山下久美子、『LOVE and HATE』は
作曲家と編曲家との
一体感のもとで生まれた名盤
ラブソングに似合ったサウンド
M9「狙われた週末」はこれもまたブラスアレンジがカッコ良いR&B風のナンバーで、Bメロのドンタコなリズムも含めて、カバーアルバム『Duets』(2005年)収録の「愛の行方」で彼女と共演経験のある忌野清志郎辺りがやってそうな雰囲気だが、清志郎ほどには泥臭くはない。ギリギリそうさせないのは山下久美子の歌声にも関係していると思うし、その辺を加味したアレンジが施されているような気もする。
M10「リアルな夢?」は筒美京平が作る昭和歌謡的メロディーと言おうか、イントロだけを聴いたら──誤解を恐れずに言えば、堺正章辺りのカバーのような感じがあるが、とても親しみやすく、いろんな意味でやさしい歌メロを持つナンバー。メロディー、歌詞に呼応しているかのようなサウンドもいい意味で派手さがない。アウトロでサックスが聴こえてくるが、同じくサックス使っているM7「鼓動〜HEART BEAT (Remix)」ではそれがAORな雰囲気を与えているのに対して、こちらはシティでもアーバンでもなく、軽快に楽曲を彩るように導入されている。カジュアルな雰囲気と言ったらいいだろうか。楽曲全体を考えた適切なアレンジではあると言える。
続くM11「壊れた時計」はブルースなのか、ケルトなのか、それとも南米系なのか、これもまたカテゴライズしにくい不思議なメロディーとサウンドだが、興味深い楽曲ではある。ポップさは薄く、全体的には幻想感の強いナンバーだからか、これまでベスト盤に収録されるようなこともなかったようだが、埋もれさすには惜しいナンバーでだろう。メロディーの押しも強いし、再評価されてしかるべきはないかと個人的には思う。
M12「Adieu Au revoir Adieu」はAOR風ではありつつも、そう呼ぶよりも“渋い”と言った方がしっくりくる感じ。ピアノの音色。ブラシでのドラミング。バイオリンの響き。どれをとっても楽曲のテーマである“別れ”を演出しているようである。このM12「Adieu Au revoir Adieu」でアルバムが終わるのは寂しすぎると思ったのか、アルバムのテーマがどちらかに偏ると判断したのか、それは分からないけれども、『LOVE and HATE』は次のM13「魔法の消えた世界で」でフィナーレとなっている。ワイルドなギターで始まるバンドサウンドで、これもまたここで空気が一転。映画やドラマのエンディングに流れるテーマ曲のような感じは、もしかすると評価の分かれるところかもしれないけれど、彼女はロックシンガーなのだから、こうした景気のいい感じのサウンド(?)こそが相応しいのだろう。テンポもそれほど速くはないので、ラストに置くにはちょうどいい。
優秀なる三位一体の結実
《ただ涙が流れて止まらない/震える手を握りしめ/誰かを憎んでしまいそうな情熱は/愛する印と信じて祈りを込める》(M2「DRIVE ME CRAZY」)。
《さっきの出来事をね/今さら私悔やんでる/”遠ざかってく/あなたを引き止めたりしてさ...”》《風が吹いていたあの街で抱き合った/二人にはもう戻れないのと/口にしないだけに辛いわ》《愛してる 憎めない/どっちにしたってあなたを/愛せない 憎んでも/恋は儚くて》(M8「LOVE AND HATE」)。
《夢と同じ道を たどってゆくと/遥か遠く あなたの面影 優しく私を招くよ/とても深い夜に 星も見えない/空の下で 抱きしめあうのが さだめなの》《壊れた時計のように 世界が歪んで見えるの/狂った時間の中で 天使を求める心》(M11「壊れた時計」)。
《涙乾くまでは/ねぇ…何も言わないで/ふたり敵わない愛を知ってしまったの?/哀しい街角 雨に濡れている/Adieu Au revoir Adieu/あなたは帰らぬ/Adieu Au revoir Adieu/わたしの恋人》(M12「Adieu Au revoir Adieu」)。
出会いもあれば別れもあって、愛が憎しみに変わるようなこともある。通り一遍のラブストーリーではなく、歌詞にあるのは男女間の機微といったものだ。それを表現するのには、やはり件のような、ある種、複雑と言っていいサウンドが必要だった──そんな見方もできよう。つまり、『LOVE and HATE』は、優れたコンポーザー、優れたアレンジャー、そして優れたシンガーが三位一体となって創り上げたアルバムなのであって、それが傑作でないわけがないのである。
TEXT:帆苅智之