日本におけるスイスヨーデルの第一人
者として知られる、ウイリー沖山が死
去、享年87

1957年に、ヨーデルの名曲「スイスの娘」でレコードデビューし、“キング・オブ・ヨーデル ”としてその名を轟かせた歌手のウイリー沖山が、6月28日に老衰のため死去した。

沖山は、1933年2月25日、神奈川県横浜市でアメリカ人の父と日本人の母のもとに生まれる。セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジに在学中から米軍キャンプやクラブなどでプロのボーカリストとして活動していた。

その実力は、伝説のオーディション番組『全日本歌謡選手権』で、見事10週勝ち抜いたことでも証明されている。自慢のファルセットと音域の広さを生かして、カントリー、ハワイアン、ジャズ、ポピュラー、シャンソンなど、様々なジャンルを歌いこなした。

1985年頃から、音楽番組『夜も一生けんめい』、バラエティ番組『おれたちひょうきん族』『さんまのスーパーからくりTV』など、多くのメディアに出演し、その美声と端正なルックスを披露していた。1998年には、WiLLY-O&THE SNOW BUSTERSというユニット名義で、長野五輪応援ソング「降れよ雪 揚げろ日の丸」を発表している。

バンドホテル(1999年閉館)のナイトクラブ「シェルルーム」で、1985年から1999年まで支配人を務めていた。歌手として自らも度々、ステージに立っていた。ラスベガスのシルバー・バード・ホテルのメインステージには4ヶ月に渡って出演。現地でも高い評価を得る。

2009年には、シングル「ヨコハマの雨傘」をリリースしている。2014年に膠原病を患い引退の危機にあったが、2018年6月には復活コンサート<みなとみらいホールコンサート>を開催。生涯現役として音楽活動を精力的に行っていた。

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