【米倉利紀 インタビュー】
大きな始まりでもあり、
大きな区切りでもあるアルバム
「HERO」はこれまでにない
人生の応援歌ができたと思っています
分かりました。では、アルバム『pink ELEPHANT』の重要なことを最後にひとつ訊かせてください。ラストに「HERO」というとても力強い楽曲が収められていますが、これは歌うことの意味を改めて宣言しているかのようなナンバーですね。聴いてくれる人あっての歌であるという解釈もできると思うのですが、その辺りはいかがでしょうか?
そうですね。僕たちアーティストって…それは音楽を作る人に限らず、絵を描く人たちにも言えると思うんですけど、基本的に作品作りはマスターベーションだと思うんです。その自己満足を永遠に見せられても、それが呼吸し始めない限り、ただの作品でしかない。それはそれで正解です。だけど、僕が音楽を作り続けている意味は、聴いてくれた人たちに曲を息づかせていただきたいからなんですね。…この1年の間に、どうにもならない出来事に直面して全てを失ってしまったような気持ちになったこともありました。だけど、生きている以上、とことん落ち込んだあとにしなければいけないことがある。誰かを助けること。それが自分自身の活力にもなるし、生きる力にもなる。“落ち込んでるからもっと助けて”って言い続けていたら一生そこにいなきゃいけない。立ち上がれないほど苦しい想いをしている人は世の中にたくさんいると思う。僕はありがたいことにこの仕事をして、この立場でいさせてもらっている。神様からいただいたギフトだと思うんです。そう考えると“落ち込みなさい”ってわざと追い込まれたのかもしれないわけで、“じゃあ、その次は何をするの?”って試されているんだとしたら、“助けてください”じゃいけないと僕は思った。神様に“24枚もアルバムを出している意味、落ち込んでグチャグチャになったあとは何をするのか分かってるよね?”って言われたような(笑)。自分は人を助けなきゃいけないし、支えてあげなきゃいけないんだって…そういう想いでこの曲は出来上がりました。
自身が這い上がってきたからこそ、次にやるべきことが見えたという感じでしょうか?
そうですね。自分の経験と人の経験はまったく同じではない。必ずどこかが違います。でも、似たことはあると思うので、何かひと言添えてあげることで、見聞きした人がハッと世界を広げられるかもしれない。しゃがんでいた人が立ち上がれるかもしれない、立ち上がったら一歩踏み出せるかもしれない。そういう力になればいいなと思って書いた曲なので、前作『analog』に収録した「大切な日々」とは全然ストーリーは違うんですけども、“大変なことがあったけど、次は何をする?”という世界観は似てて。「大切な日々」では“こんなに嘘のない僕の人生って素敵でしょう?”ってことを歌ってますけど、それだとマスターベーションで終わっちゃうんですよ。そこだけで終わらせていたら、僕が思うアーティストとしての意味がないので、その次は誰かの力になりたいということですね。
そう思ったことを作品化したのは「HERO」が初めてですか?
これまでにもファンのみなさんが大事にしてくれている「大丈夫っ!」という曲があるんですね。その「大丈夫っ!」を含めて、“聴くと元気になります”とか、“この曲で助けられました”とか、そう言われる曲を書いてきたつもりではあります。でも、ここまで心の奥深いところで何かを感じて書いたのはこれが初めてかもしれないですね。ただ、これがゴールではないので、何年かしたら、「HERO」を作った時とは違う、もっと深いところから話せるように、僕は日々過ごしていかなければいけないと思うんですけど…でも、そうですね、現時点では、これまでにない人生の応援歌ができたと思っています。
今日の取材では“終着点はどこなんだろう?”と思いながら曲作りをされたとか、奇を衒ったり計画したりして作ったアルバムではないといった話を聞いてきましたが、そういった何かに執着することなく作った『pink ELEPHANT』において、リスナー、オーディエンスに対する気持ちが綴られた楽曲「HERO」がラストに収められたというのは、実に興味深いです。
24枚のアルバムを作り、28年間やってきて、さっきも言った“慣れ”ではないですけど、アルバムを出せて当たり前、ツアーができて当たり前だと思ってなくても、それがルーティンになってしまうのは仕方がないんですよ。でも、人生にはいろんなことがあって、時々バーンと釘を打たれるんですね。神様から“歌えることを当たり前に思うのは違うよ”って言われているというか。改めて“何で歌えているのか”とか、“歌っている僕を観に来てくれる人がいるんだ”とか、“作った作品を買ってくれる人がいるんだ”とか、そういうところへの感謝って常に持っていたつもりですけど、もう1度目覚めさせられたこの1年だったという感じですかね。
取材:帆苅智之