クリエイティブを喚起するカプースチ
ン追悼コンサート ~こうしてカプー
スチンの精神は継承されてゆく

2020年7月2日、ニコライ・カプースチンが82歳でこの世を去った。闘病生活のため、2016年を最後に新作の発表こそ止まっていたが、70代まで精力的に作曲を続け、聴衆と演奏者双方にとってエキサイティングな音楽を、ピアノソロに限らない様々な編成のために書き遺してくれた偉大な作曲家であった。
カプースチンの作品に込められた、音楽への熱い想いは、いまも絶えることなく受け継がれている!――11月6日金曜日、浜離宮朝日ホールで開催された『カプースチン追悼コンサート ~Dedicated to You ニコライ・カプースチン・フォーエバー~』は、そんなことを思わずにはいられない公演であった。
日本のカプースチン普及における最大功労者であるピアニストの川上昌裕――そして彼を中心とする腕利きのカプースチン弾きたちが一同に集結。カプースチンに捧げる白熱の演奏を、休憩なしのおよそ100分にわたり披露した。
司会は上野耕平、ナビゲータを川上昌裕が務めた(撮影:中村義政)
トップバッターを務めたのは、まだ10代という若さながら、カプースチンから多大な影響を受けたコンポーザー=ピアニスト(作曲家 兼 ピアノ奏者)として注目を集め始めた紀平凱成(きひら・かいる)。まずはカプースチンを代表する作品《8つの演奏会用エチュード》から第5番〈冗談〉を、作曲者の自作自演を超えんとするかのような超快速テンポで軽快に弾き切る。続いて《24の前奏曲》からブルージーな第11番 ロ長調を歌心たっぷりに聴かせ、第24番 ニ短調は軽やかに駆け抜けてみせた。カプースチンの自演におけるゴツゴツした感触は極めて弱まり、既に紀平がカプースチンの語法を自分の血肉とした上で演奏していることが伝わってくる好演だ。
紀平凱成(Pf)(撮影:中村義政)
二番手は、“Cateen(かてぃん)”としてチャンネル登録数55万人(2020年11月現在)を誇る人気YouTuberであり、国内外のコンクールで優勝・上位入賞を重ねてきた実力派ピアニストでもある角野隼斗(すみの・はやと)だ。彼は《8つの演奏会用エチュード》から3曲を抜粋。しかもコンサートのナビゲーターを務める川上昌裕からの無茶振り(?)に応え、第1番〈前奏曲〉と第3番〈トッカティーナ〉に即興的な序奏(イントロ)を付けてしまう。しかも単にジャズ風というわけではなく、しっかりカプースチンのスタイルで即興するのだから、驚かされるばかり。これら第1番、第3番のシャープな演奏も素晴らしかったが、唯一即興でイントロを加えなかった第7番〈間奏曲〉の語り口の巧さも際立っていた。
角野隼斗(Pf)(撮影:中村義政)
三番手として、この日の司会も務めた当代随一の人気サックス奏者として、最近はメディア露出も多い上野耕平と、彼が所属するThe Rev Saxophone Quartetが登場した。残念ながらカプースチンはサクソフォン四重奏を作曲していないのだが、メンバーである宮越悠貴が《24の前奏曲》をすべてクヮルテットのために編曲。今回はその中から4曲(第1番、第9番、第12番、第17番)が披露された。原曲を尊重した見事なアレンジは、同時に4音までしか響いていないとは思えないほど自然。それもこれも4人でひとつの楽器として聴こえるほど顕密なアンサンブルを実現できているからであろう。特にゆったりと旋律を歌う第9番は原曲のピアノソロでは味わえない旨味を引き出したという意味でハイライトとなった。
上野耕平(Streaming+より提供)
The Rev Saxophone Quartet(撮影:中村義政)
四番手は、西本夏生と佐久間あすかによるピアノデュオpiaNA(ピアーナ)。西本はラテンアメリカ音楽、佐久間はジャズやポップスも得意とするだけに、リズムが生命線となるカプースチンの音楽と相性は抜群。1曲目に聴かせてくれたカプースチンがpiaNAに捧げた作品《連弾のためのカプリッチョ op.146》も献呈者の名に恥じぬ演奏だったと思うが、やはり会場を沸かせたのは《ディジー・ガレスピーの”マンテカ”によるパラフレーズ》。本来は2台ピアノのために書かれた作品であるにもかかわらず、なんと彼女たちはピアノ1台で演奏してしまう(!?)。椅子を撤去した立ち位置で演奏をはじめ、一方の腕の下をくぐり抜けたり、二人羽織状態になったり……と、ありとあらゆる方法を駆使して2台ピアノと同等の熱量を1台のピアノで完全再現! その度肝を抜くパフォーマンスには聴衆も大熱狂し、このご時世のためブラヴォーの声こそ飛び交うことはなかったが、これが前半戦の白眉となったのは間違いない。
piaNA(西本夏生、佐久間あすか)(撮影:中村義政)
全7組のうち、折り返し地点である4組目までを聴いて痛感させられたのは、若いプレーヤーたちはカプースチンの音楽をただ愛しているだけではないということだ。自らが良いと信じる音楽を、聴きに来てくれるオーディエンスたちとどうすれば分かち合えるのか? ただ伝統を実直に受け継ぐのではなく、周囲の評価を気にしすぎることもなく、未知の領域へも果敢に挑戦していくことの出来る真にクリエイティブな精神――カプースチンをコンポーザー=ピアニストとして高みへと導いたこのスピリットが、確実に若い世代へと受け継がれはじめているからこそ、ただ楽譜通り・模範通りに演奏するだけではない、彼らならではの音楽が生まれているのだ。
* * *
中堅世代を中心にした後半戦の残り3組は弦楽器が加わるアンサンブルで、前半とは毛色の異なる演奏となった。五番手としては、日本におけるカプースチンのオーソリティである川上昌裕が満を持してピアノを披露。フルートの大塚茜とチェロの金子鈴太郎と共に《フルートとチェロとピアノのための三重奏曲 Op.86》から第2~3楽章を聴かせる。核となるのはもちろん川上で、前半戦の若手よりも彫りの深い音楽づくりにより、カプースチンの魅力が表層的な格好良さだけではないことを、しっかりとアピール。濃厚かつ情報量の多い演奏であるため、すべてを聴こうとするほど聴き手の集中力が自然と増していく。また、同じ顔ぶれで何度も演奏してきたからこその一体感なのだが、同時に守りに入ることなく各パートがせめぎ合っていくのも実にエキサイティングであった。

大塚茜(Fl)、金子鈴太郎(Vc)(撮影:中村義政)

川上昌裕 (Pf)(Streaming+より提供)
六番手は2006年に結成され、弦楽とピアノのアンサンブルで多彩なレパートリーを弾きこなすクインテット・ディ・ピアノフォルテ・ラ・スペランツァ(ピアノ室内楽団スペランツァ)だ。NHK交響楽団メンバーによる弦楽四重奏と、NHKの番組出演経験も多いピアニストの高橋希によるグループで、《ピアノ五重奏曲》から第1楽章と第4楽章を抜粋。ピアノ五重奏というと、「弦楽四重奏」が「ピアノ」の伴奏になりがちなことも珍しくないのだが、彼らの演奏は5人がそれぞれ拮抗しながら、場面ごとに繊細にバランスを変えていく。カプースチンの複雑なテクスチュアを丁寧に解きほぐす様子は、さながらオーケストレーションの変化を聴いているかのよう。場面ごとにうつろうキャラクターの違いが的確に描き分けられていき、作品のもつドラマ性が更に際立てられた。
大宮臨太郎(Vn)、松田拓之(Vn)(Streaming+より提供)
山内俊輔(Vc)、坂口弦太郎(Va)(Streaming+より提供)
高橋希(Pf)(Streaming+より提供)
七番目――トリを飾るに相応しいのは、やはり川上昌裕の他にいないだろう。先のピアノ五重奏曲でヴィオラを弾いていた坂口弦太郎もヴァイオリンに持ち替えて再登場。ふたりで《ヴァイオリン・ソナタ op.70》の第1楽章を取り上げた。途中、坂口が楽器トラブルにも見舞われたが、そこはユーモアで乗り切り、何事もなかったかのように一旦仕切り直し。こちらも一方が伴奏にならず、ピアノとヴァイオリンが対等な関係で絡み合い、至るところに対位法的な書法が張り巡らされていることを詳らかにしてしまう。もちろん、エモーショナルな情感の豊かさにも不足はなく、コンサートを締めくくる貫禄のパフォーマンスを聴かせた。
坂口弦太郎 (Vn)、川上昌裕 (Pf)(撮影:中村義政)
坂口弦太郎 (Vn)、川上昌裕 (Pf)(撮影:中村義政)
終演後は密を避けるために時差退場となったが、それでも聴衆がみな、熱気を帯びていることは明らかだった。これからは今回のような特別なコンサートだけでなく、オーケストラの定期演奏会でピアノ協奏曲などが普通に取り上げられるようになったり、弦楽四重奏曲第1~2番を常設クヮルテットがレパートリーに加えたりするようになると、カプースチン受容のネクストステップになるだろうか。今回のThe Rev Saxophone Quartetのように、ピアニスト以外からも熱心に支持されるようになることが重要となってくるはずだ。
取材・文=小室敬幸

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