作・長田育恵×主演・上白石萌歌にき
く作品への強い思いとは 骨太の人間
ドラマ『ゲルニカ』インタビュー 

1937年、人類史上初の無差別空爆の標的となったスペインの都市ゲルニカ。その爆撃を主題として描かれたパブロ・ピカソの名高い絵画に着想を得た人間ドラマが誕生する。長年、この絵画に強い思いを抱いていた演出家・栗山民也のオファーを受け、芥川龍之介や三島由紀夫作品の脚色も手がけてきた劇作家・長田育恵が書き下ろしたのは、ゲルニカの地に生きる人々の群像劇。長田と、主人公の少女サラを演じる上白石萌歌に作品への意気込みを聞いた。
ーー栗山民也さんから「ゲルニカ」を芝居に……というお話があったとき、どんな会話を交わされましたか。
長田:「ゲルニカ」の複製画が栗山さんのお宅にずっとかけられていたそうで、この絵で芝居を……ということを考えていらっしゃったとお聞きしました。そして、「ゲルニカ」とは人類の記憶に刻まれた絵画の一枚であるということも仰られていて。そんな新作を私に託してくださったということなんですが、内容についてはそこまで具体的にお話があったわけではなくて。どこかであの絵の光景が現れるということ、ピカソの評伝劇ではないのでピカソにはふれないこと、スペイン内戦を描くこと、という概略はいただきました。これは栗山さんが追い求めてこられた普遍的なテーマでもあると思うんですが、史上初の無差別空爆というものを背負ったゲルニカという街をテーマに、人間が背負ってきた業であるとか、残虐、あらゆる悲惨、憎しみ、そういったものを今、正面からもう一度考えてみるというお題を渡されたんじゃないかなと思っています。最初は、日本でいうとヒロシマやナガサキのことであったり、あるいはアウシュビッツのことであったり、ゲルニカに続く数々の悲惨について思い浮かべていて。
でも、昨年秋、実際にゲルニカに足を運んでみて受けた印象は、自分の先入観を超えてくるものだったんです。無差別虐殺への怒りというテーマが、ゲルニカに実際降り立ったことで、私の中でちょっと印象が変わったところがあって……。帰国してから栗山さんに、違う観点で書いてみたいというお話をしました。どういうあらすじにしようか決めないままゲルニカに降り立って、爆撃された街を歩いてみたんですが……。街自体は10分くらいで中心はだいたい回れるんです。中心地は市場をやっていた目抜き通りから爆撃がはじまり、ほぼ焼き尽くされたのですが、街のシンボルである「ゲルニカの木」と、今は記念館になっている元領主の館は焼け残ったと言われていて、その、焼け残ったものから話を作っていきました。行ったときちょうど収穫祭が行われていまして、雨がよく降り、緑が豊かで、日本と似ているんです。そのせいか、すごく近しいものを感じて帰ってきました。
焼け残った木と館から着眼した物語は、他にはない、自分が探してきた物語だと思っています。ヒロシマやナガサキは、原爆の痛みをとどめ、忘れないようにすることで、痛みや残虐がその時代特有のものであるというように、ある種、ケースの中に閉じ込める、そういう記憶の保管の仕方をしているように思いましたが、ゲルニカの平和記念館での展示は、爆撃当時の様子を記録するのは建物の半分くらいしかなくて。後の半分は、現在世界で行なわれている平和活動を紹介する展示になっていました。ヒロシマ、ナガサキはメモリーをとどめることによって次に進もうとしているけれど、ゲルニカの場合は、人間が人間に行なうあらゆる残虐行為はある時代に特有するものではなく、いつの時代にも人間は繰り返し得る、だからこそ抗い続けなくてはならないという、現在進行形の意志を感じました。ゲルニカとは、残虐なことがあった地ではありますが、人間が次の一日をどうやって生きるかという意志を示していく地でもあるんじゃないかなと感じたんです。
長田育恵 撮影:源賀津己
ーー出演の話を受けていかがでしたか。
上白石:緊張やプレッシャー、期待で震えたことを覚えています。舞台を拝見するのはもちろんのこと、栗山さんの書かれた「演出家の仕事」も愛読していて。その本を題材に大学のレポートを何枚も書いてしまうくらい尊敬している方なので、とにかく震えました。初めて読んだのは高校生のときで、本には栗山さんが手がける作品や俳優にどういったものを望むか、それに、今までの舞台の稽古風景を細かく書いてある章もあって。お芝居について書かれているところもたくさんありましたが、とにかく役者は聞くこと、受けることを大事に考えた方がいいと書かれてあったことは、今でも私がお芝居する上でのモットー、軸になっているところです。2年前に『組曲虐殺』も観劇しましたが、今自分が暮らしている世界とはまったく別の時代にタイムスリップすることができて……。栗山さんは過去、現在、未来まで、いろいろな時間軸にまたがる作品を作っていらっしゃいますが、時代感や、昔の言葉の美しさであったり、家に帰るまで胸の中でぐるぐるしているものが必ずあって。視覚的にも美しくて、魅力的な舞台だなと思いました。
ーー今回、宛て書きされた作品となります。
長田:キャスト・主役の方によって物語がどうなるかわからず、男性主人公の場合や、女性の場合はこう、30代の方だったらこうと、あらすじも何パターンか作っていたんです。主役が上白石さんに決まった段階で、そこから物語を組み上げ、全部宛て書きしました。上白石さんが、サラという少女として、この作品の中で世界をどうやって見渡し、考え、成長していくかをとにかく描いていこうと思って。今、私が感じるそのままの彼女をすべて預からせてもらおうという感じで。二十歳になりたてで、これから何かを見ていこうとする年齢。でも、この間初めてお会いしたんですが、勝手なことを言うと、ご自分にとっての大事なものを自身でもうすでに選び終わっている感じがしたんです。自分で自分の尊厳みたいなものをちゃんと守れる人だなと、勝手にですが思っていて……。『ゲルニカ』は一人の少女が成長していく物語ですが、間違っているものは間違っていると彼女の目には映ってほしいし、でも、どうしようもなく突き進んでしまうときには、そんな悲しさや愛おしさもちゃんと掬い上げていってほしいなと思いますし。完全に上白石さんの全存在を借りて書きました。
上白石:私がこの作品に参加させていただくと決まったことからこういうあらすじになったということは、今初めてうかがいました。前半は、これから何が起こるか予測できないような、穏やかで尊い日常が描かれていて、この人々がこれからどう動いていくのだろうと思うと、自分自身読んでいて本当に心が痛む思いで。それを自分なりにかみ砕いてお芝居していこうと思っています。
上白石萌歌 撮影:源賀津己
ーー「ご自分にとっての大事なものをご自分でもうすでに選び終わっている感じ」という長田さんの言葉についてはいかがですか。
上白石:どうなんだろう……。
長田:上白石さん自身は自意識ではわかっていないかもしれませんが、何かきっと選んでいるのだと思います。そういう人はきっといると思っていて。それは自分自身ではわからないことだと思うけど、自分の本質みたいなものがちゃんとゆるぎなくあると思います。会って二回目だけど、勝手にそう思っていて(笑)。ゆるぎないものがあるから、もしかしたらかたくなに映るところがあるのかもしれないけど……。いいように言いくるめようとする人が現れたりしても、手なづけられない人かもしれないなと。そういう意味で、自分にとっての大事な領域がきちんとあって、そこに照らし合わせながら道を決めていくんじゃないかなと思って。
上白石:まだお会いするのは二回目なのに、私の深いところをすごく見ようとしてくださっているなと今とても感じたので、私も長田さんにすべてを委ねていけたらと思っています。
ーー「ゲルニカ」という絵についてはいかがですか。
上白石:私の通っていた中学校に、「ゲルニカ」の複製画があったんです。今回のお話をいただいたとき、そのレプリカを見たときに感じた恐怖、動きを止めてしまいそうな圧、写実的ではないのに、なぜこんなに悲痛な叫びが聞こえてくるんだろう……という印象を思い出しました。初めて見たとき、動けなくなってしまったんです。そんな印象を与える絵がいったいどんな舞台になるんだろうと、私自身期待するところがあって。私は2000年生まれなんですが、ゲルニカ爆撃の話を知ったとき、2000年に起きた9・11の同時多発テロのことを考えて、どこか他人事じゃないように感じたんです。人間はどうしてこんなに残虐になれるんだろう、そんな怒りや恐怖が一気に自分に迫ってきたところがありました。今の時代、戦争とは無関係のように思えていますけれど、本当に何が起こるかわからないし、もしかしたら今後、日本がこれまでのような日本でいられなくなってしまうんじゃないかという思いもあって。この『ゲルニカ』という作品が描く真実は決して他人事ではないと思います。
長田:今までで一番書くのが大変な作品でした。普通はだいたい執筆開始から一カ月半くらいで一作書けていたのが、今回、一年以上取材してきて、執筆開始から二カ月半くらいかかっていて。こんな大きな題材を、日本人で今の時代に生きている私が書けるわけがない……みたいな、そんな重圧が大きくて。書き進めることができるようになるまですごく大変でした。
でも、今、こういう状況になって、ゲルニカに生きている人たちと、今の私たちとが不思議なくらい似ているなと感じ始めたんです。私が書いているゲルニカの人たちは、最後、爆撃にあって死ぬことはわかっている。では、そういう結末を迎えてしまう彼らを愚かであると笑えるんだろうか、ということがテーマとしてあって。例えば、日常の中でふっと思った違和感などを、そのまま解消しないで選択、決断していってしまったり、ちょっと心の中でブレーキがあったけど、大きな流れはあっちに向かっているからそのブレーキに気づかなかったふりをしたり、ということがあるんじゃないかなというか……。今の日本のSNSなんかを見ていても、そういうことってたくさんあると思うんです。そういう選択の一つひとつが重なっていって、ゲルニカの場合はこういう未来が訪れた。でも、そのときの選択にはいくつも分岐点があったのに選び取れなかった、すべてを間違えてしまった彼らのことを、今の私たちは笑えるんだろうか……と思って。サラという主人公の少女も、よかれと思い心が赴くままにいろいろなことをし、誰かを愛したりするけど、それがかえって悲劇を招くことになるかもしれない。でも、愛したことは間違いだったのか。そのとき誰かに寄り添いたいという気持ちは愚かだったのかと言えば決してそうではないはずだから。結末がどうであれ、その瞬間まではどこかにちゃんと向かおうとしていた人たちのことを書き続けるべきだ。そして、今の日本のお客様が観たときに、現代日本にも通じるところがある、自分にも似たところがあると感じてもらえたらと思うんです。“ゲルニカ=無差別空爆”というレッテルが貼られていますが、そこで止まってしまうと思考停止になってしまいます。だから、観劇後、そのレッテルがなくなるような作品になったらと思っていて。
私にとって、ゲルニカが意味するものとは、憎しみに飲み込まれず、自らに抗い、自由を求め続ける、そんな約束を交わすということなんです。ゲルニカの民であるということは、自由に向かって歩き続けるという約束をすでに交わしたということ、そんな風に思っていて。焼け残った「ゲルニカの木」は、バスク地方の人たちに非常に大切にされてきた樫の木で、ゲルニカの地が特別だとされていたのもその木があったからなんです。スペインで王様が即位するときも、わざわざバスクという一地方の小さな町ゲルニカに挨拶に来て、木の下で、民に尽くすことを誓う平和の象徴で……。そんな街に生きるということは、憎しみには巻き込まれない、そんなものなんかに自分の魂を売り渡したりせず、尊厳を守って自由に向かって歩き続けるという約束を一人ひとりが自分自身と交わしているということなんじゃないか、そんな思いを物語に集約させました。ですから、悲劇ではあるけれど、登場人物それぞれの生きる意志が描かれているから、悲劇には見えないかもしれない。それが、希望ということなのかなと思うんです。
長田育恵 撮影:源賀津己
ーー上白石さんはこのコロナ禍で、2月末、出演舞台『お勢、断行』がゲネプロ前夜に全公演中止になりました。
上白石:今は、全世界のすべての人たちが見えない不安と共生していかなくてはいけないときだと思うんです。今の空気を吸っている私たちが、この作品の中で、1930年代という昔の時代の物語を演じるわけですが、この状況下でしか伝えられないこと、そして、今しか感じられないこともたくさんあると思うので、今だからこそ届けたい作品だなと思います。今まで舞台に立たせていただく中で、初日が来るのは普通のこと、お芝居ができることが普通だと何となく思っていましたが、決してそうではなくて、いろいろなことが整った上でやっとできるものなのだということや、少しずつお芝居の仕事も再開してきた中、演じることは自分にとってこんなにも大きなことだったんだなと実感しました。自粛期間を越えて、今まで以上にお芝居を通して伝えていきたいという思いが強まってきています。
小さいころ、ミュージカルを勉強していて、舞台は自分を解放できる場所である、そんな楽しさを感じたという原点があるんです。生の人物として生きて、何かを発信できる。そこが、ドラマや映像とは違う、舞台にしかない要素だと思っていて。生身の人間同士でぶつかっていって、それを生身の人間が観ているという、とんでもない空間だなと思うんです。舞台以外ではなかなか、一か月も稽古して深めていくという時間はとれないですし、そうやって一つの作品、役を深めていく時間がとても濃密で魅力的だなと思います。今回演じるサラという少女は、元領主の娘でありながら、一般市民の人との違いのようなものに非常に違和感をもっている人。今以上に階級意識が強かった時代だと思うんですが、日々生活する上でのちょっとした違和感、なんで私はこんな風に育ってこんな立場にいるんだろうと、違和感をすごく抱いている子で。二十歳くらいの設定ですが、私もこの前二十歳になりまして……。これからいろいろなことを知っていくドアの前にやっと立てたような状況なので、私もサラも、新しい目で物事を見ていきたいという点では似ているのかなと思います。
ーー演劇で伝えられるものについて、今のこの状況で改めてどう思われますか。
長田:私の劇作の師匠である井上ひさし先生が仰っていたのが、人生で一度しか言わない言葉を書きなさいということ。演劇とは、登場人物が生の人生をそのまま生きていて、その人生の中で、たった一度しか言わない言葉を今まさに目の前で言う、誰かの人生にふれたり立ち会えたりする時間がまぎれもなくあるものだと思っていて。客席と舞台上とで、生身の人間同士が出会う、誰かの人生に立ち会うというのが、テレビや映画とはまた違うところだと思うんです。改めて、本当に力のあるものだと今思っています。書きあがったからようやくふうと力が抜けたんですけど、書いている間はすごく苦しくて。そのかわり、これほどの題材を与えてもらわなければ書かなかったセリフがたくさんあるんです。サラにしても、さまざまなシチュエーションで、一生に一度しか言わないようなことを何度も言いますし。それが演劇の魅力じゃないかなと感じています。
上白石:長田さんの書かれたセリフは、日常の中のふとしたものでも、すごく強さを秘めた言葉がたくさんあるんです。栗山さんの演出される舞台でも、言葉の強さというものをすごく感じたなと思っていて。現段階で、歌になるかどうかわからないですが、詩のような部分もあって。そこも物語の核のような言葉が綴られた箇所だなと思っています。第一稿というものに立ち会わせていただくのも初めてなので、大事に読んでいるところです。
長田:あらゆる可能性が目の前にあった状況で一年過ごしてきて、キャストが決まったのが今年の1月あたりで。どういう主人公にするか、取材で深めるべき場所も、キャストによって変わってきますし、何か、一年間、漠然ともがいていた感じでした。そしていざ、キャストが固まって、2月は自分の劇団の公演があって、東京公演を経て北海道ツアーを終えて帰ってきたらその夜に緊急事態宣言が出て。この作品の執筆に取りかかろうとしたときはすでにこの状況だったんです。2月に公演していたとき、まさか今のような状況になるとは思っていない、でも、そのまさかがどんどん本当になっていった。だから今回、劇中の人々とすごくシンクロしながら書きました。劇中の人たちも、まさかまさかとたくさん思っていて、それがどんどんそうなっていってしまう……。そうなっても、でもまだやっぱり信じられないところがある。ちょっとだけぞっとするようなシンクロを感じながら書いていて。今、私が俯瞰して1930年代のゲルニカの人々を書いているように、今の私たちを俯瞰すると、足元で何かが始まっているのかもしれない、そんなシンクロを感じて。去年一年間は、架空の物語を書くつもりでいたんですが、架空なんだけど、妙に共感するところもある、この器を借りて、今のことも入れ込んで書いている、そんな作品になったかなと思っています。
ーー共演者の皆さんについてはいかがですか。
上白石:早霧せいなさんとは、2018年に小池修一郎先生の『るろうに剣心』で、剣心、薫としてタッグを組ませていただいていて、今回はジャーナリストを演じられるのですが、どう関わっていけるか、楽しみです。共演の皆さんは舞台の大先輩ばかりで、そんな中で最年少の自分がどうやったらついていけるんだろうという不安はもちろんあるんですが、先輩方の背中を見てすべて吸収していけたらなと思っています。
上白石萌歌 撮影:源賀津己
ーー栗山さんとタッグを組まれるのは初めてです。
長田:井上ひさしさんとの仕事をずっと拝見してきて、栗山さんはいつもものすごく深い芯があって、舞台の上で過去と現在と未来がすべてつながるような、そういう体験をさせてくださる方だなと思っています。ある意味、人類の大きな流れを描くような今回の題材でご一緒することができて、ちょっと震えるような思いがあって。なぜ私でゲルニカを? ということは、怖くてちょっと聞けていません(笑)。希望的観測を言うと、栗山さんの中で、以前手がけられた『GHETTO/ゲットー』と『ゲルニカ』とを、呼応する作品、レスポンスとなる作品として位置付けていらっしゃるのではないかと思っていて……。それを、海外の作家ではなく、日本人作家の新作でと考えたとき、栗山さんの中で、世代が下の私たちと作ろうと考えてくださったんじゃないかなと勝手に思ったんです。栗山さんの中には、新しい作家を育てるという思いもおありになると思うので。だからこそ、これからたくさん学ばなくてはいけないと思っています。井上ひさし先生は、心を物語で照らすということをずっとされてこられましたが、私もそういう作家になりたいと思っていて。やっぱり、器が大きくないとそういう作家になっていけないので。栗山さんとしては、バトンを渡してみるからやるだけやってみてということではないかなと、勝手に解釈しています。
ーーゲルニカ爆撃に象徴されるような人間の残虐さは、非常に残念ながら、いつの時代も変わらず存在するというか、例えば今のこの状況でも、刺激されて出てきてしまったりしているところがあるのかなと……。
長田:SNSでも、顔も見えない相手だから、どんなことでも言えてしまったり、まるで殺してしまってもかまわないみたいな、匿名性がある限りは何をやってもいいようなところってあったりしますよね。劇中にも難民が登場するんですが、難民相手だったら何をしても許されると登場人物が考えてしまうみたいなこととか。本当に、今のいろいろなことと作品の時代がリンクしているところがある。人類はまだちゃんと答えを出せていない段階にあって、ゲルニカはその宿題の一つでもあって。“ゲルニカ”は何度でも起こり得るとゲルニカの人たちは思っているんです。ヒロシマ、ナガサキは二度と起こらないと思っている日本人は多いのかもしれないけれど、やはり、何度でも起こり得る、そんなメッセージになるんじゃないかなと思っています。だから、今、私たちはどうするのかという作品になればと……。現在、オンライン演劇等、いろいろ登場しましたが、劇作家としては、私は自分の仕事を淡々とやろうと考えています。そんなに器用にいろいろ書けるタイプじゃないんだなと、自分で認めざるを得ないというか(苦笑)。今こうやって目の前に書かせてもらえる大きな物語がある、その物語だけを見つめること、その方が、かえって届く言葉を書けるのかもしれないと思いました。
本公演は2020年9月4日(金)東京・PARCO劇場を皮切りに、京都、新潟、愛知、福岡にて上演される。
■上白石萌歌
ヘアメイク:冨永朋子(Allure
スタイリング: 道端亜未
取材・文=藤本真由(舞台評論家)

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