BABYMETAL、JAM Project等で活躍する
ヘヴィさと繊細さを兼ね備えたドラマ
ー、青山英樹。その濃密なキャリアを
語る【インタビュー連載・匠の人】

その道のプロフェッショナルへのインタビュー連載「匠の人」。今回登場するのは、日本人離れしたヘヴィさと繊細さを兼ね備えたドラマー、青山英樹。JAM ProjectBABYMETALのサポートで、日本人ドラマーとしてはおそらくトップクラスの「海外あたりまえ」「数万人の前がデフォルト」な経験を持つ、稀有な存在でもある。

2013年に亡くなるまで、山下達郎松任谷由実大滝詠一等多数のアーティストのサポートを務めた名ドラマー、純を父に持ち、高校卒業と同時にプロになった、2020年12月現在34歳の彼に、ここまでのキャリアを振り返ってもらった。スタートが早いから、というのもあるのだろうが、やはり、超濃密なドラマー人生だった。
──青山家というのは、音楽が溢れていて英樹さんも影響を受けるような家だったのか、仕事と家庭は別だったのか、どちらでした?
いや、全然、親父が家でドラムを叩くみたいな環境ではなかったので。ちっちゃい頃は、親父の仕事が何やってるのかわからなくて。平日はけっこう家にいて、休日はいないっていうのが……スーツとか着ないし、「友達のお父さんとは違うんだな」ぐらいの感覚でしたね。で、ある時、母に「お父さんって何してんのかな?」って訊いたら、「父ちゃんはドラムを叩いてる」「へえ、じゃあ遊んでおカネもらえて、いいね」みたいなことを言った記憶があるんですけど(笑)。
──プロのドラマーで、しかもどうやらすごい人らしい、ということを認識したのは?
僕がドラムをやり始めたのが、14歳、中学2年生で。その頃ですね。その前、小学校の頃までは、それこそ(山下)達郎さんのライブにくっついて行って、裏で遊んでたり。
──あ、現場には行ってたんですね。
でも、その時はまだわからなくて。ライブを観るとかよりも、単に外に遊びに連れて行ってもらえる感の方が強かったですね。
──音楽を意識的に聴き始めたのは?
中学の頃、ハイスタ(Hi-STANDARD)とかのパンクが流行ってて。で、部活でバンドがあって、友達に「親父ドラムやってんだから、やれよ」みたいな。小学校中学校と、ずっとサッカーやってたんですけど、部活が終わったタイミングで、サッカーでプロを目指そうとまでは思っていなかったので、「じゃあ何しようかなあ」っていう時に、そう言われて。で、親父がスティックとペダルを貸してくれて、友達とスタジオに入ったのがきっかけですね。
──ちゃんとドラムを習ったことは?
ないです。親父にも習ったことはないし。でも、親父が「とりあえずこれを聴け」って言ったのが、レッド・ツェッペリンと……僕が、ハードなのが好きだったので。ホワイトスネイクとか、ディープ・パープルとか、聴かせてもらったりして。そこから洋楽にはまって、ボン・ジョヴィとか、エアロスミスとかが好きで、ひとりでコピーしてましたね。
──バンドスコアとか見るんですか?
いや、もう完全に耳コピですね。見様見真似でジョン・ボーナムのフレーズを練習したりとか。あと邦楽だと、友達のお母さんでX JAPANを大好きな人がいて。友達がギター弾いてて「付き合ってくれ」って言われて、X JAPANのコピーもやっていて。僕がその時、反抗期っていうのもあって、親父がああいうスタイルなので、親父にできないことをまずやろうと思って、とりあえずツーバスの練習を始めましたね。YOSHIKIさんのツーバスの速さに衝撃を受けて、ずっとコピーしてました。
■中学生の時から、20代の人たちを一緒にスタジオに入っていた
──ジョン・ボーナム、ディープ・パープルのイアン・ペイス、YOSHIKI、その他にも影響を受けたドラマーっています?
ホワイトスネイクやオジー・オズボーン・バンドにいたトミー・アルドリッジ、それからコージー・パウエル。僕がヤマハ(のドラム)でツーバスなのは、トミー・アルドリッジとコージー・パウエルが昔から好きなので。あと、ミスター・ビッグのパット・トーピー。それから、シンプル・イズ・ベストだなと思うのは、ボン・ジョヴィのドラマーのティコ・トーレス。ツーバスなんですけど、まったくツーバスを使わない。
──(笑)そうなんですよね。
派手なセットなんですけど、ずっとシンプルな8ビートを叩いてる、あの気持ちいいグルーヴが……「ああ、そういうのもありなんだな」という。徹底してる感じがすごい好きで。
──日本人だと?
やっぱり長谷川浩二さん、大好きで、ドラム・クリニックとか行ってましたね。
──じゃあ練習熱心な少年でした?
いわゆるルーディメンツ的なものは、僕、勉強みたいですごい嫌いだったので、とにかく耳コピでした。いろんな曲をコピーして、「このフレーズ、どうやって叩いてんのかな」とか。そういうふうにして練習していたと思います。
──で、高校が日本芸術高等学園というのは、その時点でもうプロ志向だったということ?
もともとは、高校に行かずに、歳上の人たちとバンド活動をしたいなと思って。中学の頃からそうだったんですよ。外の先輩たちとバンド、新宿とか渋谷とかでリハーサルして。
──同年代だと技術的に釣り合わないと?
というか、本気でプロを目指してる人とやりたくて。だから、ネットの掲示板のメンバー募集を見て、「やりたいです!」って連絡して、MDに自分のドラムを録って、会いに行ってそれを聴かせるっていう。最初は「ほんとにきみが叩いたの?」って言われて。
──まさか中学生が来るとは思ってないから。
そう、「え、中学生なの?」ってびっくりされて。で、20代の人たちと一緒にスタジオ入って、叩いて、気に入ってもらえて……みたいなことをやってましたね。だから、中3の最後の頃は、ほとんど学校行ってなかったです。
──よく高校に行きましたね。
高校は行かずに、バイトしながらバンドをやると言ったんですけど、母が「高校は出ておきなさい」と。それで、音楽も学べるような高校に行って、授業でもドラムに触れたりしながら……ドラムだけじゃなくて、ベースとか、キーボードとか、ダンスとかも必須で授業を受ける、高卒の資格を取れる専門学校みたいなところだったんです。で、学校の外でバンドをやって、20代の人たちにもまれながら、ライブハウス、いろいろ出てましたね。(横浜の)関内セブンスアベニューが最初に出たハコで、あそこ、すごい思い入れがあるんです。
■一回デビューしたけど、2年でまた地下へ潜る、みたいな生活になって
──そういえば、Gacharic Spinのふたり(ベースのFチョッパーKOGAとボーカル&ギターのはな)、高校の同級生なんですよね。
そうなんですよ。一緒に授業でセッションとかもしてました。はなちゃんとは同じバンドでデビューするんです。あるプロデューサーが、「いい子いないか?」と言われ、デビューに向けてメンバーを探してる。というので、ライブハウスの人が僕を推薦してくれて。「ポップスで、こんなバンドをやりたい」っていう話をされて、「女性をひとり入れたい、知り合いで良いベースがいないかと言われてはなちゃんしか思い浮かばなかったですね。なんでもできちゃう子で、ベースはやったことなかったんですけど、誘ったら「いいよ」って言ってくれて。それでプロデューサーに紹介したら、気に入ってくれました。
──そのプロデューサーがメンバーを集めて作ったバンドだったんですね。
そうですね。それで話が進んで、ARMERIAというバンドになって。1〜2年ぐらいは、ライブハウスで地道に活動していて、20歳の時にデビューして、バンドが終わるまで2年ぐらいですね。
──順風満帆ではなかったんですね。
デビューしたら、プロとしてそれだけで食えるとか思ってたんですけど、現実を目の当たりにしたというか。デビューした後もそこまで前と状況は変わらず、2年で一回デビューしたけどまた地下へ潜る、みたいな生活になって。
──でも、その時点で、まだ22歳ですもんね。
あと、それとは別に、バンドの終わり際に、アニソン歌手のサポートのお話をいただいて、しばらく同時進行でやっていて。それは、アニソン歌手のきただにひろしさんが、若いメンバーとライブをやりたい、と言っていると。親父の当時のマネージャーが、きただにさんと知り合いで、紹介してくれて。
──それまではアニソン関係は?
全然詳しくなかったですね。で、アニメの曲、とにかくすっごい演奏が難しくて。大変でしたけど、そこからじわじわ仕事になり始めたのと、EVER+LASTっていうバンドも組んで、活動を始めて。バンドをやりながら、サポートの仕事があったらそれもやる、っていうのをずっと続けてましたね、20代は。20代後半になっていくにつれて、アニソンの方でいろいろお話をもらえるようになって。で、EVER+LASTが活動休止になって、そこからサポート・ドラマーに徹するようになりました。
■今振り返ると、ずっと胃が痛い思いでやってきた気がします(笑)
──「やっぱり自分のバンドがないとなあ……」みたいな気持ちはなかったですか。
いや、そういうふうに「バンドまたやりたいな」って思えるような余裕がなかったですね。バンドでやってたドラムとは違うので。一緒に音を出すミュージシャンが常に違うし、現場でアレンジが変わったりとか、譜面を見てすぐその場で対応して、パッと合わせて、すぐ本番、みたいな。バンドに慣れてる状態からそっちに移行するまでが大変でしたね、最初は。
──JAM Projectに参加したのも、きただにさん経由で?
そうです。きただにさんが中心メンバーのJAM Project、そこの社長さん(JAM Projectが所属するランティスの井上俊次社長)や、影山ヒロノブさんがきただにさんのライブを観に来て、「JAMでやらせてみないか?」って言ってくださって。
──やってみていかがでした?
いやあ、もう、プログレすぎて。最近のJAMの曲はそうでもないですけど、昔の曲はめちゃプログレだったので。自分に決まった次の日から、ずーっとスタジオにこもって練習してました。やっぱり大変でしたね、相当鍛えられました。そのタイミングでサポート・メンバー全員替わったんですけど、20代は自分しかいなくて。僕の次に若い人が10歳上だったので。
──中学の頃から常にそうなんですね。
ああ、そうですね。とにかく上の人とばかりやってましたね。今振り返ると、ずっと胃が痛い思いでやってきた気がします(笑)。
──お父さんのマネージャーの紹介で始まったとはいえ、シーンとしてはお父さんの場所とは全然違うところで戦ってきたんですね。
そうなんですよね。でも、そうやってきても、見られ方的に、「やっぱり親父が青山純だからだろ」みたいな。だから、そのマネージャーさんからの紹介には感謝してるんですけど、それ以外はなるべく使いたくないというか。青山純の息子だと名乗ったことは一度もなくて、そういうのは伏せて活動してたんですけど。今思えば「どんどん使っていけばいいじゃん」と思うんですけど、それが昔はコンプレックスでした。とにかく親父と真逆、同じ職業なんだけど全然違うところにいたい、という。でも、全然違うプレイだけど、なんか親父っぽさがあるよね、って、たまに言われることもあって。それはうれしいんですよね、今は。
──で、JAM Projectをやりながら、それ以外の仕事も──。
JAMがきっかけで、声優さんのバックの仕事とか、アニメ関係に携わる仕事が多くなっていって。アニソンにどっぷり浸かってました。
──その次の大きなターニング・ポイントが、BABYMETAL?
そうですね、2013年の頃からですね……あと、BABYMETALが始まった次の年に吉川晃司さんもやってました。ツアー2本をやらせてもらって。
──それもまた、これまでと畑が違いますよね。
吉川さんのマネージャーが、僕と連絡を取りたいっていうのが、公式サイトに載ってるバンドのメールアドレスに来てたんですよ。活動休止したあとだったので、それ全然見てなくて、ボーカルの方が「英樹くん宛にメール来てるよ」って。で、吉川晃司のマネージャーって書いてあるから、迷惑メールだと思ったんです(笑)。「吉川晃司のツアーをお願いしたいのですが、スケジュールいかがでしょうか」と、来ており連絡してみたら、本物で驚きました。
──そこでの経験はいかがでした?
いやあ、大変でしたね。僕が20代で、次に若い方が40代だったので。またそうなんですよ。ギターがTHE YELLOW MONKEYのエマさんで、キーボードがホッピー神山さん、ベースが小池ヒロミチさん。
──それもすごいメンツですねえ。
だからほんと鍛えられました。アニソンではガチガチに決まったフレーズを叩くことが多かったんですけど、吉川さんの現場はもっと、みんなでバンドとしてのグルーヴを作っていく、みたいな。
■ミュージシャンじゃないアーティストとコラボをしてみたい
──青山さん、タムもシンバルもなるべく角度をつけずに、打面が床と平行になるように、セットしてるじゃないですか。
そうですね!
──そうやってセットを組んでいる時点で、「あ、いいドラマーだ」と判断するクセが、僕にはありまして(笑)。
はははは。でも確かにあれは、ただ単に見栄えがかっこいいというか。ラウドネスの樋口(宗孝)さんが、タム一個一個をきれいに、なるべく水平に並べることにこだわっているのを見て、「ああ、かっこいいな!」と思って。そういう、プレイ以外の見た目のこだわりって、たとえると洋服みたいなもんなんですかね? 叩きやすいっていうのも大事なんですけど、お客さんから見た時にかっこいいセットにしたいなっていう。それでうまく叩けるように、なるべく矯正したところはありますね。
──まだやっていない、これからやってみたいこと、というのはあります?
そうですねえ、来年僕、デビューして15周年なので、何かしらやりたいなと……今までドラムだけでやってきたんですけど、何かいろんなことに挑戦して……ドラム以外にもいろいろできなきゃ食っていくのは大変なのかなあ、もっと先を見据えていかないとダメかなあ、とか。いろんなことをやってみたいなあっていうのはありますね。全然やったことがないような音楽にも挑戦したいですし。それこそ歌いながらドラムを叩くとか、イーグルスみたいに。ずっと人をサポートしてきたので、もう一回バンドの頃のように、自分が中心となって、というのもやりたいし。ミュージシャンじゃないアーティストとコラボをしてみたいな、とか。声優さんを巻き込んだりとか、舞台俳優とか、ダンサーとか、そういう人たちとドラムでコラボしたりとかは、やってみたいなあ、と、密かに思ったりもしてますね。
取材・文=兵庫慎司

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