成河×亀田佳明『タージマハルの衛兵
』レビュー+2019年 新国立劇場<演
劇>の仕事を振り返る【コラム】

今後10年間は語り継がれる作品だと思う――。
新国立劇場・小劇場にて2019年12月7日~23日に上演された『タージマハルの衛兵』。小川絵梨子芸術監督が演出した「ことぜん」シリーズの第3弾だ。
本コラムでは『タージマハルの衛兵』をメインに「ことぜんシリーズ」の他2作、そして4月上演の『かもめ』から新国立劇場<演劇>2019年の主催作品について振り返っていきたい。
新国立劇場『タージマハルの衛兵』(撮影:宮川舞子)
青い闇の中に立つ衛兵が1人。彼の目の動きでそこに虫や鳥が存在するのが分かる。と、少し遅れてやってくるもう1人の衛兵。どうやらふたりは古くからの友人らしい。先に仕事についていた青年の名はフマーユーン(成河)。そして後からやってきた男の名はバーブル(亀田佳明)。彼らの任務は完成間近のタージマハルの警備である。
背にこの世でもっとも美しい存在があるのに、衛兵であるふたりは振り返ってその姿を見ることを許されていない。世にも見事な建築物を作った建築家、ウスタッド・イサのこと、そして皇帝の「これ以上この世に美しいものを生み出さないため」のある計画……渋谷のセンター街で若いフリーターが雑談をしているようなテンションで会話は続く。
フマーユーンとバーブルの遣り取りは小気味よく、このまま『ゴドーを待ちながら』のようにダイアローグが進む中で朝日が昇るのかと思いきや、ふたりがとうとうタージマハルの方へと振り返り、暗転が開けた瞬間、舞台上には世にも恐ろしい光景が。
新国立劇場『タージマハルの衛兵』(撮影:宮川舞子)
そこにあったのは「この世にこれ以上美しいものが作られないよう、建築家をはじめ、関わった人間2万人の腕を切り落とす」任務を遂行した後のふたりの姿と血で汚れた床、さらには積み上げられた無数の人々の腕。今にも血の匂いが漂ってきそうな状況の中、フマーユーンとバーブルは自分たちがした「仕事」について語り出す。
器具を使って実際に2万人の腕を切り落としたバーブルと、切られた4万の傷跡に焼き鏝をあて消毒をしたフマユーン。気がふれてもおかしくない中、ふたりは血を掃除しながら空想上の乗り物「エアロプラット」や「持ち運び式抜け穴」の話を続ける。
それから数日、バーブルの念願であったハーレムでの皇帝警備の任務にふたりが就く直前、彼は唐突とも思える皇帝暗殺の計画を語り、フマーユーンは友を救うため、3日の投獄で済む罪の名を叫んでバーブルを牢へ送る。
が、フマーユーンの嘘を見破った父の命で、彼は親友・バーブルの腕を切り落とし、足の鎖を解く。
10年後、フマユーンは変わらず1人で衛兵としてタージマハルの前に立っている。そこにバーブルの姿はない。と、フマユーンの前に現れるジャングルの光景。白檀で作られたツリーハウスの上に笑顔で立ち「大丈夫だよ」と彼の名を呼ぶバーブル。
「美を殺す」前の幸福な回想なのか、フマーユーンが青い闇の中で見た夢なのか、もしくはふたりがともに牢獄から逃げたパラレルワールドの情景か。
そこに建つのは多くの人々の血を吸った真白なタージマハルのみである。
新国立劇場『タージマハルの衛兵』(撮影:宮川舞子)
権力と個人、美の定義、極限状態に置かれた人間の心理……さまざまな視点が混在し、多様な解釈が交差する『タージマハルの衛兵』だが、私がなにより打たれたのは舞台上に「演劇のすべて」があったことだ。
成河、亀田佳明というたったふたりの俳優が魅せた”世界”。装置としては存在しないタージマハルの全景や現実には姿を現さない皇帝や建築家、そしてフマーユーンの父のキャラクターが次第に浮かび上がり、戯曲には描かれていない少年時代のふたりの笑い声まではっきり聞こえてくる。
それはフマーユーンとバーブルとともに、400年前のムガール帝国に自分も立っているような感覚だった。どこまでも想像の翼を広げ、右脳と左脳を総動員して旅するような時間。
初期の段階では俳優ふたりがどちらの役を演じるか決めずに進められた『タージマハルの衛兵』の稽古。さらに本作の演出家であり、新国立劇場・演劇の芸術監督でもある小川絵梨子氏はプレビュー日程を設け、観客からアンケートを募り、作品のブラッシュアップ期間を経たのち、あらためて初日の幕を開けた。
なんて幸福な現場だろう。多くの演劇人がそれを望んでもさまざまな事情で断念せざるを得ない中、国内では稀有ともいえる製作過程経て上演された本作は、一分の隙もない最高のクオリティに仕上がっていた。
装置、音響、照明も素晴らしかったが、このチームならば裸舞台……たとえ「何もない空間」での上演だったとしても、観客を1648年のインドへと連れ去ってくれたと思う。俳優と戯曲、演出、そして「演劇」の力を信じさせてくれたカンパニー全員に敬意を表したい。
新国立劇場『どん底』(撮影:引地信彦)
次に「ことぜん」シリーズの他二作について。「ことぜん」とは「個」と「全」。個人と国家、個人と社会構造、個人と集団の持つイデオロギーなど「一人の人間と一つの集合体」の関係をテーマにした三作品の総称。先に記した『タージマハルの衛兵』はその第3弾で、第1弾は10月に新訳で上演されたゴーリキーの『どん底』だ。
外側の設定を今に置き換え、現代の底辺(?)である役者たちが工事現場に集まって「どん底」を上演するという趣向(演出=五戸真理枝)。
100年前にロシアで書かれたゴーリキーの戯曲を令和の日本で上演するにあたり、あえて上記の構成にしたのだと思いつつ「現代の役者が演じていますよ」という二重構造もあって、物語に入り込むのが少々難しかった気もする。ただ、登場人物の関係性等はわかりやすく整理されており、ホワイエにはキャラクターの似顔絵と役柄説明が書かれたペーパーが置かれるなど制作側の工夫も。
新国立劇場『あの出来事』(撮影:宮川舞子)
「ことぜん」シリーズ第2弾は11月上演のデイヴィッド・グレッグ作『あの出来事』(日本初演)。
2011年にノルウェーのウトヤ島で起きた、極右青年による銃乱射事件をモチーフに描かれたフィクション。出演は南果歩と小久保寿人(+オーディションで選ばれた合唱団の人々)。
合唱団の指導者であり、銃乱射事件の被害者でもあるクレアを南が演じ、少年を含む11役を小久保が1人で演じる。
この企画が立った後に起きた京アニや登戸の事件。現実がフィクションを追い抜いていくことに戦慄を覚えた。また、少年役の俳優が複数のキャラクターを演じることで、1人の人間に潜むさまざまな”顔”が具現化されていくのも怖い(=効果的)。
クレアの人物造形が非常にリアルだと感じた。いきなり銃の乱射事件に巻き込まれ、目の前で友人を殺されるクレアだが、彼女は弱く正しい”被害者”ではない。パートナーに対してはある種の加害者で、事件後は合唱団の人々を自らのトラウマ克服のため、無意識に利用しているところもある。さらにはSNSを駆使して世論を味方にした上で、少年の殺害計画を実行しようともする。
人間の心は簡単に説明などできない。どんな人の心にも光と闇の部分がある。当たり前だが、日常で忘れがちなことを繊細な芝居と丁寧な演出(=瀬戸山美咲)で再認識させられた。
新国立劇場『かもめ』(撮影:細野晋司)
ここで少し時を戻そう。4月の小劇場・チェーホフの『かもめ』はフルキャストオーディションでの上演(演出=鈴木裕美)。
これまで観てきたどの『かもめ』より”喜劇”だと感じた。
その理由のひとつが、チェーホフの戯曲を英国の劇作家、トム・ストッパードが英語台本にし、今回はそれを翻訳して使用したこと(翻訳=小川絵梨子)。トム・ストッパードの視点が加わったことで、より登場人物たちの「一方通行感」が増していたように思う。
そんな中、トリゴーリン(須賀貴匡)の「ほぼ自分の意志がなく、相手の熱量に押されがちな人物」というキャラクターが特に興味深かった。ニーナ(岡本あずさ)が彼にとっては一瞬の彩(いろどり)でしかない様子も顕著。
新国立劇場『オレステイア』(撮影:谷古宇正彦)
6月に中劇場で上演された『オレステイア』(日本初演)。アイスキュロスの原作を、”18年に新国立でも上演した『1984』の劇作家、ロバート・アイクが再構築した作品だ(演出=上村聡史)。
ギリシャ悲劇を下敷きにしながら、そこで語られるのは「親殺し、子殺し」の罪について。ギリシャ悲劇お約束の「登場人物全員親戚、ときどき復讐」は本作でも踏襲されている。
オレステス役は生田斗真。トラウマを抱えながら、自らの心と向き合う青年を真摯に演じる姿が印象的だった。
新国立劇場『骨と十字架』(撮影:宮川舞子)
7月に小劇場で上演された『骨と十字架』はパラドックス定数の野木萌葱による新作(演出=小川絵梨子)。進化論を否定するキリスト教の教えに従いながら、同時に古生物学者として北京原人を発見し、一躍世界の注目を浴びることとなったフランス人司祭、ピエール・テイヤール・ド・シャルダンの生涯を描いた一作だ。
出演は男性のみ5名で濃密な会話が交わされていくのだが、テイヤール(神農直隆)の司祭としてのアイデンティティと研究者としての探究心……その相反せざるを得ないギリギリの葛藤をもう少し深いところまで見たいと感じた。
この作品で特に興味深かったのはSNSでの拡散力。あるアカウントの発信をきっかけに「#ほねじゅう」というタグでさまざまな感想や考察が拡がり、公演後半で観客数が伸びた。またある種の”萌え”がネット内で語られていったのも新国立の他作品にはない現象であった。
新国立劇場『少年王者舘「1001」』(撮影:宮川舞子)
その他、5月には小川絵梨子芸術監督が大ファンだと公言している少年王者館の『1001』も小劇場にて上演(作・演出=天野天街)(急な体調不良で未見のため舞台写真のみ掲載)。
新国立劇場『あの出来事』(撮影:宮川舞子)
新国立劇場<演劇>2019年の主催公演(少年王者館含む)は上記の7作品。中劇場での上演は『オレステイア』のみで、あとの6演目は小劇場での公演。
やはり注目したいのは、小劇場6作品のうち、劇団ごと招聘した少年王者館を除いた5演目すべてを女性の演出家が手掛けたことだ。ここに小川絵梨子芸術監督の強い「意志」を感じる。
また、上でも触れたが、公共劇場の特性を活かしきった『タージマハルの衛兵』の製作~上演過程は、今の「演劇」を取り巻く状況にひとつの石を投げたとも思う。
来年(2020年)もフルキャストオーディション作品『反応工程』や、蓬莱竜太の演出で長澤まさみがひとり芝居の舞台に立つ『ガールズ&ボーイズ -GIRLS AND BOYS-』、長塚圭史の新作など興味深いラインナップが並ぶ新国立劇場<演劇>。
公共劇場のトップだからこそできる多様な挑戦を、客席からしっかり見つめていきたい。
文=上村由紀子

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