NMB48 中野麗来の○○な話 第2回「突
然の合格」の話

なかの・れいな 1999年8月24日生まれ、奈良県出身。ニックネームは“れいな”。4期研究生として2013年2月に劇場公演デビュー。最新シングル『高嶺の林檎』カップリング曲『山へ行こう』に、難波鉄砲隊其之伍のメンバーとして参加。先輩の渡辺美優紀らと組んだ奈良出身メンバーユニット(非公式)・奈良ーずの一員でもある。


「突然の合格」の話

――前回は、中野さんの本質が“省エネ”だという話を聞きました。なんでアイドルをやろうと思ったんですか?

中野 私ね、NMBのオーディションの書類送ったのがお母さんで、ほんまはやりたくなかったんですよ。

――やりたくなかった!(爆笑)

中野 いや、やりたくなかったって言うか、なんていうのかな、AKBさんとかも好きやったんですけど、自分でやるとなると“アイドル”っていうのが、なにをやればいいのかわからないからが怖くて。最初、ママに「やる?」って聞かれたんですけど、「やりたくない!」って言ったんです。でも写真は、「友達に送るから撮らせて」って言われて……。

――ケータイで(笑)。

中野 そうなんです。それを送ったらしくて。で、なんか突然「今日、学校終わったら迎えに行ってあげる」って来てくれたんですよ。それで放課後、ママが運転する車に乗ったら「麗来ちゃん、これ」って。見たら「NMB48」って書いてある書類が入ってあったんです。

――おお、いきなり書類が出てきた!

中野 それで「何?」って聞いたら、「一次審査通ったで」、「え? 送ったんーっ!?」みたいな(笑)。「ママが送っといたよ、1回挑戦してみたら」って。

――へえ~。お母さんってどういう人なんですか?

中野 ママはなんか、私と顔が似てて、めっちゃいい人です。

――いい人(笑)。

中野 なんか、私がお母さんになるなら、こういうお母さんになりたい、っていう人です。子供のことをいちばんに思ってくれるんやろなって。

――それが、娘に内緒でNMBのオーディションに書類を出すことだったわけですね。

中野 いや、わりと本気で、私、NMBに入れてなかったら、ほんまに堕落してたと思うんです! 入る前は、毎日友達と遊んだり、めっちゃチャラかったんですよ。ママにも怒られてばっかりで。

――勉強も全然やっていなかったとか?

中野 いえ、塾に行ってたから成績はけっこう良かったですけど、“勉強はできるバカ”みたいな感じで。でも、「ほんまは自分はなにがしたいんやろ?」って思って悩んだりもしてて、その姿を、見てくれてたと思うんです。ママが麗来の人生を変えてくれたと思います。

――オーディションはどんな感じでした?

中野 みんなめっちゃやる気に満ち溢れてて。やから、なんか、どうしたらいいんやろ?みたいな。後ろのほうで黙々と練習してました。

――そんなにノリ気じゃなくても一応練習はするんだ(笑)。

中野 一応(笑)。めっちゃ汗だくになるまでやりました。

――ダンスを習ってたりしたんですか?

中野 もともとは芸能活動って言うか、劇団みたいなとこに入ってて、演技するのが好きやって、そこでダンスも習ってて。初めに拒絶反応が出てたのは、“アイドル”っていうところだけでした。

――でも今は、すごく楽しめてるわけじゃないですか。自分の気持ちが変わったのはどのあたりからですか?

中野 変わった、うーん……やっぱり毎日、いろんなことに挑戦させてもらってるんですよ。例えば入った当初は、ほんまにすぐに研究生公演が始まったり。2期生さんや3期生さんよりもほんまに恵まれてて、4期生は。それに、研究生はみんな、めっちゃ仲良いんですよ!!

――そういう楽しいことがいっぱいあるから、ってことですね。でも、しんどいこともありますよね? レッスンとかはどうでしたか。

中野 基礎レッスンっていうのがあって。それはもう、カラダがボロボロになるまで、ってときもあったくらいキツいんですけど、でもそれがあったから今があると思ってます。


 次回更新は4月18日(金)! 中野麗来の「○○な話」、ラストは真剣に、真摯に、これまでの挫折とそこからの奮起をインタビュー!!

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