エレファントカシマシ 31年目の日比
谷野音をオンライン・レポート「いい
眼してるぜ」

エレファントカシマシ 日比谷野外大音楽堂 2020

2020.10.4 日比谷野外大音楽堂
「みんな、いい顔してるぜ、多分。マスクしてるからわからないけど、いい眼してるぜ」
そんなライブ終盤の宮本の言葉に歓声が沸いていた。おなじみのフレーズに近いのだが、いつもとはちょっと違う。1990年から31年連続開催となるエレファントカシマシの日比谷野外大音楽堂。開催されることのかけがえのなさを強く感じた。新型コロナウイルス感染症の予防対策をして、観客の人数も制限し、オンラインで生配信もされた“恒例”にして“異例”の野音。このレポートも自宅で生配信の映像を鑑賞したのちに書いている。
まだ明るい野音のステージに宮本浩次(Vo/Gt)、石森敏行(Gt)、高緑成治(Ba)、冨永義之(Dr)、さらにサポートの細海魚(Key)、佐々木貴之(Gt)の6人が登場。石森のギターで始まったのは「「序曲」夢のちまた」だった。穏やかで静かな始まり方だ。だが実にニュアンス豊か。伸びやかな宮本の歌声とバンドの繊細かつ丹念な演奏がいい。歌声と楽器の音色によって、野音の空気を確かめていくかのようだ。一転して「DEAD OR ALIVE」ではダイナミックな演奏を展開。この振り幅の大きさはエレファントカシマシならでは。トリプルギターのソリッドな音色とグルーヴィな演奏がひたすら気持ち良かったのは「地元のダンナ」。自宅にいながらにして体が揺れまくり、椅子がきしんで一緒にリズムを奏でていた。
エレファントカシマシ
エレファントカシマシの自在なグルーヴを堪能したのは「星の砂」だ。バンドの演奏に宮本のボーカルが鋭く切り込んでいく。宮本の歌声の中にあるタイム感にメンバーが瞬時に反応。間奏では宮本がボイスパーカッションや体の動きでリズムを取っていた。加速したり減速したりと、宮本の歌は自在で自由。全員のタイム感がぴったり一致しているわけではない。「ズレてる方がいい」じゃないが、メンバーの奏でるリズムの幅にこそ、バンドサウンドの醍醐味が凝縮されていると感じた。一部中盤で演奏された「珍奇男」でもこの変幻自在っぷりはさらに際立っていた。
宮本のソロ活動が入ったこともあり、バンドで演奏しない期間がかなりあったに違いない。エレファントカシマシのライブ自体が1月の新春ライブ以来だから9か月ぶりだ。ブランクがありながら、これだけのグルーヴを生み出せるのは入念なリハーサルの成果、そして結成から40年近くという深い関係性によるものだろう。
モニター越しに観ているのに生々しい臨場感のあるライブだった。どの歌もやけにリアルに響いてきたのだ。野音というロケーションもプラスに働いていたのではないだろうか。暮れていく日比谷の空が画面に映り込む瞬間がたびたびあり、その暮れ方が自宅の部屋の窓から見える空と一緒だった(当たり前か)。日比谷の空が日本中、いや世界中の空とつながっていることを映像からも実感できる。空だけでない。静かな曲では演奏とともに、日比谷の森に生息する虫の鳴き声が聞こえてきたのだが、自宅の部屋の外でも虫の声が聞こえた。バンドと日比谷の虫と自宅の虫のアンサンブル。
エレファントカシマシ
深く共有・共感できるステージだった。野音ならではの選曲であると同時に、コロナ禍という状況を踏まえた選曲になっていると感じたからだ。コロナ禍の影響の大きさ、深刻さは計り知れないが、世界中の人々がほぼ同時期に同じような不安、恐怖、圧迫感、不便などを感じるという“共通体験”を持ったことはマイナス面だけではないだろう。今回の野音で“部屋”という言葉の登場する歌がたくさん歌われた。部屋に引きこもり、鬱屈した感情を持てあましていた10代、20代の宮本の心模様を描いた楽曲の数々が2020年の今の自分にしっくりくる。部屋の中に縛り付けられているような感覚は最近なじみのものでもあったからだ。
「部屋の中にいる時の歌」という紹介で演奏された「何も無き一夜」もやけに染みてきた。歌い手としての宮本の素晴らしさは、どんなに昔の歌であっても、歌っている瞬間の感情を吹き込むことができる点にあると思うのだ。彼の作ったすべての歌はステージ上でリアルタイムの今の歌となり、聴き手の今と寄り添っていく。歌と連動していくような演奏も見事だった。部屋の中という小さな世界からスタートして、歌もひとり言のように始まったのだが、終盤、歌と演奏がダイナミックな広がりを見せて、部屋の中に宇宙が出現していく。
さらに深く染みこんできたのは「晩秋の一夜」。“虫の鳴き声と共にいた”という歌詞を、虫の鳴き声が聞こえる中で聞くのは格別だ。これは自然による見事な演出。宮本が23歳のときに作った歌とのことだが、生と死の狭間から聞こえてくるような切実な歌声に胸を揺さぶられた。と同時に、体の中に堆積していた重たい感情を浄化していくような宮本の歌のパワーをまざまざと感じ、宮本の歌に寄り添っていくような演奏も染みてきた。この日の「月の夜」からも宮本の歌の持っている浄化作用を強く感じた。高緑の表情豊かなベースと冨永の生命力あふれるドラムが気持ち良かったのは「武蔵野」だ。みずみずしくて、開放感がある雄大なアンサンブルが野外でのステージによく似合っていた。そしてその野外の気持ち良さは、部屋の中にも確実に届いてきた。
エレファントカシマシ
「無事なる男」、「珍奇男」、「かけだす男」、「男は行く」、「待つ男」など、この日演奏された“男”シリーズはどれも観ごたえ、聴きごたえがあった。愛、悲しみ、怒り、むなしさ、孤独感、焦燥感、衝動、気合い、夢、野望などなど、いろんなものが歌の中に詰まっていて、ステージ上で歌われることで、得体の知れないエネルギーが解き放たれていく。そしてその熱くたぎっているエネルギーを観客がしっかり受けとめていた。“男”シリーズ、あえて共通点をあげるならば、ライブで映えるということだろう。やはり生のライブ(配信であっても)はいい。
エレファントカシマシの野音コンサートがこれだけ長期間にわたって継続して開催されてきたのは、メンバー間の絆、スタッフとの絆、そしてバンドとファンとの絆の強さゆえだろう。コロナ禍の中、バンドはステージに立ち、人数は制限されてはいるものの、観客が見守った。その観客に向けての温かなメッセージのようにも聞こえてきたのは「友達がいるのさ」。歌が展開していくほどに、バンドの演奏も熱を帯びていく。「歩き出そうぜ」「また野音であおう」という宮本の歌声に胸が熱くなる。
エレファントカシマシ
この日、宮本が配信を観ている人に対して、特に何かを言及する場面はなかった。しかし目の前の観客にしっかり届けることこそが、配信で観ている観客にも届く最良のすべであることをよくわかっているのだろう。もちろん生のライブは最高だが、配信であっても、音楽は届いてくる。アンコール時での「ソーシャルディスタンス」と言いながらのメンバー同士の熱きハグはうるわしく、そして微笑ましかった。
ライブ配信は10月7日24時までとのこと。“百聞は一見にしかず”なので、この日のライブの素晴らしさは自分の目と耳で確かめるのが一番だろう。ひとつだけアドバイスするならば、実際のライブの開始時間に合わせて17時から観始めると、リアルタイム感を味わえるので、おすすめ。窓を開けて視聴すると、野外感も共有可能だ。ただし一緒に歌いたい人はご近所への配慮を忘れずに。

取材・文=長谷川誠

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