牧阿佐美が語る、自作と母・橘秋子が
遺した『角兵衛獅子』への思い ~「
日本のバレエ」を創り続けたい~

日本バレエ界を代表する名門である牧阿佐美バレヱ団が、2020年8月11日(火)に「サマー・バレエコンサート 2020」を急きょ開催する。古典バレエの名作からパ・ド・ドゥとオリジナル作品を上演し、主宰・牧阿佐美の新旧作品や牧の母・橘秋子が遺した『角兵衛獅子』(第2幕)も披露する特別な機会だ。牧に上演作品や創作への思いを聞いた。

■ダンサーたちを心配した自粛期間
――2月下旬、政府から公演自粛要請が出て、4月には緊急事態宣言が発令されました。その期間をどのように過ごされましたか?
本当につまらないというか、ほとんど家にいて退屈しておりました(笑)。最初の頃は20年、30年分の疲れがドッと出てきたので、やりたいことはたくさんあったのですが考えられませんでした。途中からは掃除をしたり、三食を自分で作ったりしていました。外での会議やバレヱ団のオンライン会議に出ることもありましたが、家で消毒・洗濯ばかりしていましたね。
――こんなことは長きにわたる舞踊生活の中でも初めてかと思います。
一番心配したのはダンサーたちが稽古できないことです。バレヱ団の舞台も2本キャンセルになりました。ダンサーは常に磨いていないと駄目なんですね。研いだ包丁やナイフが錆びてしまうのと同じように美から離れていくんです。3か月休んだので、完全に元に戻るためにはその3倍、1年くらいかかると思います。リモート・レッスンをやった時期もありますが、家で狭い所に立ってずっと運動するのは良くないんです。バーレッスンばかりしていると足が太くなったりするので長くはやれません。それに皆プロなんだから基礎は自分でできるわけです。
『ラ・バヤデール』(c)スタッフ・テス㈱

■母・橘秋子50回忌に創作中心に
――「サマー・バレエコンサート 2020」は、「この時期に可能な形でのバレエ公演」として古典バレエの名作などにバレヱ団のオリジナル作品を加えたガラコンサートです。この形態で急きょ上演しようと思われた経緯を教えてください。
4月の橘バレヱ学校創立70周年記念公演にバレヱ団の人が加わって『角兵衛獅子』をやる予定でしたが中止になりました。今年は母・橘秋子の50回忌なんです。今の生徒は母のことを知りません。だから学校公演でできなければバレエ団でやろうと考えました。それから私の『トリプティーク(青春三章)』は、バレヱ団のロシア公演でも上演した作品ですが、それをやってみたかったんです。クラシックの作品に関しては、なるべく顔を合わせないでできるものを選びました。
『角兵衛獅子』(c)エーアイ、撮影:塩谷武
――牧先生、橘先生の創作に接する貴重な機会です。
私は小学生の頃に振付を始め、小学5年生のときにショパンの前奏曲第15番「雨だれ」を使ってソロを創りました。すると母が「阿佐美、これは白鳥が夢を見ているような感じがする」といって『白鳥の夢』という題名の30分のバレエにしてくれました。創ることは好きで、アキレス腱を切って踊れない時期は自分が振付していました。芥川也寸志先生の音楽を使った『トリプティーク(青春三章)』は、そのあとに創りました。1968年に3人の作曲家の曲による公演をやったときに、團伊玖磨先生の『シルクロード』、黛敏郎先生の『ブガク』と一緒に上演したんです。

橘秋子『角兵衛獅子』新潟取材にて
■巨匠作曲家の音楽と共に
――『トリプティーク(青春三章)』の初演は1968年、第8回NHK音楽祭「バレエの夕べ」で、今回30年ぶりの再演です。1953年に作曲した「弦楽のための三楽章」に振付したもので、第一楽章は「希望」、第二楽章は「感傷」、第三楽章は「情熱」を表します。
若さがある青春のものとして創ったんです。音楽に沿いましたが、音の通りにできているというよりもイメージ・全体がそう見える感じでした。今回はそれに倣いつつ少し直そうと思います。自分で第二楽章のパ・ド・ドゥを踊りましたが、芥川先生の音楽はきれいなので気に入っていました。のちに新国立劇場バレエ研修所に別の振付をしてモスクワのクレムリン宮殿で上演したのですが、そのときミラノ・スカラ座バレエ学校の前ディレクターに「この曲は誰が作曲したのか?」と聞かれました。15分くらいですがまとまっていますし、海外に行くときに日本人の作曲家の作品として凄くいいなと思います。
『トリプティ―ク』牧阿佐美&畑佐俊明
――『カルメン』より カルメンの踊りも上演します。芥川がロディオン・シチェドリン(編曲)に使用許可を求め、TBSの「コンサート・コンサート」で牧先生が振付されたそうですね。1971年の「橘秋子追悼公演」でも上演され、以後バレヱ団のコンサート演目になっています。
幕開けにカルメンの性格を出しているところです。当時、芥川先生からお話をいただいて月に1本作品を創っていました。先生がロシアから帰ってこられたとき、「シチェドリンに許可をもらったので振付してください」と言われました。シチェドリンはマヤ(・プリセツカヤ)のご主人なので、彼女から私のことを聞いていたと思います。シチェドリンの作品の演奏許可が下りるのは難しかったんです。その頃、テレビの依頼で振付をする機会がたくさんあってありがたかったですね。音楽が届くのが撮影の2週間前ということもありましたが、当時のダンサーたちは振りを早く覚えてくれました。
――牧先生の作品ではもうひとつ「ゴットシャルクの組曲」よりも披露します(音楽:ハーシー・ケイ/ルイス・モロー・ゴットシャルク)。ジュニアの選抜クラスA.M.ステューデンツの第3回公演(1985年)から現在まで続く、フィナーレに出演者全員で踊る定番曲です。
女の子向けに創ったのですが、今回は男性15~16人に新しい振付を踊ってもらいます。新作を創るためには本来もっと本格的に考えなければいけないのですが、まずダンサーたちに踊ってもらいたいと考えました。リズム感があるので、その強弱で創っていきます。滑らかさとシャープさが出てきてくれれば。日本人って、どちらかというとリズム感がないんですよ。日本では二拍子がほとんどなので、三拍子の豊かさがない。今は違ってきていますが、日本人に三拍子は難しいとは思います。

『コサックの歌』(c)O.S.アーツプロダクション㈱
■母子で創り上げた『角兵衛獅子』
――第二部でさきほど話に上りました故・橘秋子先生の『角兵衛獅子』第2幕(初演:1963年、音楽:山内正)をバレヱ団としては42年ぶりに上演します。
母に連れられて新潟の月潟村まで角兵衛獅子を見に行ったんです。昔は捨て子たちが年に1回、月潟村の地蔵祭りに集まってくる。そこで捨てた親とか、さらわれた親が自分の子を探すんです。そこから創ったんですね。親に連れて帰ってもらえる子もいるのですが、主役の姉妹の親は来ないんですよ。それで結局また1年旅回りをしないといけない。昔の第1幕と第2幕を私がくっ付けて少しカットしたのが今の第1幕です。昔の第1幕・第2幕は軽業もあって肩の上でいろいろやったりするのですが取ってしまい、今の第2幕に少しだけ入れています。今回上演する第2幕は、お祭りのフィナーレで角兵衛獅子たちが赤いさらしを持って踊る場面です。
『角兵衛獅子』(c)エーアイ、撮影:塩谷武
――初演の頃の思い出をお話しください。
私は踊っていないんです。私と大原永子さん、森下洋子さんは年齢が離れていたので、母は永子さんと森下さんに『角兵衛獅子』を、私に『飛鳥物語』(1962年、音楽:片岡良和)を創りました。でも『飛鳥物語』も『角兵衛獅子』も私が半分くらいは振付しています。母は台本を書き構成もするのですが、ステップを創るのは私がやらされたので、角兵衛獅子の所作や歩き方を取り入れました。母は弟子たちに小笠原礼法をやらせていたので、姉妹にはその雰囲気も少し入っています。母も私も若かったですね。音楽に合わせて私が振付しましたが、母が「合わない」といったら、そこを変えて挑戦していきました。

『角兵衛獅子』初演ポスター
■「日本のバレエ」を創り続けたい
――2016年に『飛鳥物語』を『飛鳥 ASUKA』としてプロジェクションマッピングも導入してリ・クリエイションしました。初演ではスヴェトラーナ・ルンキナ、ルスラン・スクヴォルツォフが主演しました。富山での再演時にはニーナ・アナニアシヴィリが来ました。ことあるごとに「日本のバレエ=日本人しか踊れないものではなく、世界中のバレエ団やダンサーが踊れる作品を創りたい」という旨をおっしゃっていますね。
「日本のバレエ」を創るとき、衣裳で失敗することがあります。『飛鳥 ASUKA』の舞台は奈良時代で、シルクロードの影響も受けているため洋服っぽい衣裳でできました。『角兵衛獅子』も、もんぺなので何とかなるんですね。江戸時代の着物になると難しい。バレエって脚の線なんですよ。脚の動きを隠してしまうと、手が上がるのと後は顔だけですよね。だから、なるべく美しく見える線の連続で創りたい。2019年にウラジオストクで『飛鳥 ASUKA』を上演したとき、美しく見える斜めのラインを使って振付すると、批評でもきれいだと書かれましたし、マリインスキー劇場で踊っていた教師の方に「初めてこんなきれいなバレエを見た」といっていただきました。バレエは瞬き一つ、角度一つに意味があるんです。日本人は体格のこともあるので、きれいにするしか表現がないような気がします。

『飛鳥 ASUKA』スヴェトラーナ・ルンキナ&菊地研 2016年(撮影:鹿摩隆司)

――ルンキナやアナニアシヴィリが『飛鳥 ASUKA』を踊ったのをご覧になりいかがでしたか?
ルンキナは、私が「ここまでのラインを出してもらいたい」というと、ちゃんとやってくれるんですね。動きの中の精神的なものも出してくれました。ニーナもそうです。ただ、止まったときや、かちっとしたときの精神的なものを、踊りを通して出すのは難しいですね。
――普遍的なバレエ作品になったという手ごたえはありましたか?
はい。ロシアで『白鳥の湖』が創られても、それを教えなかったら絶対世界中に広がらなかったと思うんです。ロイヤル・バレエの『マノン』にしてもそうです。私は「日本のバレエは日本人にしか踊れない」というのが凄く嫌なんですね。『飛鳥 ASUKA』をルンキナが踊り、ニーナも踊ってくれる。そのようにして日本のバレエを世界に知らせていきたい。一昨年、新国立劇場バレエ団が『不思議の国のアリス』を上演しましたが、振付のクリストファー・ウィールドンは「英国人がやるのとは違う表現があると思うから日本に来たんだ」とおっしゃったと聞きました。日本人が踊ったらどう違うのかというのを見たいわけです。私もそう思うんです。日本のバレエも世界中の人に踊ってもらいたい。日本の精神を感じながら、その人たちの表現で。バレエであればいいんです。バレエになれば。バレエ=『白鳥の湖』だけではありません。
『飛鳥 ASUKA』青山季可&清瀧千晴 2019年ウラジオストク公演(撮影:瀬戸秀美)
――今後の創作への意気込みをお話しください。来年2021年は牧阿佐美バレヱ団創立65周年です。記念になる作品を上演されるのではないかと期待しているのですが。
まだ迷っていますが考えています。実は黛先生と「光源氏」(「源氏物語」)をやろうとしていた時期があるんです。1980年代の半ばより前ですが、海外で初演できないだろうかと打ち合わせしていましたが結局実現しませんでした。当時若手の女性が多かったので「光源氏」をやろうとしたんです。今度はそれをやるか、別の「日本のバレエ」を創るかのどちらかを考えています。それから『北斗』(1992年初演)のリメイクもやりたい。『飛鳥 ASUKA』と同じ奈良時代の物語です。母が創った『戦国時代』(1966年初演)に小杉太一郎さんが作曲しましたが、長いので短くしてストーリーも変えました。『北斗』はそのままでもできますが、物語が複雑なので分かり易くしたい。とにかく「日本のバレエ」を創っていきたいですね。
牧阿佐美バレヱ団「サマー・バレエコンサート 2020」予告
取材・文=高橋森彦

SPICE

SPICE(スパイス)は、音楽、クラシック、舞台、アニメ・ゲーム、イベント・レジャー、映画、アートのニュースやレポート、インタビューやコラム、動画などHOTなコンテンツをお届けするエンターテイメント特化型情報メディアです。

連載コラム

  • ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲!
  • これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!
  • これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!
  • MUSIC SUPPORTERS
  • Key Person
  • Listener’s Voice 〜Power To The Music〜
  • Editor's Talk Session

ギャラリー

  • 〝美根〟 / 「映画の指輪のつくり方」
  • SUIREN / 『Sui彩の景色』
  • ももすももす / 『きゅうりか、猫か。』
  • Star T Rat RIKI / 「なんでもムキムキ化計画」
  • SUPER★DRAGON / 「Cooking★RAKU」
  • ゆいにしお / 「ゆいにしおのmid-20s的生活」