【INORAN インタビュー】
前作と2枚でひとつの作品として
仕上げたいという気持ちがあった
本を読んだり映画を観たり、
人に会ったりすることと同じ
今作では特にメロディーラインの抒情性に胸を打たれました。切なさがあり、光が差し込んできたかと思えばまた雲がかかってくる、そんなふうに感情が刻々と変わっていくさまが、INORANさんならではのバランスで表されているなと。自然とこうなったのでしょうか?
あの時期に作ったらやっぱりそうなった…ということでしょうね。
80年代のニューウェイヴ的なニュアンスを帯びつつもサウンドメイクは最先鋭という印象を個人的には受けました。冒頭は歪んだギターが吠えていて、そこは90年代感もあり。
ギターは…まぁ、エンディングに向かってまったく入ってなくなっていきますけどね(笑)。“あれ? いつの間にかなくなってる”みたいな。6曲目ぐらいから入ってない(笑)。
確かにそうですね(笑)。さまざまな時代の音楽が入っていて、バリエーションに富んだ作品だと感じる一方で、ルーツへの回帰的な部分もあったりするんでしょうか?
どうなんでしょう? 普遍的なものは普遍的ですからね。サウンドも含めて味というか、フレーズ感とかノスタルジックな音質だったり。自分が生きてきた全ての時代は音として活きてるし、入っているでしょうね。あとは、聴いた人がどれだけいろいろなものを聴いてきているかにもよりますよね。ニューウェイブでも今の時代でリバイブしているものもあるし、サバイブしているものもあるし。
歌詞は『Libertine Dreams』より直接的な表現も増えた気がしたのですが、その点はどうでしょうか?
詞を書いてもらったふたりも一緒に物語を作ってくれているので、小説として前作よりも人物像が明確になっていくところはあったと思うんですよ。例えばAという主人公がどこに行きたいのかを考える時、“どこかへ行こうぜ!”じゃなくて“どこに行きたい?”なのかもしれないし。ストーリーテラーとしての作詞家のふたりがいて、全部の話がつながっているし、明確になっている部分はありますよね。エンディングに向かっていくにつれて。
INORANさんと作詞家のおふたりとのやりとりはどんな感じなんですか? 細かくディレクションされたのか、お任せなのか。
『Libertine Dreams』と基本は変わらなくて、“この曲はこういう感じで、こういうストーリーで”と伝えて書いてもらっていましたね。“人が何を言っても構わないぜ!”というキャラなのか、実は誰も自分のことを分かってくれなくて悩んでる人なのか、そういうキーワードはメロディーと曲を聴いてもらうとともに伝えた上で書いてもらいました。それで書いてもらったものに対しては、修正やエディットすることはなかったです。
その物語はあくまでフィクションなんでしょうか? 私小説ではないにせよ、ある程度はINORANさんの本音が入ったご自身の物語でもあるんですか?
そうですね。だから、これを僕のこれからの物語にしたいと思うんですよ。自分の身につけたいものというか。スタートとか順序は違うかもしれないですけど、これができたことによって自分の物語にしたい。だから、俯瞰的ではないですね。
面白いですね。過去にあったことや経験したことを曲にして残すのではなくて、ご自身の人生のシナリオを先に作るみたいな感じですか?
うん。そういう本を読んだら自分もそういうふうに思いたいとか、“このストーリーのこの感じは自分にはまったくないし、すごいな。自分もこういう生き方をしたい、こういう思考でありたい”という感じですよ。本を読んだり、映画を観たり、人に会ったりすることと同じですよね。
そういう心の作業は、日々を生きる上でのモチベーションを高めるものですか?
そうですね。でも、経験は生きてきた歳の分だけたくさんあるけど、悲しいかな忘れることも多いんですよ。忘れたくないのに。それは心が制御してるからなのかもしれない。つまり、実は忘れたいからなんですよね。忘れないためにはタグ付けをするか、同じようなことでもっと埋めて刷り込むか。だから、こういう詞を依頼するのもストーリーを増やしていきたいからなんですよ。自分の中のものだけじゃ足らないんです。そう思うようになったのはすごく感じる。
外付けハードディスクが増えていくようなイメージでしょうか?
外付けではなく、自分のハードディスクの容量を増やす感じですね。USBとかを付けるところをいっぱい増やしていくというか。自分を形作るものは今までの蓄積プラス、必然なのか偶然なのか出会ったこと。出会ったことや出会ったものをすごく大事にしていて、ある時間の中で行けるところまで行って、いろいろ見てみたいと思ってます。