悲劇の恋物語で芸術家をとりこにした
シェイクスピア『ロミオとジュリエッ
ト』

知られざる音楽と絵画の関係を紐解いていくこの連載。今回はシェイクスピアの名作劇『ロミオとジュリエット』からインスパイアされて生まれた絵画と音楽をご紹介していきます。

19世紀中ごろ、シェイクスピア作品は本国イギリスからヨーロッパ全体に広まっていきます。特に、行き違いにより悲劇的なエンディングをむかえる『ロミオとジュリエット』は、そのドラマ性から絵画・音楽などさまざまなアートのモチーフとなりました。
物語の名場面を描いた絵画たち、そして悲劇の物語をオーケストラ曲として壮大なドラマに仕上げたチャイコフスキーの音楽と、バレエ音楽として描いたプロコフィエフの作品をのぞいていきます。それぞれのユニークな作家性によって表現された『ロミオとジュリエット』をお楽しみください。
絵画でたどる『ロミオとジュリエット』
まずは物語のあらすじをざっくりとお話していきます。場面ごとに描かれた絵画作品とともにお楽しみください。
舞台はイタリア・ヴェローナ。モンタギュー家とキャピュレット家は長いあいだ憎しみ合っていました。ところがモンタギュー家の息子ロミオとキャピュレット家の一人娘ジュリエットは恋に落ちてしまいます。
原作では13歳(!)と設定されているジュリエットの、子どもと大人の間のようなニュアンスの表情を描いたのが、イギリスの画家ウォーターハウスです。ジュリエットは物語の舞台設定にあわせて、15世紀ごろのイタリア・ルネサンスふうの横顔をとらえる肖像画のスタイルで描かれています。
ウォーターハウス『Juliet/The Blue Necklace』(出典:christie’s)
ロミオとの出会いに胸を躍らせるジュリエット。そこでこの名セリフが登場します。
「ああ、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」
バルコニーにたたずみ、愛するロミオが仲の悪いモンタギュー家の人間であることを嘆いて独り言を言うシーンです。これを聞いたロミオは、バルコニーに駆け上がって結婚しようとプロポーズします。情熱的なこのシーンがそのまま描かれているのがこちらの絵です。
フォード・マドックス・ブラウン『ロミオとジュリエット』(出典:wikipedia)
1870年のこの絵は、ラファエル前派のグループと親しかった画家ブラウンの作品です。鮮やかな赤が、ふたりの恋の炎かのようです。こちらのジュリエットはウォーターハウスの絵に比べて大人っぽく描かれています。
さて、結婚の誓いを立てたふたりですが、ある日、喧嘩のもつれでロミオはジュリエットのいとこ(ティボルト)を殺してしまい、街から追放されてしまいます。ロミオとジュリエットの結婚を応援する神父ロレンスは「ジュリエットに仮死状態になる薬を飲ませ、彼女が死んだと嘘をついてロミオを呼び戻し、そこでジュリエットが目を覚まし、ふたりを逃がす」という計画を立てます。
知らせを受けロミオはヴェローナに飛んで戻ってきます。仮死状態で棺の中にいたジュリエットを見つけたロミオは、「最後の抱擁だ」と彼女を抱きしめます。そして彼は彼女の死を信じ、後を追って自害するのです。
ロマン派の巨匠ドラクロワはこの悲劇的な抱擁のシーンを描いています。力なく胸がはだけたジュリエットと白いドレスのドレープが、いかにもドラクロワらしいタッチです。
ドラクロワ『キャピュレット家の墓前のロミオとジュリエット』(出典:wikipedia)
目を覚ましたジュリエットは横で死んでいるロミオを見て、哀しみのあまり自らに短剣を突き刺し、命を絶ちます。あまりにも悲劇的な若いふたりの死を目の当たりにしたモンタギュー家とキャピュレット家は、不毛な争いをやめ和解する、という結末です。
ロマン派芸術の大家であるドラクロワはシェイクスピア作品を生涯通して好み、『ロミオとジュリエット』の他にも『ハムレット』『オセロー』なども絵にしています。大胆な色彩と筆遣いであらゆるドラマを絵にしたドラクロワと、悲喜こもごもの人間ドラマを描いたシェイクスピア劇はとても相性が良かったといえるでしょう。
音楽で楽しむ『ロミオとジュリエット』
さて、音楽ジャンルでもこの悲しき恋物語は素晴らしいシナジーを生みだしました。チャイコフスキーとプロコフィエフによるそれぞれ違った『ロミオとジュリエット』をご紹介します。
悲劇の音楽ドラマ チャイコフスキー『ロミオとジュリエット』
チャイコフスキー作曲 幻想序曲『ロミオとジュリエット』
教会音楽のコラールのような厳しさで幕が開き、重なってくる弦楽器がロミオとジュリエットの悲劇を予感するかのような、哀しみを歌います。オペラなどで導入の役割を持つ「序曲」という名の通り、『ロミオとジュリエット』の愛し合うふたりの恋、二つの家の暴力的な対立、行き違いによって訪れる死、それぞれが凝縮されたイメージとして一つの楽曲にまとめあげられています。
悲劇の中にも、美しい恋心や憎しみ合う人々の様子をいきいきと音で描いています。ドラクロワ同様、チャイコフスキーは『テンペスト』『ハムレット』なども音楽化しています。苦悩や悲嘆を甘い思い出で包み込むかのような音楽は、シェイクスピア劇と良い化学反応を起こしています。
プロコフィエフ バレエ音楽『ロミオとジュリエット』
チャイコフスキーの序曲から約70年後、同じロシアの作曲家プロコフィエフも『ロミオとジュリエット』を創作します。いかにもプロコフィエフらしい斬新な響きと楽しいリズムで場面やキャラクターを描き、バレエにおける音楽の存在感をぐっと押し上げた名作です。
最も有名なのは、携帯電話のCMやドラマで使われているこの曲『騎士たちの踊り』でしょう。重々しい低音が響き、モンタギュー家とキャピュレット家の騎士たちが、互いを威圧しあう場面を表現しています。威厳のあるバレエの振り付けとともにご覧ください。
打って変わってこちらはリズミカルで純粋なジュリエットの音楽『少女ジュリエット』です。こちらはオーケストラの組曲版です。
ロミオと出会う舞踏会の前、活発なジュリエットが登場する場面です。子どものようにはしゃいだり、甘い恋を夢見たり、ころころと変化する様子はジュリエットがまだ10代の少女であることを感じさせます。『ロミオとジュリエット』はバレエ版のほか、管弦楽版、ピアノ・ソロ版も作られており、演奏機会も多いプロコフィエフの人気作です。
どうして『ロミオとジュリエット』は時代を超えて愛される?
シェイクスピアはイギリス・エリザベス女王の治世の時代、1600年前後に多くの劇作品を発表し民衆の間で大流行しました。その後1800年後半ロマン主義時代の到来によって人気が再燃し、一気に音楽化・絵画化が進みました。
彼の死後、芸術はバロック・古典派と続きますが、シェイクスピア作品がヨーロッパで注目されるのは、ロマン主義の時代です。なぜロマン派の芸術家たちにシェイクスピアはこれほど愛されたのでしょうか?
理性を重視した古典主義の逆をいくロマン主義は、形式にとらわれず、人間の感情や想像をえがく芸術です。古典主義には見られなかった恋愛・生死・幻想といったモチーフが好まれ、幽霊や妖精のようなファンタジックなものまで登場するようになるのです。シェイクスピア作品にはそういった非現実的なキャラクターが多く登場します。物語もドラマチックで感性的であり、ロマン派の芸術家たちをとりこにしました。
たとえば『ハムレット』の登場人物・心を病み川で溺死した少女オフィーリアは、その美しくも狂気じみた死に様が好まれ、あらゆる画家がこぞって描きました。『ロミオとジュリエット』の若いカップルが行き違いゆえに自殺してしまうという結末も、衝撃的ではあるものの、愛ゆえに訪れる悲劇の死が美しくもあります。このドラマこそが、ロマン派の芸術家たちの想像力をかきたてたのでしょう。
チャイコフスキーは『ロミオとジュリエット』の作品性についてこのように語っています。
「これほど私の音楽的気質に適したものはあり得ないでしょう。王もいなければ、行進曲もない。一言で言えば、グランド・オペラの通常の付属物は何もないのです。」
1878年5月25日 チャイコフスキーから弟への手紙より
王や行進曲もない、というのは『ロミオとジュリエット』には権力者たちの争いも、伝統的なしきたりも登場しないということです。若い男女がただまっすぐ愛し合うがゆえに死の世界まで追いかけていってしまう、痛ましい恋物語です。
バレエ音楽を書いたプロコフィエフも「叙情的な主題に興味がある」と言い、『ロミオとジュリエット』を題材に選んだそうです。彼らが好んだのは、そこにある「人間ドラマ」だったのではないでしょうか。愛と悲劇の純粋な物語に多くの芸術家が共鳴したはずです。そして、激しすぎるほどのドラマを描くことを得意とした画家ドラクロワとも響き合ったのです。
『ロミオとジュリエット』は、「感性」を基軸にしたロマン派の芸術家たちを魅了し、そして現代でも、さまざまな演出家によって新たな設定と解釈をもって上演され続けています。シェイクスピアが描いた人間たちの姿は何百年たっても、私たちに訴えかけ続けるのです。
絵画と音楽を通して『ロミオとジュリエット』の世界を深く掘り下げてみました。難解に思われるシェイクスピア作品も、実は多様な人間たちのドラマです。ぜひ音楽や絵画とともに楽しんでいただければと思います。

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