松田正隆2年ぶりの新作『シーサイド
・タウン』稽古場レポ&インタビュー
、「観客の頭の中で、ドラマが起こっ
たらいいなと思います」

京都の公立劇場[ロームシアター京都]が、京都と縁の深い演劇人と共に、劇場のレパートリー作品を作り上げるシリーズ「レパートリーの創造」。その第4弾で、「マレビトの会」の松田正隆を作・演出に迎えた『シーサイドタウン』を上演する。松田は現在東京を拠点にしているが、もともと学生劇団時代も含めて、20年以上京都で活動していた。そのため今回の滞在制作も「違う場所という感じがしなくて、安心しますね」と語る。
自身にとっては2年ぶりの新作となる本作は、ある日本の港町を舞台にした群像劇。東京から故郷に帰ってきた男が、地方都市の「凡庸なファシズム」に飲み込まれていく様を描いた、ごくスタンダードな形のテキストに、近年松田が試みている実験的な演出をかけ合わせた舞台になるという。終盤戦に入ったその稽古の様子を、松田の声も交えながら紹介する。

ここ最近の「マレビトの会」は『長崎を上演する』を始め、いくつかの短いテキストを連ねるような舞台や、短編コントなどが続いていた。しかし『シーサイドタウン』は、[ロームシアター京都]のレパートリー作品として、継続して上演されていく舞台になることを考慮して、久々の長編戯曲執筆に踏み切ったという。
『シーサイドタウン』作・演出の松田正隆(手前)。
「今回の話が来たのは、2019年の秋ぐらい。ここ数年は短いものしか書いてなかったけど、劇場のレパートリーにするのなら、ちゃんと戯曲を書こうと思ったんです。人物が一つの場所で会話をするという作品を、本当に久しぶりに書きました」
取材の前に、『シーサイドタウン』の戯曲が送られてきた。松田の故郷・長崎らしき町を舞台にした会話劇は、松田のキャリアにとって重要な「長崎三部作」──その中には、1994年に「第40回岸田國士戯曲賞」を受賞した『海と日傘』も含まれる──の時代を彷彿とさせる。
ということは、風情のある日本家屋を舞台に、何気ない会話が自然体の演技によって紡がれる、「時空劇場」(注:松田が1997年まで主宰した劇団)時代のような舞台を、久々に観ることができるのだろうか? と、勝手な想像を膨らませながら、稽古場兼上演会場となる[ロームシアター京都 ノースホール]を訪れた所、そこは日本家屋のセットなどまったくなく、床にバミリが張られているだけの、何もない空間だった。これから美術を建て込むのだろうか? と思って関係者に聞いたら「いや、本番もこのままです」との回答。
東京から故郷に帰ってきたシンジ(横田僚平/左)と、隣人の娘・ウミ(大門果央/右)。
この日は全体をほぼ通すということで、頭から芝居が演じられた。東京で行き場をなくしたシンジ(横田僚平)は、空き家となっていた故郷の家に引っ越し、新しい生活を始めることにする。隣人のギイチ(鈴鹿通儀)、クルミ(深澤しほ)、ウミ(大門果央)の一家は、代わる代わるシンジの家を訪れては言葉をかけていくが、最後に訪れたウミから、この町では近々「Jアラート」に備えた全体訓練が行われるという話を聞く。
舞台上に何もないことにも初手からめんくらったが、俳優の演技スタイルにはさらにとまどった。人物同士の距離が不自然なほど離れている上に、演技もほぼ棒立ちだし、台詞回しも棒読み気味。一見「何ですかこれは? 素人ですか?」といぶかしく思ってしまいそうな風景にも関わらず、初対面の人間同士ならではの緊張感や警戒心が、不思議なぐらいピリピリと伝わってくる。
本作の演出について松田は「この戯曲に、ここ数年マレビトの会で培ってきた演出を付けてみようと思った」と語る。普通の人間ドラマ的な美術と演技を付けても全然おかしくない……というより、むしろそれ以外あまり考えられなさそうな会話劇の戯曲に対して、あえてダンス/パフォーマンスに近い、マレビト風の演出をぶつけてみるというのが、今回の大いなる実験のようだ。
人間同士の距離と視線のズレは、会話劇の戯曲とは思えないほど。
ただこれが偶然にも、昨今やたら叫ばれているソーシャル・ディスタンスをほぼ守りきった空間となっている。一応松田に、それを意識したかどうか聞いてみると「全然関係ないです。でも確かに(役者同士が)離れているし、声もそんなに張らないので、結果的にコロナに対応できる芝居になったかもしれないです」と苦笑いされた。
稽古の話に戻ろう。シンジと一定の距離を取る隣人たちと違い、彼に親近感を抱いて近づいてきたトノヤマ(生実慧)は、すぐにシンジのパーソナルスペースに、ずけずけと入り込んでくる。なるほど、この立ち位置は登場人物同士の心の距離感を可視化しているのかと了解すると、とたんに人物同士の「距離」の比較が面白くなってきた。この町を見下し、行きずりの女とのセックスしか考えてないようなトノヤマは、自分なりの方法で避難訓練に“参加”することを、シンジに打ち明ける……。
舞台となる町について、公演のチラシには「凡庸なファシニズムが横行する」と記載してある。「Jアラート」という脅威(それが茶番に過ぎなかったことを、今の私たちは知っているが)のために、さも当然のように連帯を求められ、そこから誰も外れやしないかと隣人を監視する、何とも気詰まりな空気が基調低音のように流れる世界。この設定について、松田はこう語る。
何かとシンジを気にかける隣人一家。(左から)母のクルミ(深澤しほ)、娘のウミ、父のギイチ(鈴鹿通儀)。
「また長崎を舞台にしたドラマを書きたいと思って、その発端となるようなことを探している時に、僕の故郷の町の市長がネトウヨだったという記事を見つけたんです。僕はそれまで、トランプ(前米国大統領)のような排外主義やポピュリズムは、自分の身の回りがリベラルな人間ばかりというのもあって、遠い存在だと思っていましたが、やはり日本でも……自分の身近にも、そういうことがあるんだと実感しました。
Jアラートの話を入れたのは、あの時は各地の避難訓練の映像を見て、あまりにもバカバカしいと笑ってたけど、もし自分の故郷でそういうことが起こったらどうなるだろう? と。そういう奇妙な感覚を全部絡めて、演劇という形にできないかなと思ったんです」
今回出演する俳優は、マレビトの会常連の生実以外は、オーディションで選抜した初対面の役者ばかりだ。中でもウミ役の大門は、演技未体験の女子大生だという。初めての俳優たちに、自分の演出スタイル──しかも一般的なドラマの演劇とは大きく異なる、松田の独特のスタイルになじんでもらうのには、時間がかかったのではと勝手に思ったが、9月に行われた第一弾の稽古中に、ほぼ完成したそうだ。実際この日の稽古終わりも、ダメ出しのような言葉は、松田から一切出なかった。
隣人一家はシンジにJアラートの訓練の見本を見せる。
「書いている時のイメージを、上演する空間にもう一回置き直して、俳優と一緒に動きを作っていくというやり方。僕は最初に本読みから始めないんです。まずはニュートラルな口調で、そのまま演じてもらう。それを僕が見て、この上演空間にどう身体を持っていくか? を考えながら、立ち位置や動きを全部決めていきます。
俳優たちはその中で、自分なりに探っていくことで、一つの感情や流れができてくる。でも僕の方が、俳優のテンションやノリに合わせないようにしています。あまり情動が行き過ぎたら、抑えるようにするとか。そうして立ち位置や動きがだんだん決まってくると、俳優もだんだんと、余計なモノがなくなってくるんです。
9月中には完成して、そこからは大きく変わってないですね。今はこのアベレージを、本番までキープするための稽古という感じです。だからミスさえなければ、僕からは何も言うことはない。それが可能になったのは、本番と同じ場所で(稽古が)やれるのが大きいですね。そういうクリエーションはなかなかないし、本当にいい環境でやらせてもらってるなあと思います」
シンジと何かとつるみたがるトノヤマ(生実慧/中央)。そこに県外に住むシンジの兄・ケンイチ(田辺泰信/右)が訪ねてくるが……。
小道具も音響もなく、照明も最小限に抑えるとのことなので、物語を読み解く手がかりとなるのは、ほぼ100%役者の演技のみ。しかもその動きすら最低限に収まっているという、これほど観客の想像力の引き出しを全開にすることを求められる舞台は、なかなかないと思われる。松田は最後に「観客には、いろいろ考えることを楽しんでほしい」と呼びかけた。
「僕は演劇って、いかに寸劇的……コントにするのかというのが重要だ、という所にたどりついちゃったんです。“今ここにありながらも、違う世界にいる”ということを、その場でできるのが演劇の面白い所だし、それを極めていくのが大事じゃないかなあと。
今回の舞台はシンプルだけど、俳優たちの内面には、僕にもわからないような考えが渦巻いているはず。自由度が高いぶん、観客の方でいろいろと想像してもらって、観客の頭の中でドラマが起こるといいかなあと思います」
トノヤマとウミとシンジ、どこか鬱屈を抱えた者同士は、少しずつ関係(と距離)を縮めていく。
一見善意や優しさに包まれた地方都市の日常の中に、ときどき底しれぬ悪意や残酷さが顔を出し、観客はそこに隠された社会的背景や人間の業に思いをめぐらせる。90年代の松田が常套としていた世界が、久々に戻ってきた。しかしほぼ出来上がりつつあるその舞台は、スピリットは同じでも見かけは全然違っていて、特殊な方向へと進化を遂げている。
とはいえ松田が言う通り、どんな観客の想像も「そうかもしれないね」と受け止めそうな、キャパシティの広さを持つ世界になるのは確実だ。この京都初演を皮切りに、国内外で上演されていく可能性の高い『シーサイドタウン』。日常の会話劇と、ミニマムで実験的な演出を、ハイレベルで融合させて描き出す“現在の日本の地方都市”の姿を、いち早く確認しておきたい。
演出中の松田正隆。

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