ブロードウェイ史を辿る新連載!「ザ
・ブロードウェイ・ストーリー」 VO
L.1 ヴォードヴィルについて

【SPICE編集部より】

 「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」をお届けします。文字通りブロードウェイの誕生から現在に至るまでに辿ってきた長き物語を、ブロードウェイ・ミュージカルに詳しい評論家・中島薫さんが連載にて綴っていきます。
 しかし、いま、なぜブロードウェイの歴史なのでしょうか?
 そのブロードウェイをはじめとする世界各国の舞台芸術が2020年8月現在、コロナ禍により危機的な状況に陥っています。そんな中、舞台芸術から何らかの恩恵を被ってきた人々なら誰しも、この先、それがどうなるかを考えることでしょう。その時、「温故知新=古きをたずねて新しきを知る」(by 孔子)の精神が有効なのではないか、と考えたのです。
 ならば世界のエンターテインメントの頂点に立つブロードウェイの記憶の回路に接続してみよう、そこで未来へのヒントに出会えるかもしれない、それによって私たちの心の免疫力を高められるかもしれない、と思われたのです。
 新たなる連載コラムにご期待ください。
ザ・ブロードウェイ・ストーリー The Broadway Story
☆VOL.1 ヴォードヴィルについて
文=中島薫(音楽評論家) text by Kaoru Nakajima
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、2020年3月12日より劇場街が閉鎖されたブロードウェイ。6月末に、来年1月3日までクローズの延長が発表された。ブロードウェイの歴史の中でも、これほど長期に亘る公演中止は例がなく、被害の大きさを物語る。来年無事に、劇場街が活気を取り戻す日を待ちわびるのみである。
 さて、今回より始まる連載「ザ・ブロードウェイ・ストーリー」。あまたの傑作ミュージカルを生み出した、ブロードウェイが歩んできた道のりを紐解きつつ、現在DVDなど映像で楽しめる作品や、それに関わったパフォーマーはもちろん、ソングライターや振付師・演出家らクリエイターを、時おり脱線を重ねながら紹介する趣向だ。初回は、ヴォードヴィルから行ってみよう。
元祖ボディビルダーの怪力男サンドウが率いる、ヴォードヴィル一座のポスター(1894年上演)。多彩な出し物がうかがえる。
■封印されたミンストレル・ショウ
 まずは簡単に、ブロードウェイ・ミュージカルの起源をたどれば、西暦1500年代末にヨーロッパで発祥したオペラ、その大衆版として1800年代中期から庶民に愛された喜歌劇オペレッタに行き着く。元々は、ヨーロッパ諸国の植民地だったアメリカ。1776年に独立後も、欧州からの芸能文化を輸入した。特に港町ニューヨークは、ヨーロッパ発のオペレッタを受け入れるのに最適な土地柄だったのだ。
 また一方では、アメリカ独自のエンタテインメントも誕生する。1800年代中盤から、1900年代初頭にかけて各地で上演され、人気を誇ったミンストレル・ショウだ。これは、白人の芸人たちが顔を黒く塗り黒人に扮し、彼ら独特のリズムやユーモア、所作を真似て、ソング&ダンスや漫才、コント風の寸劇を披露するショウ。差別問題に敏感な現在、特に今年5月ミネソタ州で起きた、白人警官による黒人拘束死に端を発する、「ブラック・ライヴズ・マター(黒人の命も大切)」が叫ばれる今では、写真や映像を紹介する事さえ憚れられる演芸の形態だ。
 しかし音楽面において、芸能史に残した足跡は大きかった。ミンストレル・ショウのために歌曲を書き下ろし、名を上げたのがスティーヴン・フォスター(1826~64年)だったのだ。〈おおスザンナ〉や、かつての運動会の定番曲〈草競馬〉、ケンタッキーフライドチキンのCMでおなじみの〈ケンタッキーの我が家〉、など、メロディーを聴けば誰もが知っている名曲は、ミンストレル・ショウ用に創られたナンバー。アメリカにおけるポピュラー・ソングのルーツとなった。
フォスター名曲集は、様々なレコーディングが発売され、家庭で広く親しまれた。
■元祖「あらびき団」と腹話術
 その後ミンストレル・ショウから派生した形で、1880年代から1920年代末にかけ、一世を風靡したのがヴォードヴィルだ。この単語だけは聞き覚えある方が多いはずだが、エンタテインメントのジャンルの一つで、ミンストレルよりは上演される演目が多岐に及ぶ。歌と踊りのパフォーマーはもちろん、漫談家に曲芸師、マジシャンらがMCの紹介で次々に芸を見せる、シンプル極まりない構成だ。
 ネタは玉石混交。後述する一流どころの芸人から、男の腕に乗ったアヒルが、歌に合わせて「クワッ!」と鳴くだけの、「男と歌うアヒル」のようなナンセンスな珍芸まで様々だった。日本ではTBSが放送した、有名無名芸人が奇想天外な芸を競い合う「あらびき団」(2007年~)が、ヴォードヴィルのエッセンスを再現している。
 またブロードウェイ・ミュージカルでは、米倉涼子主演で2008年から日本で再演を重ねる『シカゴ』のリバイバル版。実は1975年のブロードウェイ初演は、「ミュージカル・ヴォードヴィル」と銘打たれていた。これは、ジョン・カンダー(作曲)&フレッド・エッブ(作詞)によるナンバーが、1920年代の懐古調で書かれているだけでなく、各曲を独立した見せ場として舞台を進行。曲の前にMCが、「さて、これから御覧に入れますは……」と口上を入れ、そのスタイルを継承していたのだ。劇中でヒロインのロキシーが、弁護士の膝の上で腹話術の人形よろしく口パクで歌う〈ウィ・ボース・リーチト・フォー・ザ・ガン〉は、正に往年の定番演目へのオマージュ。腹話術は、ヴォードヴィルには欠かせない出し物だった。
『シカゴ』でヴォードヴィル・スタイルのナンバーを披露する、主演の米倉涼子(中央)とキャスト ((c)CHICAGO 2019ブロードウェイ公演)
■アステアからケイリー・グラントまで
姉アデールとコンビを組んでいた、7歳のフレッド・アステア(左)
 ヴォードヴィルで芸を磨き、その後ブロードウェイやハリウッドで大成したパフォーマーは数知れず。ソング&ダンス系の代表格が、フレッド・アステア(1899~1987年)だろう。姉のアデールと組んで、子役時代からヴォードヴィルの舞台で活躍。映画「ジュディ 虹の彼方に」(2019年)で、凄絶な人生が明らかになったジュディ・ガーランド(1922~69年)も、幼少時から家族で全国を巡演した。
姉妹とヴォードヴィルで活躍したジュディ・ガーランド(左端)。1935年には短編映画に出演した(当時13歳)。 Photo Courtesy of Scott Brogan
 名作「雨に唄えば」(1952年)のドナルド・オコナー(1925~2003年)も、同様に子役出身。彼がこの作品で、壁を駆け上がってバク転をするなど、アクロバティックな体技を存分に見せる〈笑わせろ〉は、ヴォードヴィル芸の集大成だ。意外なところでは、「北北西に進路を取れ」(1959年)などの、二枚目俳優ケイリー・グラント(1904~86年)もヴォードヴィル出身。曲芸師として活躍した。
「雨に唄えば」(1952年)で、〈笑わせろ〉を歌い踊るドナルド・オコナー (DVDとブルーレイは、ワーナー・ホーム・ビデオよりリリース)
 コメディアン系も人材豊富だった。喜劇王チャールズ・チャップリン(1889~1977年)を筆頭に、「オズの魔法使」(1939年)で弱虫ライオンを演じたバート・ラー(1895~1967年)や、「メリー・ポピンズ」(1964年)で、笑い過ぎて身体が宙に浮いてしまう老人に扮したエド・ウィン(1886~1966年)は、ヴォードヴィルを代表する人気コメディアン。映画の中でも、古参芸人風のいい味を出している。また、漫才コンビのスミス&デイル(1920年代に活躍)は、ニール・サイモンの傑作戯曲『サンシャイン・ボーイズ』(1972年)のモデルとなった。
「オズの魔法使」(1939年)のバート・ラー(左端)。かかし役レイ・ボルジャー(中央)と、ブリキ男のジャック・ヘイリーも、ヴォードヴィルへの出演が多かった (DVDとブルーレイは、ワーナー・ホーム・ビデオよりリリース)。Photo Courtesy of Scott Brogan
エド・ウィンが主演したTVショウのDVD。 「メリー・ポピンズ」(1964年)のDVDは、ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント、ブルーレイはウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社よりリリース。
■ヴォードヴィルの遺産
 最盛期は、アメリカの主要都市に多くの専用劇場が創られたヴォードヴィル(今なお現存する劇場は、1913年にブロードウェイでオープンしたパレス劇場)。ところが、1926年に本格的に放送を開始したラジオや、トーキー映画の出現(1927年)に押され、人気に陰りが出た。さらに、同じパターンを繰り返しマンネリ化した演目が、観客に飽きられ始める。以降1930年代からは、ヴォードヴィル劇場も映画館へと鞍替え。上映の合間に余興を見せるスタイルを取り、彼らは「クーラー」の名で蔑まれた。熱を持ちやすかった初期の映写機を、冷却するための時間稼ぎだったのだ。時代の波に乗り損ねた芸人たちは、やがて引退を余儀なくされてしまう。
 しかしアステアを始め、前述のコメディアンら才能に恵まれたパフォーマーは、その後ブロードウェイで大活躍。ソング&ダンスがメインのエンタテインメントに徹したミュージカル・コメディーで、ヴォードヴィル仕込みの至芸で鳴らした。加えて、ミュージカル・ナンバーの振付(特にタップ・ダンス)では、ヴォードヴィルで好評を博したテクニックの多くが踏襲されている。TVへの影響も顕著だった。強面の司会者エド・サリヴァンが、自らの鑑識眼で選んだ歌手やダンサー、芸人たちを紹介する「エド・サリヴァン・ショウ」(1948~71年)は、ヴォードヴィルの構成に倣っていた。
ヴォードヴィル劇場だった頃のパレス劇場(1920年)。 1966年からミュージカルを上演し、『ラ・カージュ・オ・フォール』(初演/1983年)や、『美女と野獣』(1994年)などがロングランを記録した。
 VOL.2では、ヴォードヴィルに続きブロードウェイ・ミュージカルの礎を築いた、レヴューとオペレッタを特集しよう。

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