フラワーカンパニーズは
なぜ消えなかったのか?
そのバンドのすごさを
『世田谷夜明け前』から探る

大人になったからこそ響くロック

それでは、そうした──“希少なバンド”と形容したくなるフラカンが、どうして絶滅を免れているのかと言えば、これはもう、その核心と言える音楽性以外に理由はない。決して数多くの人がフラカンの音楽をとらえたわけではないが、前述の通り、それを彼ら自身で届けた結果、確実に届くべきところへ届いたからである。フラカンの楽曲のほとんどは鈴木が作詞作曲を手掛けているので、すなわちフラカンのナンバーの中心にあるものは鈴木圭介の思想と言える(メンバーも“鈴木が思ったことを音楽にするのがフラカンである”といった主旨のことを公言している)。核心の核心は鈴木の想いにある。結論から先に言ってしまえば、鈴木=フラカンの歌詞はシンプルで分かりやすい。考えていることをおおよそありのままに打ち出している印象が強いのだが、とりわけ特徴的だと思われるのは、物理的に大人となってしまった自分自身に対する感慨、感情である。アルバム『世田谷夜明け前』収録曲では以下のように綴られている。

《年をとったらとるだけ 増えていくものは何?/年をとったらとるだけ 透き通る場所はどこ?/十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる/若さはいつも素裸 見苦しい程ひとりぼっち》(M1「深夜高速」)。

《かくれんぼ かくれたまんま/何となく 大人になった/今もって かくれたまんま ワッショイ ワッショイ ワッショイ ハハ~ン》《かくれんぼ かくれたまんま/気がついたら 大人になった/死ぬまで見つからねぇぞ ワッショイ ワッショイ 俺はここだ》(M3「赤点ブギ」)。

《時間だけがたって 僕は年をとる 一体何がわかったんだろう?/いくつになっても 人を好きになると あの頃の自分に戻ってしまう》《時間だけがたって 人は年をとる その時何を感じるんだろう?/そんなの知らないさ きっと僕はまた 何度でも君を好きになるだろう》(M4「初恋」)。

《子供のままじゃなく/大人のフリじゃなく/自分らしく ああ 生きてるかな》《子供のままじゃなく/大人のフリじゃなく/自分らしく ああ どんなだろう》(M5「忘れもの」)。

大人となること、大人となったことを礼賛するわけでも悲観視するわけでもなく、時に逡巡しながら自らの心情を吐露しているようである(戸惑いはM7「世田谷午前三時六分」やM11「寄鷺橋サンセット」辺りに色濃く、タイトルに相反してM13「アイム・オールライト」にも意外とその辺が見受けられる)。こうした“大人”をとらえた歌詞は、のちのシングル曲「この胸の中だけ」(2008年)や「元少年の歌」(2010年)でも見受けられるので、フラカンの特徴と言ってもいいだろう。ロックはもともとティーンのものである。60年代には“Don’t Trust Over Thirty(30歳以上を信じるな!)”なんてスローガンもあったくらいだ。だが、「深夜高速」の歌詞を拝借すれば《十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる》のである。30歳以上を信じるも信じないも、10代から10数年も経てば自身が30代を迎えるし、その後(そういう人が大半なのだが)何事もなく人生が続くのであれば30代以降の時間のほうが圧倒的に長い。30代を待たずとも、20歳を過ぎればいずれ自分自身が“Don’t Trust”と矛先を向けられる対象となることは簡単に理解できる。もっともこの“Don’t Trust Over Thirty”には、そのうち矛先が向けられることに対する不安な気持ちも含まれているとも考えられるので、そこにあるのは単純な反抗心だけではないだろうが、いずれにしても、それがそのまま永遠に続かないことは明白である。

アルバム『世田谷夜明け前』の頃、フラカンのメンバーは30代半ば。そもそも鈴木は単純な反抗には興味がなかったということもあって、フラカンが単純な反抗を歌わなかったのも当然だし、どちらかに偏ることなく大人の是非を訴えなかったのも当然と言えば当然だったと言えるのだが、それが奏功した。聴き手もある程度の年齢を越すと、その人がロック好きでティーンの時は反抗の音楽を好んで聴いていたとしても、それだけを聴き続けていくことは難しかろう。尾崎豊の楽曲は今聴いてもカッコ良いけれども、《盗んだバイクで走り出す》(「15の夜」/尾崎豊)や《夜の校舎 窓ガラス壊してまわった》(「卒業」/尾崎豊)などの歌詞をストレートに礼賛できるかと言ったらそうではないと思う((c)マキタスポーツ)。

その点で、当時のフラカンの思想は、特定のリスナー層とぴったり波長が合ったと想像できる。その層は決して多くはなく、目立ちもしないが、全国各地に確実にいた。ストレートに反抗の音楽を受け止めることにも違和感がある。だからと言って、耳障りのいい恋愛模様やファンタジックな世界観だけを聴きたいわけでもない。そういう層である。前述の通り、フラカンは日本全国津々浦々へ自ら赴き自身のロックを届けていたわけで、リスナーを開拓していったことになる。まさしく《もっともっと もっともっと見たことない場所へ/ずっとずっと ずっとずっと種をまいていく》(M1「深夜高速」)であったのだ。そう考えると、自虐、自嘲気味に書籍や楽曲に“消えぞこない”などというタイトルを付けてはいるが、決してフラカンは消え損なったのではなく、残るべくして残ったバンドであったことも理解できるのである(“消えぞこない”という洒落た言い回しはロックっぽくてとてもいいので、その言葉そのものを否定しているわけではないよ…念のため)。

OKMusic編集部

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