『分島花音の倫敦philosophy』 第一
章 倫敦に来た理由

シンガーソングライター、チェリスト、作詞家、イラストレーターと多彩な才能を持つアーティスト、分島花音。彼女は今ロンドンに居る。ワーキングホリデーを取得して一年半の海外滞在中の分島が英国から今思うこと、感じること、伝えたいことを綴るコラム『分島花音の倫敦philosophy(哲学)』第一回目となる今回は何故、彼女が異国に旅立ったのかを語る。

私が初めてイギリスに来たのは10年ほど前、ハイパージャパンというロンドンで行われている日本カルチャーのイベントに出演した時でした。
以前からヨーロッパの文化が好きだったこともあり、日本と全く異なるヨーロッパの街並みはどこを見ても新鮮で魅力的で、終始気持ちが高揚していたのを覚えています。その時はまさか自分がこうしてロンドンで生活をすることになるとは、夢にも思っていませんでした。
そもそも私が海外に興味を抱くようになったのは、好きな映画でもミュージシャンでもなく中学時代の友人たちの影響でした。中学時代の友人は皆とにかく変わり者で、フランスへ留学した後オーストリアで美術を学んでいる者、ハリーポッターに魅了されて独学で英語を取得しアメリカで永久ビザを取得しダンサーをしている者、花が好きでオーストラリアで花を扱う仕事をしている者や、イギリスへ留学した後ワーキングホリデービザを取り再度イギリスで生活した者、皆20代のうちに世界に散らばって己の好奇心のまま全力で楽しんでいる様子でした。
当時私はデビューして間もなかった為、海外に住むなんて別の次元の物語のように感じていましたし、それよりも自分の音楽をどうやったら多くの人に届けられるのかを日々考えあぐねていました。音楽と向き合い、恋い焦がれ、振り回され、ヘトヘトに疲れても愛することを諦めきれないもどかしい気持ちを抱えたまま、気づけば20代があっという間に過ぎ去ろうとしていたのです。
この10年で経験したことはかけがいのないものばかりでした。「あぁ本当に幸せだ、音楽を辞めなくてよかった」と思えた瞬間も沢山ありました。しかし、自分の思い描いていた人生とは全く違った10年間でした。大切な20代、私は常に音楽と共に生き、芸術に全てを注いで生きていました。それ以外何もありませんでしたし、これからもきっと私にはこれだけだと思っています。私から表現を奪ったら、きっと何も残らない。だから音楽を失うのが怖かったし、いつも心のどこかに不安の幕がかかっていました。
無意味なことだと分かっていても、「あの時こうだったら……」と後悔をしたり、「この人はこうなのに何故自分は……」と他人と比較をしたりして、自分自身をとことん惨めな人間に作り上げていました。これが、自分自身の最大の悪であり最大の敵でした。作り上げられた惨めな私はいつも不意に私の背後に姿を現し、私の腕を掴み放してくれませんでした。
私はこいつから逃げなければ。こいつとちゃんと別れなければ永遠に音楽を愛せないし幸福になれない。10年音楽と向き合っていた私は、向き合い続けて本来の目的地のルートからだいぶ外れたところを歩いていました。今の生活や居場所が不満なわけじゃない。ただ、ここが目的地ではないと感じていました。きっと幸福は永遠にそこに留まってはくれない。
私はチーズを探して迷路を旅するスペンサー・ジョンソンのネズミのように行動に移し変化することを選んだのです。
理想の自分と現実の自分の距離を埋めることより、その距離が厭わなくなるほど今の自分を思い切り楽しむことを優先すべきだと感じました。私と私の音楽はこれからどこへ向かおうか。どこへ行ったら楽しくて、何をしたらワクワクするだろうか。デビュー10周年を迎える前、既にそんなふうに11年目以降の自分のことを考えていました。
そしてその時『そうだ、ずっと行きたいと思っていた海外に行こう』と思いました。京都に行こう、みたいな思いつきっぽい感じというよりは、誰かに呼ばれて思い出して、そうしなければならないような感覚でした。そうしないとこの先の自分はあまり長く音楽を続けていないかもしれないとさえ思いました。
英語が喋れないことがコンプレックスだったこともあり、数年前から少しずつ英会話を始めました。以前も何度か勉強をしていましたが長続きできなくて挫折していました。今でも相変わらず喋れないけれど、英語を学ぶのは楽しいし、意味が分かったり自分が言ったことが相手に伝わるととても嬉しいのです。大人になって勉強する機会なんてすっかり失われていたので、学ぶことに慣れるのも少し苦労しました。
英語圏でワーキングホリデービザを取得できる国は数カ国あります。私はヨーロッパのアートも音楽も文化も昔から大好きでしたので迷わずイギリスを選びました。イギリスのワーホリ当選枠は毎年1000人、1月と7月に抽選があります。
抽選に選ばれてビザを手に入れると最長2年間イギリスに住むことができ、その間働くこともできます。数年前は滞在期間が最長1年でしたが、現在は2年も滞在が可能だなんて、なんて素晴らしいビザなのでしょう。しかし対象年齢は18歳から30歳まで。私にとっては最後のチャンスでした。当落があるので落ちたらこの計画は全て白紙に戻ります。でもなんだかまるで落ちる気がしませんでした。そしてその予想通り、私は無事にビザを取得するのです。
渡英前、いつもライブでサポートをしてくださるドラムの池田さんから『気をつけて行って来てね!』とお守りと手紙をいただきました。彼はワーホリでカナダに滞在したことがあり、その時の経験は本当に素晴らしいものだったと教えてくれました。毎日朝起きたら窓から見える景色が新鮮で、日々過ぎて行くのが惜しいほど楽しかったと。文面からキラキラとした感情が伝わり、それは私の背中を押すのに十分すぎるほど暖かい餞の言葉でした。
ロンドンでの生活はまさにその言葉の通りで、日々生活をしているだけでワクワクしました。始めは街に出て昼食を買うだけでも達成感があるし、電車やバスを使って行ったことのない場所へ向かうだけで映画の中を旅しているような感覚になりました。それに慣れてくると今度はもっと行動範囲が広がって、会う人、見るもの、聴く音楽、空気、星、考えること、全部が今の自分に必要なことのように感じました。
全てがこれからの自分の表現とリンクして、繋がってくる。私はこうして一つずつ、今までの生活のままでは得られなかったであろう感覚と出会うこととなるのです。このコラムではそんな『哲学』と呼ぶにはカジュアルかも知れないけれど、私が新たに出会った気持ちや経験などを通して得た様々な気付きを書き留めていくつもりです。どうぞ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
文・イラスト:分島花音

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