【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#122
作曲家・いずみ たくの言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

今流行りのエレキギターにのって歌えな
くても”俺は音痴だ” “あたしはリズ
ム音痴だ”と嘆く必要はないのです。極
端な場合、”幸せなら手を拍こう ポン
ポン” と手を拍ければ、もう音痴とは
いえない

『文藝春秋 漫画讀本』(特集=歌謡パレード/よき時代のよき民謡 自称音痴の作曲家のフォークソング礼讃 いずみ・たく/第十三巻 昭和四十一年一月一日発行)より

「ボクは大変音痴なのです。自分では良い声で歌っているつもりですが、自分の作曲した歌さえも満足に歌えません」と、今から53年前のエッセーで、日本を代表する大作曲家である いずみ たくが告白をしている。この本が出版された前年の1965年にベンチャーズが2度目の来日をして空前のエレキブームが巻き起こっている。1965年は、フジテレビの番組『勝ち抜きエレキ合戦』が始まり、加山雄三の『エレキの若大将』も公開されている。この原稿が書かれたときは、「エレキギターにのせて歌う」のがトレンドだったわけだ。しかし、エレキギターのサウンドに限らず、「悲しい時にも、嬉しい時にも、唇をついてが出てくる歌には、音痴も何もありません」といずみ たくは書く。彼曰く、「真の意味の音痴とは音楽を楽しむことの出きない人」なのである。

いずみ たく
1930年1月20日生まれ、東京都台東区出身。作曲家。政治家(元参議院議員)。1950年、舞台芸術学院演劇学科を卒業後、作曲家の芥川也寸志に師事し、作曲活動を始める。その後、三木鶏郎が率いる冗談工房に参加。1955年、『朝日放送ホームソングコンクール』にて「葡萄の歌」でグランプリを受賞。1966年、作詞家永六輔との共作によるデューク・エイセスの「にほんのうた」シリーズで、第8回『日本レコード大賞』にて 企画賞を受賞。1969年、作曲を手がけた、佐良直美の『いいじゃないの幸せならば』で、第11回『日本レコード大賞』を受賞。歌謡曲をはじめ、フォークソングやアニメソング、交響曲に至るまで、ジャンルを超越して多くの作品を世に残している。総作曲数は、15,000曲以上。1977年、ミュージカル劇団『ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ』(旧『いずみたくフォーリーズ』)を旗揚げ。数々のミュージカルの制作と共に、ミュージカル俳優の育成にも努め、日本のミュージカル界の発展に大きく貢献した。1986年第二院クラブから参議院比例区に出馬し落選するが、青島幸男が辞職し1989年に繰り上げ当選となる。議員の活動として、芸術・文教関係予算の増額のために尽力した。1992年5月11日、肝不全のため死去。享年62。ミュージカル『アンパンマンと勇気の花』の挿入歌「すすめ!アンパンマン号」が遺作となった。

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