浅井健一

浅井健一

自分がいいと思った音を出す、
それだけのこと

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』の第9回は浅井健一。初めてギターを手に取り、“何かを起こしたい”というエネルギーに満ちていた十代の頃をはじめ、物事の考え方を教わった家庭教師の存在や、世界文学を知るきっかけになった20歳の頃の先輩、BLANKEY JET CITYでの活動など、自身に影響を与えた人物について語ってくれた。そういった人との関わりで吸収した全ての出来事は、日常の延長線上にある楽曲を生み出す浅井にとって大きなものなのだったに違いない。

チャレンジしないと何も始まらない

中学一年生の頃に初めてギターを手にしたそうですが、どんなきっかけだったのでしょうか?

小学4年生の頃に初めて家にステレオが来て、その時に世界中の音楽が集められた15枚組ほどのLP集が家にあって。その中にThe Shocking Blueの「Venus」と「悲しき鉄道員」…あと、ジミ・ヘンドリックス、Cream、映画音楽、ボサノヴァとか、いろんなものが入ってんだけどさ、その2曲をすごくカッコ良いと思ったんだよね。“俺もそのような世界に行きたい”ってところから始まって。中学1年生の時にお年玉をたくさんもらえたから、その足で親戚の家の近所にあるレコードとギターを売ってるお店でフォークギターを買ったんだよ。エレキはアンプも買わなあかんし、もっと高いから買えなかったんで、とりあえず12,000円のフォークギターを買って、教則本を見ながら始めたって感じかな? その時はフォークソングが全盛期で、教則本はフォークソングばっかりだから、本当はShocking Blueみたいなのをやりたいんだけど、そこにはいきなり行けないので、まず基本を知るべきだと思ってアルペジオだとかコードを覚えたって感じ。

オリジナル曲を作り始めたのはいつ頃なんですか?

高校1、2年の時かな? 「Kill the teacher」っていう曲を作りましたね。

一発目からすごいタイトルですね!?

本当にふざけた先生とかいたんで(笑)。

以前、人生にもっとも影響を与えた人物という質問でご両親の他に、小学校の頃の家庭教師の先生と答えてらっしゃったんですけど、どんな方だったんですか?

クラシックが好きな、ものすごく真っ直ぐな人で、世界中で起きてるいろんな出来事を教えてくださった。まず姉の授業、次に俺の授業があって、ご飯タイムを挟んで最後にまた姉の授業って流れだったから、そのご飯タイムの時に地球儀をテーブルに持ってきて、世界でどういうことが起きてるのかっていうのを話してもらってたんだよね。姉が高校に入ってからは俺が先生の下宿先に行って教えてもらうことになったんだけど、部屋には写真が何枚も貼ってあって、チェ・ゲバラの写真が何枚か壁に掛かっていて。そこで“この人は誰ですか?”って教えてもらったり、物事の考え方みたいなのを教わったんだよね。すごくいい先生だし、自分にとってはでかかった。

浅井さんの音楽にも世間の風潮や世界的な問題に対する想いが込められている部分はあると思いますが、そういった今の自分にもつながっている方なんですね。

絶対つながってるよね。先生が日本の水俣病を題材にした映画を観に行った時も、こんなひどいことがあったってことを俺に教えてくれて。あの方は正義をやろうとしてただけなんだと思う。その時は名古屋大学院生で、今は大学の教授をやってるみたいだけど。

今振り返ってみて、十代の頃の浅井さんはどんな少年だったと思いますか?

何かを起こしたかったかな? エネルギーがあったんで…今もあるけど、何かを起こしたくて“どうしたらいいんだろう?”って思っとってバンドを始めた。

今は絵も描かれますが、その時はバンドの他に考えてたことはありましたか?

十代の頃から絵描きもいいなとは思ってたけどね。お金を貯めてパリに行って、そこで画家を目指しながらなんとか生活できるだろうって真剣に思ってたね。

音楽も絵も文章もそうですが、自分の想いを表現したいっていうのがご自身の中でずっとあったんですね。

うん。このままいたら人生が面白くないと思って…チャレンジしないと何も始まらないからね。だから、絵もバンドもやってたけど、バンドで有名になろうって気持ちが強かった。

ご自身に取り込んだものはたくさんあると思いますが、特に印象的なものはありますか?

まっつぁんっていう先輩がおって、その人は文学的なことが大好きで、俺にビートニクスとかビートジェネレーション、ジム・キャロルとかの世界観を教えてくれたんだよね。その頃は、ヴィム・ヴェンダースの映画『パリ、テキサス』とか、『ベティ・ブルー』『ストレンジャー・ザン・パラダイス』とかさ、その雰囲気がカッコ良くて。俺たちが二十歳くらいで、お洒落というか、感覚がいい人にしか分からないんだろうっていうのがあって。その頃のバンドの歌詞って似たり寄ったりしとって、反政府的だったりとか、そういうのもいいんだけど、もっとカッコ良い歌があるんだっていうのを知った。だから、誰も知らないだろうけど、今日のキーパーソンはまっつぁんにしようか?(笑) 今となっては『路上』(ジャック・ケルアックの小説)を読んでもあんまりピンとこないというか、その頃の自分にとってはジム・キャロルの『マンハッタン少年日記』っていう本はすごくセンセーショナルだったんだけど、久々に読んでみたらそんなに好きじゃないっていうことが判明して。たくさんの人に誤解をさせたかも。でも、その頃に身体に入れた世界観は歌詞にすごく影響してると思う。

バンドを始めた頃の名古屋の音楽シーンはどんな感じだったんですか?

パンク。パンク以外もあるけど、THE STAR CLUBがあって…THE STALINは東京だけど、パンクが全国的に流行ってたかな? そのあとにサイコビリーとかロカビリーがきて、ニューウェイヴっていうか、ポジティヴパンクみたいなThe CureとかSiouxsie And The Bansheesとかあそこらへんの暗い感じをやってる人もちょっといた。

その頃のパンクって不良のような怖いイメージはなかったですか?

危なかったよ。ナイフ持ってたしね。怖い話もよく聞いてたから、守れないとやられるだけだから出かける時は護身用にナイフを持ち歩いてた。

OKMusic編集部

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