「ゴッホ展」鑑賞レポート ハーグ派
からポスト印象派へ、炎の画家・ゴッ
ホが生まれるまでの過程を辿る

世界各地から約40点のゴッホ作品が集結する「ゴッホ展」が、10月11日に東京・上野の上野の森美術館で開幕した。来年1月13日まで開催される本展は、ゴッホが画業の初期に受けたハーグ派からの影響、そして印象派との出逢いを経て独自の画風を築くまでの過程に着目した展覧会だ。代表作のひとつ《糸杉》は7年ぶりの来日。そのほか、ハーグ派の中心人物だったアントン・マウフェのほか、モネ、ピサロ、セザンヌ、ルノワール、ゴーギャンら印象派・ポスト印象派の作品も展示され、約70点の展示でゴッホの足跡に迫る。ここでは開幕前日に行われたギャラリートークの内容を交えながら、本展の鑑賞レポートをお届けする。
わずか10年の画家人生を激しく駆け抜けたゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダ南部の町フロート・ズンデルトで1853年に誕生した。画廊や書店などに勤めた後、彼が画家として生きると決めたのは27歳のこと。以後、オランダでの活動を経て33歳でフランスに移り住み、南仏のアルルなどに居を構えた。しかし、ポスト印象派を代表する作品を残しながら、てんかんの発作や精神の病に苛まれて37歳の時に自らの命を絶ってしまう。活動期間はわずか10年ほどと、短い画家人生を激しく駆け抜けた巨匠だ。
フィンセント・ファン・ゴッホ《パイプと麦藁帽子の自画像》 ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵
ポスト印象派時代の代表画家として語られることの多いゴッホ。確かにゴッホの作品といえば、《ひまわり》や《夜のカフェテラス》のような明るい色彩の作品の印象が強いが、オランダ・ハーグ美術館館長の監修による本展の特徴は、フランス移住前に彼が受けた「ハーグ派」からの影響に光をあてているところにある。
フィンセント・ファン・ゴッホ《サン=レミの療養院の庭》 クレラー=ミュラー美術館蔵
展示も前半(Part1)は「ハーグ派に導かれて」を、後半(Part2)は「印象派に学ぶ」をテーマにハーグ派を大きくフィーチャーした展開になっており、「印象派のゴッホ」が強く焼き付いた方には発見の多い構成といえるだろう。展示室にはゴッホが弟のテオらに宛てた手紙の一節などが各所に散りばめられ、言葉からもゴッホの芸術世界に迫る内容となっている。
ゴッホ自身が書いた手紙の一節を添えたゴーギャン作品の展示
ハーグ派に影響され、質素な風景を描いた初期のゴッホ
19世紀後半のオランダ・ハーグで発生したハーグ派は、フランスのバルビゾン派と呼応して自然主義的な作品を残した集団だ。日本では馴染みが薄いが、ギャラリートークで前半部分を担当した坂元暁美氏(上野の森美術館学芸員)は「オランダの中では17世紀の黄金時代以来、国際的に高く評価されたグループだった」と解説。その主な特徴として「リアリズムの伝統に紐づく風景画」「農民や漁民ら、質素な人々を描いた作風」を挙げ、「それらがゴッホの目指すものと一致した」と説く。
坂元暁美氏と岡里崇氏(ともに、上野の森美術館学芸員)
坂元氏によれば、10代後半の4年間をハーグで暮らし、画商見習いとして様々な画家の勉強をしていたゴッホは、その頃からハーグ派の画家に感銘を受けていたという。また、ハーグ派の主要人物だったアントン・マウフェが遠縁の親戚であったこともゴッホとハーグ派を結びつけるきっかけとなり、27歳で画家の修行を始めたゴッホは再びハーグで2年ほどを過ごしながらマウフェの指導を受けることになる。
フィンセント・ファン・ゴッホ《籠を持つ種まく農婦》 個人蔵(クリストフ・ブロッハー博士)
《馬車乗り場、ハーグ》などゴッホ最初期の水彩画や素描を集めた「独学からの一歩」のコーナーに続き、「ハーグ派の画家たち」の展示では、マウフェのほか、ゴッホが敬愛したミレーの作風にも通じるヨゼフ・イスラエルスら9名のハーグ派画家の作品も見ることができる。
アントン・マウフェ《雪の中の羊飼いと羊の群れ》 ハーグ美術館蔵
続く「農民画家としての夢」の展示室には、ハーグを離れたゴッホが、両親の暮らすニューネンで描いた30代序盤の作品が集められている。もとより生活の些細な場面から美を見出すことに長けていたゴッホは、農家の風景に題材を探し、ハーグ派よりも人々の苦悩を強調した作品作りに取り組んでいる。
フィンセント・ファン・ゴッホ《鳥の巣のある静物》 ハーグ美術館蔵
《鳥の巣のある静物》は、鳥の巣や卵が闇の中に描かれた、後のゴッホでは考えられないほどダークな印象の作品。また、本展にはこの時代の代表作《ジャガイモを食べる人々》のリトグラフも来日。これら力強いタッチと土臭い色彩で描かれた質素な人々の生活風景は、生涯を通じて困窮や逆境に立ち向かった描き手の実像をも映し出すかのようだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ《ジャガイモを食べる人々》 ハーグ美術館蔵
ポスト印象派との交流を経て「ゴッホの世界」へ
後半の「Part2 印象派に学ぶ」の展示では、33歳を迎えた1886年にフランスへ移ったゴッホが、印象派の影響を受けて独自のスタイルを築いていく過程に迫る。こちらではゴッホにとって憧れの存在だったモネ、影響を受けたセザンヌやピサロ、そして短い期間だが生活を共にしたゴーギャンら、ゴッホ以外の巨匠画家の作品も見逃せない。
「印象派の画家たち」モネ作品の展示風景
ギャラリートークの後半部分を担当した岡里崇氏(上野の森美術館学芸員)は「ゴッホのパリ行きには弟・テオの存在が大きかった」と言い、「当時、世界最大手のグーピル画廊に勤め、印象派の画商として重要人物になっていたテオがゴッホと印象派画家との繋ぎ役になった」と解説する。
フィンセント・ファン・ゴッホ《パリの屋根》 アイルランド・ナショナル・ギャラリー蔵
「パリでの出会い」のコーナーには、記録で確認される限り日本初公開となる《パリの屋根》がある。モンマルトルのアパルトマンから眺めた風景は、ハーグ派譲りの写実主義と印象主義とを繋ぐ転換点にある作品だが、芸術の都に飛び出したばかりのゴッホの希望を思い起こさせる一枚といえる。

アドルフ・モンティセリ《ガナゴビーの岩の上の樹木》 個人蔵

印象派の技法を学び始めた当初はまだ暗い色彩が目立つゴッホだが、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャックら同時代の友人からも技術を学んでいく。特に「ゴッホがドラクロワとともに色彩のプロフェッショナルとして尊敬していた画家」と岡里氏が説く画家がアドルフ・モンティセリで、ここではゴッホとモンティセリの作風を比較できる箇所もある。
フィンセント・ファン・ゴッホ《糸杉》の展示風景 ※開催期間中の作品の撮影は禁止
そして最後の展示室「さらなる探求」で見られるのが、本展の目玉展示でもある《糸杉》や《薔薇》などの作品だ。晩年、南仏のアルルに居を移したゴッホは、厚塗りで鮮烈な色彩と畝るような力強いタッチによる独自の作風を確立。ここでは8点の作品から、10年という短い画家生活を駆け抜けて散ったフィンセント・ファン・ゴッホという画家の完成形を見ることができる。
フィンセント・ファン・ゴッホ《薔薇》 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
なお、本展の音声ガイドは女優の杉咲花が声を担当。スヌーピーやベビースターとコラボした限定グッズなど、おみやげもラインナップ豊富に揃っている。エントランス付近には、自分の顔を“ゴッホ風”に変身できるカメラもあるので、話題作りにぜひ試してみては。
ミュージアムショップには多彩なオリジナルグッズが
「ゴッホ展」は東京・上野の上野の森美術館で来年1月13日まで開催。来年1月25日から3月29日まで兵庫県立美術館でも巡回開催される予定だ。

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