桑田佳祐が初のBlue Note Tokyoから
の配信ライブで見せた、“つなぐ”機
能が際立ったステージ

桑田佳祐「静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo~」

2021.3.7 Blue Note Tokyo
桑田佳祐の配信ライブ『静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo~』を観て感じたのはとてもシンプルなことだった。音楽とは人と人をつなぐもの、そして過去と現在と未来をつなぐものであるということだ。その“つなぐ”機能が際立った素晴らしいステージだった。
そもそもBlue Note Tokyoで桑田を観るのは(画面越しではあるけれど)特別な体験だ。Blue Noteはニューヨークに本店を持ち、日本では1988年に東京・南青山にオープンしてすでに33年目に突入している老舗のジャズクラブである。この音楽の殿堂は、音楽の歴史が堆積した場所と言ってもいいだろう。サザンオールスターズゆかりの地(青山学院大学)からも近いが、桑田にとってBlue Noteでのライブは初めてとのこと。アリーナやスタジアムではない小さな空間でのライブを、配信で体験できるのは贅沢かつ貴重な楽しみとなった。
1曲目からいろいろ“つながりまくり”だった。オープニングナンバーはティン・パン・アレーの「ソバカスのある少女」。この入り方には意表を突かれた。この曲は1975年にリリースされたティン・パン・アレーの1stアルバム『キャラメル・ママ』収録曲だ。ティン・パン・アレーは細野晴臣鈴木茂林立夫松任谷正隆という日本の音楽のパイオニアたちが勢揃いした画期的なグループだった。桑田がどういう意図でこの曲を選んだのかはわからないが、この日のステージの根底から日本の音楽の歴史へのリスペクトを感じとった気がした。そしてまた、純粋にこの曲の持っている軽やかさと温かさは『静かな春の戯れ』の導入部にふさわしかった。
おそらくはBlue Note Tokyoでライブを行うことを起点として選曲したのだろう。この場所の持っている空気、音楽の歴史、春という季節、そしてコロナ禍という状況を踏まえて、練り上げた選曲なのではないかと推測する。選曲、構成、映像、花や灯りを使った演出まで、どれもが見事だった。時には月が見えたり、春を感じたり、頭上をヘリコプターが通過するのを感じたりする演出もあった。
桑田佳祐というミュージシャンの持っている音楽性とエンターテインメント性をギュッとライブハウスサイズに凝縮して、“静かな”という言葉をつけることで、パーソナルな感覚、ひそやかな感覚、内省的な視点が加えられたステージとなったのではないだろうか。
気心の知れたメンバーを中心にした9人編成のバンドでの演奏だが、歌からいつもとは違う表情が見えてくるところも新鮮だった。「孤独の太陽」もこの時期にこの場所でこの編成だからこその歌と演奏が染みてきた。孤独との距離感がどこか違う。何かが違う。今の桑田が歌うことで、孤独すらも生きていく上で大切な一つのピースとして響いてきたのだ。
音楽によって、“人と人とがつながることのかけがえなさ”を実感する瞬間もたくさんあった。「DEAR MY FRIEND」「こんな僕で良かったら」「SMILE~晴れ渡る空のように~」「明日晴れるかな」などなど、演奏者と聴き手とが時空を越えてつながっていく。時折、スタッフの姿も映し出されていたのだが、スタッフは観客代表でもあるだろう。画面から桑田とバンドのメンバーとスタッフのつながりが見えてくるのはとても心地良かった。
ビッグバンド風のアレンジが特徴的な「こんな僕で良かったら」もBlue Note Tokyoにぴったりなナンバー。観客は入っていないものの、Blue Noteで歌うことによって、シンガーとしての桑田の音楽の本能、ブルースフィーリングやジャジーなセンスが全開となっていると感じた。「愛のささくれ~Nobody loves me」「簪 / かんざし」「SO WHAT?」「東京ジプシー・ローズ」などでの情念や衝動を解き放っていくような歌声は“静か”なんてもんじゃない。『静かな春の戯れ』と呼ぶにはあまりにも、激しく狂おしくせつなく響いてきた。
歌は人と人をつなぐものであると同時に、過去・現在・未来をつないでいくものであることを感じる瞬間がたくさんあった。桑田が歌うことで、遠い過去の悲しみや痛みが今の瞬間に“解凍”されて、たった今こみ上げた感情のように、聴き手の胸を揺さぶっていく。歌とは悲しみも喜びもそのままの状態で保存する瞬間冷凍装置のようなものでもあるのではないだろうか。「グッバイ・ワルツ」「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」「東京」などでも、過去と現在とが絵の具をまぜるようにミックスしていく感覚を味わった。
浅川マキの「かもめ」、加藤登紀子長谷川きよしの「灰色の瞳」、沢田研二の「君をのせて」のカバーでは名曲を歌いつないでいく意識のようなものも感じた。いい歌詞といいメロディは普遍的なものである。特にこの日、際立っていたのは歌詞。「ソバカスのある少女」は松本隆、「かもめ」は寺山修司、「灰色の瞳」の日本語詞は加藤登紀子、「君をのせて」は岩谷時子作詞。それらの曲の歌詞と桑田のオリジナル曲の歌詞とが共鳴しあっていると感じる瞬間が何度もあった。
初披露となった「SMILE~晴れ渡る空のように~」は、まるで春を呼ぶ希望の歌のように響いてきた。東京オリンピックに向けて民放が立ち上げたプロジェクト民放共同企画「一緒にやろう」の応援ソングとして作られた曲だが、今のこの時期に強く温かく染みこんでくる。これは希望をつなぐ歌、次世代へとつなぐ歌でもあるのではないだろうか。「Iko Iko」からの「ヨシ子さん」は、ニューオリンズのセカンドラインという音楽的なつながりでの展開。アンコールの最後の3曲「君をのせて」~「悲しい気持ち(JUST A MAN IN LOVE)」、「明日晴れるかな」でも人と人のつながり、過去と現在と未来とのつながりが音楽によって見事に達成されていた。
コンサート会場で聴くのと違って、画面越しという環境は1人で聴くケースも多くなるだろう。画面越しだからこそよりパーソナルに音楽の世界に没入できる面もありそうだ。聴きながら、過去の記憶が蘇ったり、思い出と重なったりする。この『静かな春の戯れ』で演奏された歌の数々が、まるで池の中に小石を投げ入れるように、こちらの胸の中にさまざまな波紋を広げていく。聴き手側をクリエイティブにしてくれるステージでもあったのだ。この『静かな春の戯れ ~Live in Blue Note Tokyo~』を観ることによって、季節と場所とが、音楽の素晴らしさを際立たせる重要な要素であることも再確認した。「またやろうぜ!」という桑田の言葉、画面越しではあったが、しかと聞いた。こんな“戯れ”ならば、夏でも秋でも冬でもオールシーズンOKだ。
取材・文=長谷川 誠 撮影=岡田貴之

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