『没後70年 吉田博展』鑑賞レポート
 世界を旅した山岳画家の木版画約2
00点が集結

「山の画家」とも呼ばれた風景画の第一人者、吉田博による木版画の全容を紹介する展覧会『没後70年 吉田博展』が、2021年3月28日まで、東京都美術館にて開催中だ。
《上野公園》1938年
水彩画や油彩画の分野で早くから才能を発揮していた吉田が、木版画に本格的に取り組むようになったのは49歳。それからおよそ20年にわたる制作期間に、250点ほどの版画を残している。本展では、大正の末から最後の木版画《農家》に至る、最初期から晩年までの作品約200点が一挙に公開される(期間中、一部展示替えあり)。
《農家》1946年
全11章からなる会場には、『日本アルプス十二題』や『米国』シリーズをはじめとした雄大な山岳風景や、『瀬戸内海集』に見られる穏やかな風景画などの代表作が並ぶ。さらに、本展初公開となる写生帖や版木といった貴重な資料も見逃せない。
《米国シリーズ グランドキャニオン》1925年
西洋の写実表現と日本の伝統的な版画技法を組み合わせ、光と大気のうつろいや水の流れを繊細に描き出した独創的な木版画が集結する会場より、本展覧会の見どころをお伝えしよう。
『没後70年 吉田博展』会場エントランス
「絵の鬼」が描く初期の代表作が、特大版の版画で蘇る
画家仲間から「絵の鬼」と呼ばれ、水彩・油彩・木版など、多様な分野で才能を発揮し、明治から昭和の時代にかけて活躍した吉田博。彼は画友や義妹を連れて度々渡米し、異国の地で自作を売り続ける旅を続けながら、東西の芸術観を吸収し、己の技術を磨いていった。そして帰国後は水彩画や油彩画を発表し、太平洋画会や官展を舞台に活躍した。本展のプロローグでは、吉田の画業初期に焦点を当てて、若かりし日に描いた水彩画や油彩画の名品のほか、初めて手がけた木版画などを展示している。
《上高地の夏》1915年 九州大学大学文書館蔵  水彩画では最大級に近い大きさの本作は本展が初公開。
注目すべきは、プロローグに出品された作品のうち、《雲井桜》と《渓流》の2作品が、後に人物や構図に変更を加えて、第3章で特大版の版画として蘇っている点だ。初期の代表作と、画業後半に制作された木版画を見比べつつ、色彩の印象や空気感の違いを楽しみたい。
《雲井桜》1899年頃 福岡県立美術館蔵(前期展示:1月26日〜2月28日)
《雲井櫻》1926年
《渓流》1910年 福岡市美術館蔵
《溪流》1928年  特大版の木版画《溪流》の水の流れは、吉田自らが版木を彫っている。

独創的な色彩表現を生んだ「同版色替え技法」
1923年の関東大震災により、吉田が版元渡邊庄三郎のもとで制作した木版画の版木や作品の大半は焼けてしまう。その後、三度目の渡米を果たした画家は、油彩画や水彩画ではなく木版画が現地で好評を得たことをきっかけに、帰国後すぐに彫師と摺師を雇い、自らの監修による版画制作を開始した。1925年には『米国』シリーズや『欧州』シリーズをはじめとした木版画を完成させ、翌年には41点もの作品を制作し、『日本アルプス十二題』や『瀬戸内海集』を含む代表的なシリーズが生まれた。
『瀬戸内海集 帆船』シリーズ 左から:《朝》《午前》《午後》《霧》《夕》《夜》いずれも1926年  摺色を替える技法を、吉田は「別摺(べつずり)」と呼んだ。
吉田の木版画の特色として、同じ版を使いながら摺りによって色合いを変化させる同版色替え技法が挙げられる。『瀬戸内海集 帆船』は、刻々と移り変わる天候や時間のうつろいを、摺色を替えることで見事に表現した。光や大気の変化が、色の調子を変えることで表されているのは、印象派モネによる《積みわら》や《ルーアン大聖堂》などの連作を思わせる。
『欧州シリーズ』より 左:《マタホルン山 夜》1925年、右:《マタホルン山》1925年
本展出品作には、ほかにも同じ版で色替えをした作品が並べて展示されている。日中の澄んだ空気感から、湿り気を帯びた夜の雰囲気まで、巧みな色彩表現が生んだ独創的な木版画の数々をじっくり味わってほしい。
『欧州シリーズ』より 左:《スフィンクス 夜》1925年、右:《スフィンクス》1925年
山を愛した画家が見つめた、神々しい高山の姿
幼い頃から山歩きを好み、日本アルプスにも全て登ったという吉田。山を主題にした油彩画だけでなく、木版画でも愛する山々の姿を題材に選んでいる。時に「山の画家」、「山岳画家」とも呼ばれた吉田が描く山の風景には、登山家ならではの視点が活かされ、山頂や山腹、山のふもとから見た景色など、さまざまなバリエーションで見る者を楽しませてくれる。
《日本アルプス十二題 劔山の朝》1926年
『日本アルプス十二題』のなかでも傑作とされる《劔山の朝》や、『冨士拾景』シリーズに描かれた、海や湖と共演する富士山の姿からは、日本の山々の美しさや存在感が鮮やかに伝わってくるようだ。山にかかる濃霧や、今にも動き出しそうな雲の描き方にも注目したい。
《日本アルプス十二題 立山別山》1926年(前期展示:1月26日〜2月28日)
《冨士拾景 御来光》1928年

国内外の旅の軌跡を示す、みずみずしい木版画
写実的な版画作品の数々は、画家自らが現地に赴き、早描きしたスケッチをもとに制作された。アメリカやヨーロッパ、アジアなど世界各国を旅した吉田の作品は、鑑賞者の旅情をかきたてる魅力を放つ。展示前半では米国や欧州の自然風景を、後半ではインドや東南アジア、従軍時に赴いた韓国や中国の風景画が展示されている。その土地や街の匂いまで感じられるような作品を通して、海外旅行気分に浸るのも一興だ。
《印度と東南アジア ベナレスのガット》1931年
《蘇州》1940年

また、海外だけでなく国内でも旅を重ねた吉田による、日本各地の風景を題材にした木版画も制作年代ごとに章分けして紹介されている。故ダイアナ妃がかつて執務室に飾っていた《猿澤池》と《光る海》の2作品、96度摺という驚異的な摺数を経て完成した《陽明門》などの名品も見逃せない。
《関西 猿澤池》1933年
《陽明門》1937年

写生帖や版木にも注目!
風景以外にも、人物や草花、動物を描いた作品や、画家が暮らした東京の姿を画題にした版画も、展覧会の見どころのひとつ。加えて、本展初公開となる吉田博の写生帖も注目に値する。登山中に捉えた風景をすばやく写生したものや、野鳥や植物に向けた優しいまなざし、異国の街並みや人物、国内の寺社を描いた筆致などから、「絵の鬼」と呼ばれた画家の才能が垣間見える。
写生帖 明治期〜昭和16(1941)年頃
第3章では、木版画として最大級の作品《朝日》が展示されるとともに、版画に用いられた主版(輪郭線をあらわす版)と色版が併せて出品される。特大の紙に生じやすい伸縮や線画のズレを克服した完成作と照らし合わせつつ、彫師や摺師の見事な技術力にも思いを馳せてみたい。
《冨士拾景 朝日》1926年
版木《冨士拾景 朝日》色版 1926年

『没後70年 吉田博展』は、東京都美術館にて、2021年3月28日まで。世界を舞台に挑み続け、海外からも高く評価された画家の木版画が一堂に会する機会に、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。

文・写真=田中未来

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