首振りDolls × 柴山“菊”俊之

首振りDolls × 柴山“菊”俊之

首振りDolls、
マンスリーインタビュー第20弾の
ゲストは柴山“菊”俊之

ちゃんと自分の中で納得出来ることを
やっていかなくちゃいけない

ナオ、柴山“菊”俊之

ナオ、柴山“菊”俊之

ナオ:柴山さんはレコードデビューというのは、全然考えていなかった感じですか?
柴山:全然考えていなかった。東京にも行ってなかったし、ずっと福岡にいたし。さっきも名前を出したけど、グレイトフル・デッドみたいに、地元を大事にしている音楽をやりたかったから。福岡から発信する形でやろうと思っていたんで。誘ってくれたレコード会社もあったんだけど、俺たちが断固として東京に行かないって言ってたから、諦めてた。昔は今と違って東京に行かないとレコーディング出来なかったからね。そんな中で、最後まで粘り強く残って誘い続けて来たレコード会社がテイチクで。
ナオ:それでテイチクからデビューされたんですね?
柴山:いや、テイチクっていう名前が嫌でさ(笑)。レコード会社の人に“低脳”“蓄膿”みたいだから嫌だ。名前が気に入らないって言って(笑)。
ジョニー:えぇぇぇ(笑)!?
ナオ:あははは。それすごいですね(笑)! 書けないかな、そこは。
柴山:いや、書いてもいいよ、本当にそういう会話があったんだから。そしたら担当の人が、“だったら、サンハウス の為にブラック・レーベルっていうレーベルを作るので!”って言ってくれて。まぁ、だったら良いかって。それでデモテープを録るために東京行って、そのついでに日比谷野外音楽堂でライヴして。裕也さん(内田裕也)のライヴに、名前も何も告知せずに飛び入りで出してくれたんだよ。そんとき、イエローとか近田春夫とかCharとか、いろんなバンドが出てて。俺たちはそんな中、無名のバンドだったからね。そこにはたくさんのレコード会社の人間も観に来てて。
ジョニー:いきなり日比谷野外音楽堂でライヴですか?
柴山:そう。でも、めちゃくちゃだったと思うよ、演奏とか。リハーサルもなんもせんと、いきなり飛び入りだからね。
ナオ:いや、でも、ハコバンとか米軍キャンプで鍛え上げられた柴山さん達だったら、絶対にそこに対応できる力があったはず! カッコイイなぁ、その瞬間、観たかったなぁ。
柴山:とにかくウケなくてもいいから、自分達の存在を残そうと思って必死でやったからね。相当だったと思うよ。お客さんに向かっても、かなり酷いことしたしね。

ナオ:酷いことってなんですか?
柴山:罵倒したり。それも虚勢を張るみたいなもんよ。ウケんかったら恥ずかしいから。喧嘩して負けるのが嫌だったから。そこで不良だった過去がちょっと役に立ったのかもね(笑)。ハッタリだけで30分くらいのステージをやって。30分くらいだったらハッタリでも保つからね。
ジョニー:あははは。
柴山:何回も使えない技だけど(笑)。でも、そのときは勢いもあったんだろうね。テイチク以外のレコード会社が、ウチが声かけて引っ張れば良かったって、悔しがってたって聞いた。
ナオ:なるほど! それほどまでに素晴らしいステージだったんでしょうね!
柴山:東京の目ぼしいバンドからメジャーレーベルは声をかけていってたからね。わざわざ福岡の俺たちに声をかけるっていうのは後回しだったんだと思う。だから、見つけてもらったのも、運だったと思うよ。当初なんて自分達でPAとかも使いこなせていなかったから、音とかだってめちゃくちゃだったと思う。感覚でしかなかったから。
ジョニー:いやぁ、またそこがカッコ良かっただろうなぁ。その感覚が独特だったんだろうから。
柴山:とにかく、他と違ったんだと思う。俺は、よくステージで上半身裸になっていたけど、当時そんなパフォーマンスをする日本人バンドはあまり居なかったからね。そこがすごく目を引いたというか。
ジョニー:東京にはそういうバンドは他に居なかったんですか?
柴山:どうやろね? 居たのかもしれないけど、俺はとにかく“菊”を演じていたから。そこまで行ききったバンドはいなかったかもしれんね。最初にも言った通り、すごく恥ずかしがり屋なのに、もうその頃には全く恥ずかしさはなくなっていた。とにかく、最初の頃「キングスネーク」を歌うのとか本当に恥ずかしかったから。
ナオ:え〜っ!? 恥ずかしかったなんて、全然そんな風に見えないです!
柴山:昔はよ。“菊”って名前にしてからは恥ずかしくなくなったから。恥ずかしくて照れがあるうちは、見ててカッコ良くないんだよ。行ききってしまわないと、見てる方はそこに入り込めない。お客さんを惹きつけるには、自分が自分じゃなくなるくらい演じきらないとカッコ良くない。ステージの上でしか見れない“菊”に、お客さんは逢いに来るんだから。
ナオ:おぉぉぉ。たしかに。現実逃避させてくれる場所ですよね、そこが。お客さんにとっても、柴山さんにとっても。
柴山:そうだね。だんだんと学校から、サンハウスを観に行くなって言われる様になっていったからね。

ナオ:うわぁ。すごい! ロックバンドらしいエピソードですね! カッコイイ! 柴山さんの衣装の原点ってどこにあったりするんですか?
柴山:俺は、歌舞伎の弁天小僧菊之助。あんな感じの着物を着てみたいなってところから。“菊”の衣装は、俺の友達の妹さんがずっと作ってくれてる。今も。
ジョニー:今もですか!?
柴山:そう。たまたまサンハウスのファンで、裁縫の得意な人で。当時10代だったんじゃないかな。最初に作ってもらったのは、着物のハギレを繋ぎ合わせた衣装だった。ものすごい数あるよ。『サンハウスSHOW』ってのをやったときに、7回衣装を着替えたことがあったんだけど、そのときも全部作ってくれて。魅せ方という面では本当に衣装ってすごく大事で。Tシャツが悪いわけではないけど、Tシャツを7枚着替えても意味ないからね。魅せるという意味では衣装はすごく大切なところだから。その子もプロとして衣装を作っている訳じゃなく、着せ替え人形みたいで楽しかったらしいんだよ。他の人の衣装は作ってないんじゃないかな。“菊”の為だけに衣装を作ってくれていた。
ナオ:やっぱり衣装って大切なんですね。魅せるという意味では。
柴山:すごく重要なところだと思うよ。ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーもアンソニー・プライスが仕立てた衣装のおかげもあって、すごく華やかに魅せられていたと思うんだよ。アンソニー・プライスは自身のブランドも持っていたんだけど、ジャパンとかは既成の服を着ていたらしいが、ブライアン・フェリーの衣装は全てアンソニー・プライスがブライアン・フェリーの為に仕立てていたからこそ、1着1着が全部カッコイイからね。音楽との融合でもあるよね、そこは。そういう合致こそが素晴らしい。洋服も音楽も全て統一されてカッコ良くないと、やっぱりカッコ悪いもんね。人と同じであってはダメ。そここそも、そのバンドの個性になるんだから。何でもいいって訳じゃない。むしろ一番重要なところだと思う。そこへのこだわりがあるか無いかで全然見え方が違ってくると思うよ。
ジョニー:細部までこだわってこそですね。
柴山:人と同じは絶対に嫌だから。革ジャンが悪い訳ではないけど、俺は革ジャン着ては歌えない。そうすることで恥ずかしさが出てしまうと思う。蛇のジャケットとかですらも恥ずかしいかな。
ナオ:なるほど。蛇のジャケットってかなりなインパクトではありますけどね、それでも更になんですね!
柴山:そうだね。

ナオ:柴山さん、サンハウス以降のお話も伺ってよろしいですか? サンハウスが止まってからは、作詞家として活動されていらした時期もあるんですよね? その頃は童謡も書いていらしたとか。
柴山:うん、童謡も書いてた。でも、作詞家はなりたくてなった訳じゃなかった。サンハウスを辞めるって決めたとき、解散ライヴがどうこうっていうのをいろんな人から言われて、それが嫌で。福岡におったらいろいろといわれるから、ちょっとのお金を持って東京に遊びに行ったんよ。このお金が無くなって、帰りの飛行機代だけになったら戻って来ようと思って。1ヶ月2ヶ月くらい福岡離れてたら、ちょっとは収まるだろうと思っていたら、東京に3ヶ月も居ついちゃって、気づいたら帰るお金も無くなってて。東京に滞在し過ぎて帰るタイミングを失っちゃったんだよね。で、どうしようかなと。女の人のところにおったっちゃけど、ずっとそこに居続ける訳にもいかんから、バイトし始めて。それからずっと東京に居る。当時、地元福岡では、“菊さんは東京に行って見窄らしい生活しとって、恥ずかしくて帰ってこれなくなってるらしい”って噂が広がってたみたいで。なんかヤバイなって思ってたけど、まあいいかと思って。そうこうしてるうちに、作詞とかの話が舞い込んできて。お金も良かったからやり始めたんだけど、続けて行くうちにだんだん辛くなっていって。職業作詞家として人の為に歌詞を書いていたんだけど、今まで自分達のバンドで、自分が歌う為にしか書いていなかったのもあって、書き上がってその人に渡した時点で、その人のものになったんだって諦めればいいのに、“ここをこんな風に歌えばいいのに”とかって、その作品が気になって気になって仕方なくて。レコードになって完成したものが送られてきて聴いて、自分が思っているものとかけ離れていたりすると、どうしてこんなにツマラナイものになっちゃうんだろう? って、悲しくなってきて。曲も歌詞も悪くないのに、すごくツマラナイ作品になってしまう。それがずっと続くと、それがストレスになってきて。それで辞めたんだよ。
ジョニー:辞めちゃったんですね。
柴山:そう。続けられなかった。なんていうのかな、そこに夢が無かったから。なんでもそうだと思うけど、夢がないとキツイんよ。そうでもない?
ナオ:たしかに。夢がないとキツイです。
柴山:そうでしょ。100%上手くいくとかいかないとか、問題はそこじゃなくて、やりたいことを一生懸命にやってたらさ、いろいろと浮かんでくるじゃない。それが成功するかしないかなんて、運もあるし、いろんな人の協力もあるし。ぶっちゃけ成功する人なんて一握りで。俺はもともと芸能人には興味がないんだけど、売れてしまえば芸能人と同じ状況になる訳で。今思っても、ならなくて良かったと思ってる。サンハウスをやってる途中からそんなことを考えていたんだよね。でも、バンドは好きなんだよ。そこで歌うことも好き。でも、すごく売れたいとかそういう気持ちはないというか。けど、そこに夢があったら楽しいでしょ。一緒にバンドやってたら嫌なことも辛いこともあるけど、夢がちゃんとあってさ、そこに向かっているって素晴らしいことだと思うんだよ。物を作っていくということは、すごいエネルギーが無いと出来ないからね。
ジョニー:そうですね。

柴山:作ろうと思えば今なんて環境もいいから、簡単に出来ちゃうと思うけど、そんないい加減に物を作るんじゃなく、レコーディングのこだわりを一つ自分で持っていて、それを徹底的に貫き通すべきだと思う。ちゃんと自分の中で納得出来ることをやっていかなくちゃいけない。後から振り返ったときに、あぁ辞めときゃ良かった、みたいなことは絶対にしちゃダメで。自分もそういう思いでずっとここまでやって来てるからね。それもあって、作詞家は辞めようと思って辞めた。自分の書いた歌詞を、“あぁ、いい歌詞だな”って思えるのは、やっぱり自分の歌でしかないなと思ったから。今もたまに頼まれたら書くくらいはするけど、それくらい。
ジョニー:南さんにも書いていらっしゃいましたよね?
柴山:南には書いたね。3、4曲書いたかな。でも、歌詞を南に書いたときには、南とは面識がなかったんだよね。でも、アイツはすごくいい感じに歌ってくれてた。
ジョニー:いやぁ、素晴らしいですよね。
柴山:南と聞いて思い出すのは、アリス・クーパーが来日したとき。俺も観に行ったんだけど、会場で南を見つけてね。九州から観に来てたんだよ。18歳くらいの頃だったら九州から東京まで観に来ることってあると思うけど、いい歳こいたおっさんになっとる訳で。大人になってからもその衝動を持ち続けていられるって、すごい素晴らしいことだと思うんだよ。あの会場で南を見つけたときは、本当にコイツいい奴だなって思ったね。なんか、自分のバンドのメンバーだったのかな? ハノイ・ロックスみたいな奴らと来てた。
ジョニー:おぉ〜! 小倉の人達です! 五十嵐さん達ですね!
ナオ:五十嵐さん達だね! 間違いない!
柴山:でも、それからちょっとして死んじゃったもんね、アイツ。
ジョニー:はい、、、。
柴山:残念だったよね、本当に。

OKMusic編集部

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