会のお一人、FM大阪のクラシック番組「お喋り音楽マガジン くらこれ!」(毎週日曜日 深夜25時15分〜)を長らく続けて来られている吉川智明さんは、どういう思いでこのイベントをやろうと思われたのでしょうか。

朝比奈先生への感謝の気持ちと、先生の事を後世に語り継いでいこうという残された者の使命感、そして大阪人特有のいちびり精神からですね(笑)。2017年に大阪フィル70周年を記念して、大阪中之島図書館で「大阪フィルと朝比奈隆展」を開催しました。その後、今回のイベント実行委員会のメンバーと「もう一度やりたいね。次回、やるとしたら先生の没後20年かなあ。」と話し合っていました。多くの人に、朝比奈先生の偉業を知って欲しいと思います。
「マエストロ朝比奈隆 永遠なれ!」実行委員会のメンバー(前列右端が吉川智明)  (c)H.isojima
―― イベントとしては、どんな中身となっていますか。
「観よう」、「語ろう」、「聴こう」と、3つに構成されています。「観よう」では指揮棒や衣装、スコアなど貴重な品々を展示するコーナーを開設します。「語ろう」では、朝比奈先生の指揮者としての魅力、とりわけオペラへの取り組みについて、パネリストと一緒にシンポジウムを行います。そして、「聴こう」では、会場の関係で小編成にはなりますが、大阪フィルや、朝比奈先生と馴染みのある演奏家によるコンサートを開催します。展示は自由にご覧いただけます。シンポジウムは500円、コンサートは3000円となっています。他にもテクニクスの協力で、朝比奈先生の音源を試聴できるオーディオルームも開設する予定です。
―― このイベントは、大阪フィルの前身、関西交響楽団時代に数多く共演した名ソプラノ 笹田和子さんの生誕100周年も兼ねたカタチで行われます。
はい、関西が生んだ偉大なソプラノ笹田和子さんの事も、この機会に知って頂きたいと思っています。笹田さんと云えば、関西交響楽団の第1回定期演奏会で共演されたのを始め、何度も朝比奈先生の指揮で歌われていますが、同時に2億円を大阪フィルに遺贈されたという意味でも、大阪フィルにとっては恩人です。当日は笹田さんの愛唱歌を、関西を代表する歌手の歌で聴いていただき、遺贈された運営資金で購入したチェンバロで、バッハ/グノーのアヴェマリアや、大阪フィルでJ.S.バッハ「ブランデンブルグ協奏曲 第5番」を聴いていただきます。
―― 吉川さんは、朝比奈さんと色々な形で親交が有ったと伺っています。初めて朝比奈さんを特別な存在と感じられたのは、いつ頃でしょうか。
FM大阪に入社したのが1972年。入社した年の6月にフェスティバルホールで、大阪フィルの第100回定期演奏会を記念してマーラーの交響曲第8番「一千人の交響曲」が演奏されました。それをボックス席で聴くことが出来て、そのスケール感に度肝を抜かれました。舞台上にひしめき合うように並ぶ、大編成のオーケストラと大合唱団を(本当に1000人以上の出演者だった)、朝比奈先生が一人で指揮をしている姿をみて、それまでとは印象が変わりました。一人 が一千人をまとめようと指揮をしている!本当に凄い光景でした。
没後20年を迎える指揮者 朝比奈隆(1997_09_09)     (c)飯島隆
―― 大阪フィルをご覧になられたのは、その時が初めてだったのでしょうか。
いえ、中学校の頃からクラシックは大好きでしたし、大阪フィルも聴いていましたが、「一千人の交響曲」で印象が変わりました。当時は、1970年の万国博覧会を前後して、次々と海外のメジャーオーケストラが来日を果たしていた頃です。その時代は大阪には大阪フィルしかなく(1970年に関西フィルの前身、ヴィエールフィルが出来た)、雰囲気的に大阪フィルも朝比奈先生も、地元のオーケストラとしか見ていなくて、正直言って、それほど凄いと思った事はありませんでした。
72年の「一千人の交響曲」の後は、朝比奈先生の追っかけに変わっていました。そうこうしていると、1975年の大阪フィル初めてのヨーロッパツアーに向けた市民運動のような動きが起こり始めます。あの頃は、大阪フィルこそ自分たちの街のオーケストラ!という意識が、今よりも市民感情として強かった時代です。「大阪フィルの初のヨーロッパツアーを成功させよう!」と、落語家の桂米朝さんが音頭を取る形で、凄い勢いで、寄付が集まって行きました。

没後20年を迎える、大阪フィル創立名誉指揮者 朝比奈隆 (98-7-10)     (c)飯島隆
――その時の状況は私も覚えています。結局、75年の大阪フィルのヨーロッパ公演は大成功でした。色々なエピソードが、様々な本に掲載されています。

聖フローリアン教会でのブルックナーの交響曲第7番の奇跡の演奏ですね。第2楽章後に偶然鳴った17時を告げる修道院の鐘のハナシや、終演後の鳴りやまない拍手、音楽学者ノヴァークが終演後に訪ねて来たハナシなど、エピソードは沢山あります。しかし、招聘元からの本来のリクエストが、マーラーの交響曲第6番「悲劇的」だった話は、意外と知られていません。
―― え、そうでしたっけ。ブルックナーが眠る聖フローリアンで、ブルックナーの7番だから上手くハナシが繋がりましたが、マーラーの「悲劇的」ではその後の展開がなかったかもしれません(笑)。
そう思います。そもそも「悲劇的」ではサイズ的にも、ハンマーなどの特殊楽器も多く、難しかったので、ブルックナーの7番に替えて欲しいと説明をして、それが通ったと聞いています。もしも、マーラーの「悲劇的」でヨーロッパに行っていたら、その後の朝比奈ブームなんかも無かったかもしれません。そう考えると、朝比奈先生にとってのターニングポイントだったかもしれませんね。
朝比奈隆、カーテンコールの風景(2001_09_24)    (c)飯島隆
―― そのヨーロッパ公演を特集した番組を、FM大阪が放送したんですね。
はい。75年の10月がヨーロッパ公演で、その後、ライブテープを入手しました。その中には、ブルックナーの演奏は無くて、シューマンの交響曲第4番やウェーバーのクラリネット協奏曲のライブ演奏をメインに、朝比奈先生と名物新聞記者との対談なんかも収録して流しました。「ニューイヤーコンサート1976 大阪フィルヨーロッパ公演を聴く」という番組で、翌年のお正月にオンエアされました。この番組を作ったことが、全ての始まりです。他では作れない朝比奈先生の番組を作ってやろうという気持ちに火が付きました。
1983年には、朝比奈隆音楽生活50周年を迎えるタイミングで、記念番組を作りたいと制作部長に直談判しました。企画から取材まで、制作全部を自分でやるので、やらせて欲しいと頼み込んで、文化庁芸術祭特別番組「親父と息子たちのシンフォニー」が完成。この時に取材してラジオで紹介出来なかった話や、面白いエピソードなんかが沢山あり、これをファンの皆様に紹介出来ないのは本当に勿体無いと思い、後日「親父の背中にアンコールを 〜 朝比奈隆の素顔の風景」という本になって、大阪書籍から出版されました。著者は番組の構成もやって頂いた響敏也さんです。
―― あの本は、数ある朝比奈本の中でも、群を抜いて面白いですね。
この番組作りで、朝比奈先生とは随分親しくさせて頂くようになりました。ある時先生が「君は書道をしているようだが、私の名前を書いてくれないか」と仰るのです。半紙に朝比奈隆と書いて差し上げたら、それで練習をされたようです。そこから、先生の書かれる字が、変わったように思います。これは密かな自慢話です(笑)。この時の番組と、後に出版された本も、先生はとても気に入って頂いたようで、響さんと僕と、大阪書籍の荒巻隆社長とで、先生が一席設けてくださいました。その席で、1987年の4月27日、大阪フィルの40周年記念として、マーラー交響曲第2番「復活」をやるとお聞きしました。それを聞いて、特番を作ろう!それが出来るのは僕だけだ!とピンと来ました。そこから、走り回って、インタビューやエピソードを集めて作ったのが、特別番組「大阪フィルの40年 なにわの夢のラプソディ」です。桂米朝師匠を語り手にした、大阪フィルの40年を振り返る番組。これが1987年6月にオンエアとなりましたが、民放祭の作品コンクールで第2位になって、その年の10月に再放送されました。
―― それらが、朝比奈さんから吉川さんに宛てられた、感謝の気持ちを綴られたハガキですか。
そうです。先生はお忙しいのに、とても筆まめで、何かあると必ず御礼状などを色んな方に送られていたそうです。

なにわのヨッサンの愛称で人気の、音楽プロデューサー吉川智明  (c)H.isojima
―― 実は、この番組のテープを、先にお借りして聴かせて頂きましたが、これは今となっては、とても大切な番組ですね。米朝さんの進行も面白いですし、朝比奈さん本人が語る創立当時の苦労話なども、本では読んだことがありましたが、初めて聞きました。ヨーロッパ公演や、1972年の「一千人の交響曲」、1987年のマーラー「復活」の音源が聴けるのも貴重ですし、元楽団員やヴァイオリニスト辻久子さんなど、多くの方のメッセージが聞けて、吉川さんの努力の跡が見てとれました。この番組がFM大阪で、34年振りに再放送されるそうですね。

はい、そうなんです。2021年10月24日(日)19時から、メモリアル アーカイブ スペシャルという事で、「マエストロ朝比奈 永遠なれ!」として「大阪フィルの40年 なにわの夢のラプソディ」が放送されます。これ、今聞いていただいても絶対に面白いと思います。コチラの記事は、残念ながらオンエアに間に合わないかもしれませんが、「radiko」などで、よかったらお聴きください。
「大阪フィルの40年 なにわの夢のラプソディ」を聴き、吉川智明に宛てたお礼状  (c)H.isojima
―― 朝比奈さんが凄いと思うのは、吉川さんのように、何気に発した言葉をカタチにする人が周囲にいる事です。
それは、先生の人間的魅力に尽きると思います。「一千人の交響曲」で、一千人を手中に収めるカリスマ性、絶対的な指導力がある反面、ラジオの収録でのことですが、対談相手の新聞記者さんと、いくら待てども先生が来られないので電話をかけると、「明日じゃなかったのか!悪い悪い!」といった感じで、抜けている所もあって…。そんな所がとても人間的で、それが逆に魅力になる方です。

にこやかに微笑む、朝比奈隆(1994_07_09)     (c)飯島隆
―― 朝比奈さんの現役時代は、若い追っかけのような男性ファンも多かったと記憶しています。とにかく朝比奈の事を知りたいという、あまりクラシックの世界ではみないような熱烈なファン。彼らの中には今も尚、朝比奈ファンを自認していて、色んなジャンルで活躍されています。

そうでしたね。しかし、先生が亡くなって20年が過ぎました。大阪フィルの中にも、朝比奈先生を知らない世代の方が、随分上回っていると聞きます。やはり、この機会にしっかりと朝比奈先生の事を、伝えて行く事が僕達の役目だと思います。
オーケストラが退場した後も、拍手喝采に応える朝比奈隆(1997_11)     (c)飯島隆
―― 吉川さんはずっと、関西のクラシック業界で頑張っている人などを紹介されて来ました。
そうですね、関西のクラシック音楽シーンを語り継いで行こうと、2003年から「くらこれ!」を続けています。FM大阪入社以来、人にインタビューすることを生業としてやって来ましたし、そのインタビューで知り合った人達と、かけがえのない関係性を築き上げて来ました。今回の朝比奈先生の没後20年イベントでも、たくさんの方に協力をいただいています。この場を借りて、感謝の気持ちを伝えたいです。
インタビューを通して知り合った皆さんとの関係は財産です  (c)H.isojima
―― 何か楽器など、演奏されていたのでしょうか。
特に楽器はやっていませんが、小学校から合唱をやって来ました。夕陽丘高校時代は、放送部と合唱部を掛け持ちでやっていました。学生時代になって、放送を仕事にやって行こうと決めてからは、アナウンス学校に通い、FM大阪でアルバイトをしていました。その事が、FM大阪入社へと繋がっていきます。
―― そのお話をお聞きして、やはり人の人生って、偶然のようで必然なんだなと思いますね。吉川さんが朝比奈さんと知り合われたのもそうですし、今もFMだけでなく、色々なイベントを企画して、自分で司会進行をされているのを見ていて、そう思います。
確かにそうかもしれませんね。誰も信じてくれませんが、小学校の頃は内気な子供で、人前で挨拶が出来なくて、すぐ泣く子供でした。そんな子供が、今では話すのが仕事です。38歳の時に、会社から東京転勤を命じられましたが、色々考えた末、断りました。これでサラリーマン人生は終わったと思いましたが、意外にもそこから大きな番組をやるようになりました。東京に行っていたら、今の自分はありません。朝比奈先生の、聖フローリアンのブルックナーのように、私にとってのターニングポイント、必然だったのかもしれませんね。
拍手喝采、ブラヴォーの歓声に包まれて(1999.11_19)     (c)飯島隆
―― では最後にメッセージをお願いします。
はい、僕にとっては本当に大切な朝比奈先生の没後20年のメモリアルイベント「マエストロ朝比奈隆 永遠なれ!」に、ぜひお越しください。朝比奈先生に所縁のある音楽家の中から、林誠さん(テノール)、田中勉さん(バリトン)、岡坊久美子さん(ソプラノ)、田中友輝子さん(メゾ・ソプラノ)、禅定佳隆さん(ピアノ)、そして朝比奈先生の大ファンだという、世界的なバンドネオン奏者の小松亮太さんが出演されます。演奏は、小編成の大阪フィルハーモニー交響楽団です。大阪が世界に誇る朝比奈先生のことを、皆さんと一緒に思い出し、共に語り合いたいと思っています。会場でお待ちしています。
音楽プロデューサー吉川智明と朝比奈隆の2ショット
―― 吉川さん、長時間ありがとうございました。
取材・文=磯島浩彰

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