『3』に垣間見える
悪玉っぷりに思うキリンジの
ロックバンドとしての肝
歌詞に見るロックなスタンス
《地下鉄は袋小路で終点 真夜中のつぶやきは/フレーズだけが鋭ってはトンネルを削り/爪が痩せてく》(M1「グッデイ・グッバイ」)。
《勝つことを許されない二流で無名の悪玉(ヒール)》(M5「悪玉」)。
《まるで僕らはエイリアンズ 禁断の実 ほおばっては/月の裏を夢みて/キミが好きだよ エイリアン/この星のこの僻地で/魔法をかけてみせるさ いいかい》《踊ろうよ さぁ ダーリン ラストダンスを/暗いニュースが日の出とともに町に降る前に》(M6「エイリアンズ」)。
《今日も持て余す僕の/脹らみ過ぎた好奇心にバクも消えた》(M8「むすんでひらいて」)
《旅の途中で僕らはみんな迷子になって/"夢の島"まであとどのくらい?/街はタールの闇におおわれて 誘蛾灯をたよりに》(M9「君の胸に抱かれたい」)。
《白い煙を吐いて 魔を刺すホクロの罠/噂の悪魔のまつ毛 胸騒ぎ荒れる/誘蛾灯 濡れたネオン 蔦の腐った"エデン"/導火線 飛びちって炎 十字架が燃えた》(M10「あの世で罰を受けるほど」)。
《砂漠に水を蒔くなんておかしな男さ/「ごらん、神々を祭りあげた歌も、貶める言葉も今は尽きた。」/千年紀末の雪に独り語ちた》(M13「千年紀末に降る雪は」)。
《袋小路で終点》だの《月の裏》だの《僻地》だの、あるいは《十字架が燃えた》り、《砂漠に水を蒔》いたり、とにかく閉塞感に苛まれたワードが並んでいる。こうしたネガティブなキーワードも中二的な意味合いでロックと呼ぶこともできるが(個人的にはその「Anarchy in the U.K.」的粗暴さは好物だが)、肝心なのは、だからと言って“No Future!”と叫んでいるわけじゃないところだろう。ネガティブなワードは現状の揶揄であり、多くの箇所でそれを打破せんとする姿勢が垣間見える。分かりやすいのは、M5「悪玉」の《振り切れ、今こそ俺は自由》《「マイクよこせ、早く!」》や、M9「君の胸に抱かれたい」の《水をかぶろう 裸になるよ》だろうか。M6「エイリアンズ」にしても《魔法をかけてみせるさ》と歌っている。勇ましさが感じられるところである。『3』のジャケ写がその印象をより強くしていると思う。個人的には凛々しいふたりの表情にそれを感じるし、彼らが濡れているのは、文字通り《水をかぶ》ったからなのではないかと推測するが──。
TEXT:帆苅智之