【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#176
作詞家・井荻麟 (富野由悠季)の言

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

職業人である以上、高いハードルを突破
しなければ、作詞したとか曲を作ったと
か言えません

より

富野由悠季は、『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』をはじめ、膨大な数の作品を手掛けた、日本を代表するアニメ監督のひとり。また、作詞家としては、井荻麟(いおぎりん)名義で、数々のアニメソングの名曲を残している。今回の名言は、作曲家・井上大輔とのコンビにより始まった、作詞家としての華々しい実績についてのコメント。「アニメ好き以外の、いわゆる一般的に大ヒットする曲にならなかったので、『ごめんなさい』と言うしかないんです」と振り返り、「ヒットというのは『昭和のヒット曲100選』に入ってなければいけないんです」と、ハードルを高く設定し続けていることを明かす。その理由を、「はじめから『この程度でいいだろう』という目標では、その上に行くことなんて到底無理だということなんです」と語っている。巨匠と呼ばれる人物のプロ意識の高さに驚かされる、貴重なエピソードが満載のインタビューである。
富野由悠季(とみのよしゆき)
1941年11月5日生まれ、神奈川県小田原市出身。演出家、原案提供者、アニメ監督、作詞家、脚本家、漫画原作者、小説家、俳優。1964年、手塚治虫の虫プロダクション入社。1967年、虫プロを退社後、東京デザイナー学院にて講師となる。同年、オオタキ・プロダクション(シノ・プロ)に入社。1968年、オオタキ・プロダクションを退社しフリーとなる。1972年、『海のトリトン』にて初となるチーフディレクター・監督・絵コンテを担当する。1975年、『勇者ライディーン』の監督・絵コンテを担当。1979年、『機動戦士ガンダム』の総監督・原作・脚本・演出・絵コンテを担当。この作品により作詞家としてデビューとなる。井荻麟名義で、オープニングの「翔べ!ガンダム」、エンディングの「永遠にアムロ」、挿入歌としては「シャアが来る」「いまはおやすみ」などを担当している。以後、ガンダムシリーズを手がけ続ける。1980年、『伝説巨神イデオン』の原作・総監督・脚本・演出・絵コンテ・作詞を担当。1981年、映画『機動戦士ガンダム』の総監督となる。井荻麟名義で「哀 戦士」「スターチルドレン」などを作詞。1982年、『THE IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇』の総監督・原作・絵コンテ・作詞を担当。以後、『戦闘メカ ザブングル』、『聖戦士ダンバイン』、『重戦機エルガイム』、『バイストン・ウェル物語 ガーゼィの翼』など多くのアニメ作品を手掛ける。2003年、金沢工業大学客員教授に就任。『ガンダム創出学』の講義を受け持つ。2016年、一般社団法人『アニメツーリズム協会』の理事長に就任。以後、大学での講義や講演などで、現在もなお精力的に活動している。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『昭和歌謡文化継承委員会』を発足し会長として活動中。

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