暗黒大陸じゃがたらの
『南蛮渡来』は、他の誰でもない、
江戸アケミだけが示した
江戸アケミのロックンロール
名盤が続出した1980年代
本作が発表されたのは1982年。のちに“花の82年組”なんて言葉が生まれたほどアイドル華やかし時期であって、中森明菜、小泉今日子、松本伊代、早見 優、シブがき隊ら、今も芸能界で活躍している文字通りのタレントたちが数多くデビューした年である。その年の日本レコード大賞は細川たかしの「北酒場」が戴冠。『NHK紅白歌合戦』のトリは紅組が都はるみ、白組が森進一で、しかもそこまでの5組は紅白ともに全て演歌歌手が占めているという、お茶の間的には依然、歌謡曲、演歌の人気が根強かった頃である。
一方、その向こうを張るかたちで、1970年代半ばから台頭して来ていたニューミュージックがこれもまた巷にかなり浸透していた時期であって、ニューミュージックと歌謡曲、演歌との棲み分けが何となくできあがってきていた時期であったような気がする。それは何かというと、ニューミュージックはアルバムで聴き、歌謡曲や演歌はシングルで聴くというスタイルではなかったかと思う。
『南蛮渡来』が発表された1982年だけで見ても、その年の年間シングルチャートは1位:あみん「待つわ」、2位:薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」、3位:岩崎宏美「聖母たちのララバイ」、4位:中村雅俊「心の色」、5位:細川たかし「北酒場」であったのに対して、同年の年間アルバムチャートは以下の通りである。1位:中島みゆき『寒水魚』、2位:山下達郎『FOR YOU』、3位:サザンオールスターズ『NUDE MAN』、4位:松山千春『起承転結II』、5位:オフコース『over』。シングルヒット作とアルバムヒット作との顔触れ、タイプが計ったかのように分かれているのが面白い。
ちなみに、この前年も後年も同様の傾向が見て取れる。この辺はリスナー全体の指向が変化したことに関係しているのであろうし、世代間での嗜好の差異が表面化してきたことにもよるのだろうが、この事象からはアルバムの意味や意義、制作者の意図といったものが注目され、語られるようになったのがこの時期からだったのではないか…という推測が成り立つように思う。
その証拠に…と言っていいだろうか。1980年前後には、今日、多くの人が名盤と認める傑作が数多く発表されている。フリクションの『軋轢』(1980年)。RCサクセションの『ラプソディー』(1980年)。Plasticsの『WELCOME PLASTICS』(1980年)。大瀧詠一の『A LONG VACATION』(1981年)。INUの『メシ食うな!』(1981年)。佐野元春の『SOMEDAY』(1982年)。THE STALINの『STOP JAP』(1982年)。この他にも、Yellow Magic Orchestraは1978年の『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』から1981年までの3年間で5枚のオリジナルアルバムを発表しているし、山下達郎も『RIDE ON TIME』『ON THE STREET CORNER』(ともに1980年)、『FOR YOU』(1982年)、『MELODIES』(1983年)という重要作をこの時期に制作している。
これはシンクロニシティ(=意味のある偶然の一致)とも言えるだろうし、The Beatlesの『Rubber Soul』に影響を受けてThe Beach Boysの『Pet Sounds』が制作され、さらにその『Pet Sounds』が『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』に影響を与えたような、アーティスト間の共鳴みたいなものから導き出されたと考えることもできるだろう。だが、どちらにしても、歌謡曲や演歌以外のシーンにおいては“アルバムはイケる”、もしくは“アルバムでイケる”という確信がこの時期に強くなっていったとは言える。それは作者だけでなく、レーベル側は十分にビジネスになると思ったことだろうし、受け手にしてみれば、アルバムはシングルの何倍もの世界観を楽しめるものであり、あるいはシングルでは知り得なかった世界観を楽しめることを実感したであろう。日本の音楽文化が成熟を始めた時期であったとも言えるし、音楽がさらなる大衆化することで、今日に連なる礎の時期だったと言えるかもしれない。