陰陽座が掲げる
“妖怪ヘヴィメタル”とは?
その真髄はアルバム
『魑魅魍魎』にあり
コンポーザーとしての確かな才能
このM10が本作のクライマックスであることは間違いないが、個人的に注目したのはM11「鎮魂の歌」とM12「にょろにょろ」である。M11「鎮魂の歌」はギターソロは完全に様式美ではあるものの、本作で唯一、黒猫が作詞作曲したミッドバラードだけあって明らかに他とは質感が違う。アコギのストロークなどもさることながら、何と言っても歌メロの違いが耳を引く。どこか童謡っぽい。はっきり言うと、ジブリ映画の主題歌としてそのエンディングで流れても違和感がないようなメロデーィだと思う。M12「にょろにょろ」も歌が際立っている。これもずばり言ってしまうが、アニソン的である。サビ頭という構成もおそらく意識的であろう。メロディーのキャッチーさを最大限に活かすにはベターなアレンジである。こちらはM1~11同様に瞬火が手掛けたものであるが、“この人はこういうタイプも書けるのか!?”と、最後の最後で陰陽座の懐の深さをダメ押しされたところだ。生粋のHR/HMファンの中には、M12「にょろにょろ」を敬遠気味な態度を取る人もいたようだが、それを逆に見れば、コンポーザーとして瞬火が多才である証明に他ならない。筆者は圧倒的に支持するし、それはM11「鎮魂の歌」の黒猫とても同じである。
アルバム冒頭で感じた“このバンドは伝統的なヘヴィメタルだけを継承しているのではない”という思いは、本作最終盤に至って、完全に成就し(?)、事前に陰陽座に感じていた難解さも綺麗に晴れていく。もっとも、歌詞の意味に関しては、自信を持って言うことではないけれども、今もその意味を理解しているかと言えば明らかに“否”だ。それは、その意味を理解できないことがあまり気にならなくなって来るというか、歌詞の意味をがっちりと受け止めなくても十分に楽曲が楽しめるからだろう。かと言って、この歌詞じゃなくてもいいかと言ったら、そうではない。この歌詞だからこそ、このメロディが活きているのである。好例は以下であろうか。
《乱人(らんにん) 勢人(せいにん) 業人(ごうにん)/奪って 一つ 鬼の頚(くび) 濫飲(らんいん) 声韻(せいいん) 強引/威張(いば)っちゃ居(お)らぬ 世迷(よま)いの句(く)》(《穏座(おんざ)も 頓挫(とんざ)も せざる》(M6「青坊主」)。
《超えて 超えて 堪(こた)える為 燃えて 燃えて 悶(もだ)える程/異端(いたん)の鎖(くさり) 飛び散る頃に 肥えて 肥えて 応える為/萌えて 萌えて 貰わずとも 渾(すべ)て終わりて 飛び去る様に》(M7「魃」)。
《(座(わ)す 座(わ)す 座(わ)す) 驀然(ばくぜん)/(座す 座す 座す)独行(どっこう)/(座す 座す 座す)辣腕(らつわん)/(座す 座す 座す)べっかっこう》《戦(おのの)く 刹那(せつな)に 鬼が嗤(わら)う 響動(どよ)めく/間も無く 鬼が屠(ほふ)る》(M9「鬼一口」)。
リフレインではあるが、単純なそれではないし、どこか英語的な言葉をチョイスしているように思える箇所もある。この歌詞であるから独特のポップさを醸し出していると言えると思う。しかも、しっかり意味を追えばそこに内包されたメッセージ性を掴むこともできる。その点でも陰陽座は奥深く、高度な楽曲構造を持ったバンドであることが分かる。
TEXT:帆苅智之