【インタビュー】下北沢CLUB Que 25
周年、二位徳裕氏に訊いた「下北沢が
“音楽の街”と言われる由縁」

ライブハウスがひしめき合う下北沢にあって、2019年10月1日にオープン25周年を迎えたライブハウス・下北沢CLUB Queは多くの有名バンドを輩出していることで知られている。thee michelle gun elephant、氣志團POLYSICSUNISON SQUARE GARDEN、etc…名前を挙げたらキリがないほどだ。
とりわけ、「本当にお世話になってます」とバンドマンたちが必ず名前を挙げるのが、オープンから責任者を務めている二位徳裕氏 (下北沢CLUB Que / 代々木Zher the ZOO)だ。地元・佐賀から下北沢に移り住んで34年。上京後に務めたインクスティック芝浦時代から数えて32年。長きにわたって下北沢の街から、ライブハウスの現場から、音楽シーンの移り変わりを目の当たりにしてきた同氏に、“音楽の街=下北沢”の成り立ちから現在まで、リアルな視点で語ってもらった。

なお、BARKSでは『音楽と住まい』と題した連載特集ページを公開中だ。【下北沢 編】はその第一弾であり、ライブハウスMAPや街の音楽情報、物件情報を掲載しているので
も併せてご覧いただきたい。

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■下北沢が“音楽の街”と
■言われるようになった原点

1994年10月1日にオープンした下北沢CLUB Que (以下、Que)。1980年代の東京のライブハウス文化といえば、どちらかといえば、新宿LOFTや渋谷ラママに代表される“新宿”や“渋谷”で盛り上がっていたイメージが強い。しかし、1990年代中盤以降、下北沢は一大音楽発信地となった。下北沢にこれほどライブハウスが増え、“音楽の街”と呼ばれるようになったことには、どんな背景があったのだろうか。
▲下北沢CLUB Que 25周年

「僕が下北沢に来た当時……1980年代中頃の下北沢は、下北沢LOFTが週末にたまにライブをやっている感じで、フルタイムのライブハウスって存在しなかったんですよ。確かに、当時の世の中は“新宿と渋谷がすごい”って、僕もそう思ってました。
 でも、地元・佐賀から上京するとき、東京のどこに住もうか考えたら、新宿や渋谷には住みたいものの、やっぱり家賃が高いし、田舎者には煩く面倒くさそうだし。その点、下北沢は家賃が安くて、路線がクロス(小田急線と井の頭線)しているから、どこに行くにも便利で、飲み屋もたくさんある。古着屋もあるし、レコード屋もあるし、いいなと思ったんです。
 実際に上京してみたら、鮎川誠さんはいるし、近藤房之助さんがBARをやっていたり。“あ、ここはやっぱりロックの街なんじゃん”って思ったんですよね。当時の僕と同じような感覚のミュージシャンとかが集まるようになって、“田舎から上京した音楽好きは下北沢に住む”というのが定着していったんじゃないでしょうか」

もちろん、当時は高円寺をはじめとする中央線沿線もミュージシャンが住む街として定着していたが、家賃の安さに加え、芝居小屋や下北ファッションなど、新たな若者カルチャー発信地として膨大なエネルギーを放っていた下北沢という街の雰囲気が、夢を抱えて地方から上京する多くのミュージシャンの心を掴んだようだ。

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■1990年代の下北沢ライブハウス
■黎明期〜発展途上期

バンドメンバーと共に佐賀から上京したという二位氏は、当時、田町にあったインクスティック芝浦ファクトリーで働いていたという。その後、下北沢 屋根裏のブッキング担当に抜擢され、4年後にはQue立ち上げに参加した。その頃、下北沢には他にどんなライブハウスが存在していたのだろうか。

「現在の新宿ANTIKNOCKは、当時ニューヨーク・アンチノックという名称だったんですね。その下北沢バージョンが、僕の上京から1年後にオープンしたロサンゼルス・アンチノック。それが渋谷 屋根裏がなくなったことをきっかけに、下北沢 屋根裏に名称変更したんですよ。下北沢LOFTは1970年代にはすでにあったので、最も老舗ではありますが、現代東京ロック史におけるフルタイムのライブハウスという意味では、下北沢 屋根裏が一番旧いです。その屋根裏も2015年3月に閉店したので、現存するライブハウスで一番の老舗は1992年にオープンした下北沢シェルターじゃないでしょうか」
▲下北沢 CLUB Que

1992年の下北沢シェルター開店から現在に至るまで、爆発的にライブハウスが増え続けた下北沢。以降、1993年にCLUB 251、1994年にGARAGE、その半年後にQueがオープンした。この頃といえば、1980年代中盤から続いたホコ天やイカ天に代表されるバンドブームも一段落していた時代だ。にもかかわらず、下北沢に次々とライブハウスが登場したのはなぜだったのか。

「そうなんです。決してライブハウスが潤ってたわけではないんですよ。だけど、下北沢に上京してきた20代のミュージシャンと、新しいことをやりたいと思っていた30代以上の下北沢の人たち気持ちがリンクしたんじゃないでしょうか。ライブハウスだけじゃなくて、レコード屋さんも増えたし、下北沢のインディーレーベルKOGA RECORDSやスマイリー原島さんのスマイリーズといった、音楽事務所やレーベルが続々と立ち上がったり。
 あと、音楽とは直接関係ないかもしれないですけど、パーソナルなカスタムバイク屋が世の中に増えたのもこの時期なんです。ロックやそれにまつわる文化に憧れた中高生が、何かをできるようになった年齢だったり、やりたいことをやれるようになったタイミングだったんだと思います。そういう全国各地の“俺らがNO.1”だと信じているバンドマンがこぞって下北沢にくるから、別の意味ではエネルギーが有り余って、どこのライブハウスも大変だったと思います(笑)」

ロックはアートであり、エネルギーの塊。当時の下北沢に集まる人々の熱量の高さが渦を巻き、下北沢という街の発展に大きく寄与していたことがうかがい知れるエピソードだ。

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■下北沢CLUB Queが輩出した
■第一線ミュージシャン

Queが輩出したバンドは数えきれないほど。25年の歴史のなかではthee michelle gun elephant、the pillows、RIZE、Dragon Ash、BUMP OF CHICKIN、UNISON SQUARE GARDEN、秦基博、凛として時雨といった著名アーティストを世に送り出したほか、SHEENA & THE ROKKETSエレファントカシマシといった大御所バンドの出演歴など、枚挙に暇がない。

「屋根裏の時からの話になりますが、真っ先に名前が浮かんでくるのは、Hi-STANDARDの横山君とか、thee michelle gun elephantのメンバーとかですね。現在もQueと繋がってるバンドマンで言えば、氣志團の翔やんとか怒髪天の増子ちゃんは、初出演のときからすごかったし、面白かった。
 自分にない音楽観にビックリさせられたという意味では、真心ブラザーズエレファントラブ、The ピーズ、TOMOVSKYは衝撃的でした。すごく飄々と言いたいことを言うんですよ。それって強面で“コラー!”と言うよりも人の心にしっかり浸透してくる。ちょっとカルチャーショックでしたね。あの人たちに出会ってなかったら、ここまでライブハウスを続けていなかったかもな、という気もします」
▲氣志團 團長 綾小路 翔

二位氏はライブハウスという現場で、それらアーティストや新たな出会いから、今も刺激を受け続けているという。とりわけ、印象深い出会いは前述の氣志團 團長 綾小路 翔。「彼は、夢を現実に変える天才です」と二位氏が語ったエピソードは、ありえないことを実現してきた團長の原点を知るようだ。

「翔やんは、まず見た目が奇抜でした(笑)。学ランとリーゼントは漫画『ビー・バップ・ハイスクール』から、そのまま出てきたようでしたから。最初にビデオを観せてもらったんですけど、“今どきなんでこの格好でやってるんだろう?”って全然意図がわからなくて。でも興味は沸いたので、Queでの初ライブを楽しみにしていたんです。
 ところが、ライブの前々日に翔やんから直接電話がかかってきて、「出演順を変えてくれ。2番目からトリにしてほしい」って言うんです。“初出演なのに、何を言ってんだ”と思ったんですけど、話を聞くと「手売りでチケットを100枚売った」と。であれば、その100人は氣志團のライブが終わった後に帰っちゃう可能性があるわけで、他のトリのバンドがかわいそうな状況になりかねない。結局トリを務めてもらうことにしたんですよ。
 ライブ当日は、そんな無茶苦茶なことを言うバンドってどんなステージをするんだろう?って真剣に観たら、メチャクチャ面白かったんですよね。MCはもちろん面白いし、バンドとしてのスキルもある。しかも、当時からリハーサルでの礼儀もちゃんとしていた。つまり、今に繋がるものがその頃からあったんですよ。
 ライブ後に、「普段からそれだけのお客さんを呼べるバンドなのかな?」って訊いてみたら、全然そんなことなくて(笑)。「それまで20~30人しか呼べてなかった」って。おそらく、“この日に全精力をつぎ込んで、世の中をビックリさせる”っていう気合いが入っていたんでしょうね。ある意味では戦略というか策略があったんだと思います。そのギャップにまんまとやられて、僕はその翌日から「すげえバンド見つけちゃった、とにかくライブを観てくれ」って、いろんな業界関係者に言い周りましたから。どうやったら人が驚いて、どういう行動に出るかっていうことを考えていたんだと思います。
 ただ、僕もそれにまんまとハマるだけだと悔しいので(笑)、毎回、当時の氣志團の格上バンドを当てていくイベントを組んだんですよ。そうすると彼らは、しっかりと対バン相手を勉強してきて、リハーサルのときから先輩バンドを気持ちよくさせるような雰囲気を作っちゃう。するとやっぱりみんなから好かれるから、もう氣志團ワールドになっちゃうんですよね。<氣志團万博>って、それがそのまま大きくなったカタチだと思うんです。もっと著名な芸能界の先輩を氣志團好きにさせちゃってる。彼は、夢を現実に変える天才ですよ」
■下北沢ライブハウスシーンを
■30年以上支え続けた二位氏が語る現在

1990年代中盤から現在まで、約25年のうちにバンドとライブハウスの関わり方にも変化が生じているという。

「サーキットイベントって昔はなかったですけど、以前、“大晦日といえば、Que、シェルター、新宿LOFT、渋谷ラママなんか5ヵ所くらいに出る”っていう都内ツアーみたいなことをするのがステイタスだったんですよ。それって、バンド側が自主発信でやることなんですね。当時はバンド側のエネルギーが強くて、ハコ側が翻弄されることも少なくなかったんです。ところが今は、バンドが主催側に乗っかる感じなので、そこは似ているようで大きく違いますね。それはバンドが“演奏するだけでいい状況”になったという環境の成熟と劣化度の話でもあるんです。
 逆にもっと若い今の20歳ぐらいのバンドマンを見ていると、さっきの翔やんじゃないですけど、気持ちが強いミュージシャンも決して少なくないんです。甘い環境で浸からずに厳しいところを目指すというか、Queをベースに最初から海外に目を向けている人もいる。そういう意味では、1990年代とか2000年代当時とは異なるパワーが若い人たちに生まれてきているんだと思います」
▲下北沢CLUB Que

ちなみに、Queに出演したいと思っているバンドマンが実際にどうすればいいのかについても聞いてみた。

「普通に言ってくれればいくらでも(笑)。だけど、これは僕の場合なので、特殊でもありますが(笑)。僕が上京したとき、とあるライブハウスの終演間際に行って、演奏が終わっても帰らず、自主的にフロアの掃除をしたんです。“店員になんて言われるか?”を待ってたんですよ。当然「おまえ誰!? 何してんの?」って言われますよね(笑)。で、「実はこのライブハウスに出演したくて、デモテープを持ってきたんです」と。そうしたら、その場でデモテープを聴いてくれて、すぐにブッキングが決まったんです。そこまでしたほうがいいとは言わないですけど、自分たちがアピールできるものを揃えて、できれば直接会って喋って。熱意とか人間性とかをお互いに知りながらイベントやシーンを作っていけたらいいですね。だからうちの若いブッキングスタッフにも、“とにかく喋って自分自身がエンターテイメントであれ”と言っております。

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■下北沢という街の変遷と
■町内ぐるみの“面白い”活動

ここでは視点を変えて、下北沢という街にスポットを当てて聞いてみた。駅前開発によって下北沢も大きく変容している。“音楽の街・下北沢”は、今後どのように変わっていくのか。
▲下北沢駅前

「僕が上京した当時は、個人商店が多かったんですよ。小さなお店のへんてこりんな店主が、へんてこりんな感性でへんてこりんなことを威張って言うみたいな(笑)。今はだいぶ、企業ナイズされてきたというか、企業が大きい枠組みを決めていく中で、若者や中年がどう生きて行くかを考えていく時代に変わってきたと思います。そこで上手く共存していける人もいれば、そういうことを跳ねのけて、へんてこりんな文化を作り続けて行く人たちもいるんだろうな……いてほしいなって思うんです。
 個性を大切にする街でもあると思うんです、下北沢は。町内会も味方になってくれるというか。たとえば、バンドマンはみんな目立ちたいから、電信柱とか店のシャッターとか壁にチラシを貼っていた時代があって。そうすると。僕らが町内会に怒られて、バンドの代わりにチラシを剥がしに行かないといけなかったという(笑)。でも、そうこうするうちに町内会とも仲良くなったりしたんです。
 最近はバンドのフラッグが街頭にぶら下げられたりしていて、“ああ~、良い時代になったなあ”って感じます。街の人も一緒に歳を取っていくから、逆に仲間感が出てくるんですよね。それは下北沢ならではのエリアが狭くて顔が知れて人柄がわかる人間関係、感覚。面白いですね。歳の差や経験の差が広いことも面白いし、そういう人たちが音楽を通して街中で知り合う感じも、この街の面白さだと思います」

また、下北沢では元ライブハウスの店員やミュージシャンが飲食店やレコード店を出店するなど、新たなカルチャーを起こそうとするケースも増え続けているという。音楽好きが行って楽しむことのできる下北沢ならではのショップについても教えてくれた。

「Queやシェルターでは、終演後の打ち上げを朝までフロアでやってるんです。だから、僕らは他のお店に行く機会がなくなってきたんですけど(笑)。KOGA RECORDSがプロデュースしてるKOGA MILK BARは若い人がこぞって行ってますし、曽我部恵一君のCITY COUNTRY CITYも頑張ってますね。このほか、CLUB 251やBAR? CCOから枝分かれしたスタッフがCafé de Sept 7を出店していたり。 あとは、甲本ヒロトさんがバイトしていた「珉亭 (みんてい)」は有名ですよね。余談ですけど、僕の上京当時“はちや”っていう、500円でかつ丼とラーメンと餃子が食べられる店があったんですけど、さすがにそこまで激安な店はもうないですね。最近は富士そばが復活したり、チェーン店も多くなったので、そういう店も気軽に入りやすいですよね」

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■二位氏から若いバンドマンにメッセージ
■「人生のライブドラマを」

「ここ何年か、the pillowsから始まり怒髪天やThe ピーズ、フラワーカンパニーズ、The Collectorsが武道館ライブを実現させて、“これは見なきゃ!”みたいな一連のシリーズになりましたよね。そういう現象って、お客さんにも“今なにに熱があって、なにに期待すべきか”っていう流れがわかりやすいと思うんです。
 今度、the pillowsが横浜アリーナでライブをやりますけど、またそういう文化が生まれて行くと思う。ライブハウスもやりながら、大会場でもやるカッコよさがありますよね。エレカシが武道館の前にQueでやったみたいな。今、ライブハウスを軸に活動している少し若い世代のバンドマンにも、そういう新たなる連鎖するカルチャーを作ってほしいと思っています。ロックは音楽だけではないですからね、バンドマンの人生のライブドラマを見たいですね」
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近年、駅周辺の再開発が進み、下北沢の街は大きく変化している。9月24日には、小田急小田原線の代々木上原駅から世田谷代田駅の鉄道跡地における開発計画が発表され、新たに“下北線路街”と名付けられたエリアに、2020年度までに商業施設や宿泊施設、イベントスペースなど、同エリアならではの魅力を生かした13の施設がオープンする予定が発表された。

また、その一部として、約1年半の期間限定で開設される“みんなでつくる自由なあそび場”をコンセプトとした野外スペース“下北線路街 空き地”がオープン。ライブ演奏などのイベントも行われている。“下北線路街”のコンセプトは“BE YOU. シモキタらしく。ジブンらしく。”ということで、2020年を契機に、下北沢はさらに個性的でユニークな街へと進化して行きそうだ。

取材・文◎岡本貴之

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