山本寛監督が「薄暮」で駆使した演出
術 「福島はきれいだな」と思っても
らえれば十分です

 山本寛監督の最新作「薄暮」は、東日本大震災の被災地3県を舞台に描く「東北三部作」の最終章として製作された52分の劇場アニメ。クラウドファンディングによる支援をうけながら、山本監督のファンや仲間たちと新たにスタジオを立ち上げて製作された。企画の成り立ちやキャスティングの狙い、舞台となる福島県いわき市を描くにあたって考えたことなど、「薄暮」をめぐる様々なことを聞いた。(取材・構成:五所光太郎/アニメハック編集部)
――6月にシネ・リーブル池袋で見ていいなと思い、どこかで機会があればお話を聞きたいと思っていました。
山本:ありがとうございます。作品はともかく、もう制作から興行までズタボロですけどね。みんな勝手なことばかり言って、なんにもやってくれないんだから(苦笑)。
――下北沢トリウッドで山本監督が連日舞台挨拶に立っているときにお会いできて、今日取材できることになりました。
山本:途中から宣伝的なことも僕だけでやっているんです。何もできないのだからもう黙っておけと、プロデューサーを名乗ってる人間を全員排除して、僕ひとりでやろうと。
――取材する側がこんなことを言うのは変な話なのですが、今日は「薄暮」の話を中心に伺わせてください。
山本:それはお任せしますけれど。
――この記事をきっかけに「薄暮」に興味をもってもらい、すでに見ている人には、もう一度見てみようと思ってもらえるような記事になればと思っています。
 「薄暮」をつくることになったのは、山本監督がアニメをつくるのをやめようと思われていたときに、本作で製作総指揮としてクレジットされている和田(浩司)さんから「つくってほしい」と言われたのが最初だったそうですね。
山本:ええ。だから、恩人ですよね。彼のひとことがなければ、ほんとにそのままアニメをつくることをやめていたかもしれません。それこそ当時は地元に引っ越そうと思っていて、家族会議もしましたからね。いったん戻ってくるぶんにはいいけれど、引きこもりはやめろと親に言われて(笑)。そんなふうに、どうしようかなと思っていたときに、和田さんからどうしても会いたいと言われて新宿の火鍋屋で話すことになったんです。何を言われるのかと思ったら、「僕のためにアニメをつくってください!」と。
 その前段の話として、和田さんは大阪でやった「ヤマカンナイト」(※「ヤマカンナイト!大阪編」2016年7月23日開催)にきていたんですよ。僕はそのとき、和田さんがアニメをつくりたいとはまったく知らなかったから、警告したんです。「和田さん、絶対アニメをつくっちゃだめだよ。ロクなことがないからね」って。
――そうなんですね。
山本:で、僕はもう引退しますと。ほんっとにとんでもない世界だから絶対に甘く見てはいかんし、アニメに対する変な憧れは絶対にもっちゃいけないとも言いました。その2カ月後に「つくってください」だから、あんたバカかと(笑)。「あのときあれだけ言ったでしょ、気は確かか」とメチャクチャなじった記憶があります。でも、彼はいつかアニメをつくるんだと思いながら今までやってきていて、まあ悲願ですよね。彼の会社「つかさ製菓」の「つかさ」は、柊つかさ(※テレビアニメ「らき☆すた」のキャラクター)からとっているそうですから。
――和田さんの会社では、アニメのキャラクタケーキ「あにしゅが」などを展開されていますよね。
山本:そうしたこともふくめて、アニメににじり寄ってきたんだと思います。で、僕のファンだから、やっぱりつくってほしいんだと。「山本さんの気持ちはこの前うかがったけども、自分としては『ああそうですか』と引くわけにはいかん!」というふうにおっしゃってくれて。
 でも、体調や気持ちの面のこともあるし、どうしようもないなあと思ったときに、「じゃあ短いのだったらつくれますよ」と言ったんです。20分程度のOVA――もう今はOVAの時代じゃないですけど――こぢんまりしたものだったらつくれますよと。で、20分ぐらいの企画はあったかなと考えたとき、僕は常時このぐらいは(と両手をパーにして挙げる)企画をもっているので、「あ、そっか。古い企画だけど『薄暮』があったな」と。これならちょうど20分でいけると和田さんに提案したのが、その日の夜のことでした。
――パンフレットに、「薄暮」はこれまで何度か映像化のチャンスがあったとありましたね。
山本:これまで3回企画をだしました。特に3回目は実現しかけたんですけど、直前で流れちゃいまして。
――「薄暮」の制作が本当に大変だったろうと思うのは、作品のために制作現場をいちからつくられていることです。20分ぐらいのものならできると言われたとき、そこもふくめてできそうだと思われたのでしょうか。
山本:うーん。まぁいざとなったら自分で作るしかないなと。そんなとき、元部下の伊藤(光彦)が「僕が現場をつくります」と名乗り出てくれたのがやっぱり大きいです。そもそも和田さんと僕を引き合わせてくれたのが伊藤だったんですよね。
――伊藤さんは、トワイライトスタジオの代表取締役で本作のアニメーションプロデューサーをされている方ですね。
山本:彼も、「山本さんをこのまま終わらせるわけにはいかない」と同情してくれたんでしょうね。そこで義侠心がわきあがって現場をつくりますと。「僕が会社をつくります。そこを母体にして『薄暮』をつくりましょう」との提案があったんです。彼に会社の経営は絶対無理だと思って、ものすごく不安だったから「できるの?」と聞いたら、できもしないのに「はい!」と(苦笑)。そのとき「本気か?」とも聞きましたけど、「やります!」と言い切るもんだから任せちゃったんですよね。僕はどうしても情に流されるタイプなので(苦笑)。
――和田さんは単にアニメがつくりたいのではなくて、山本監督にアニメをつくってほしくて、それに関わりたかったのでしょうね。
山本:僕にとっては知ったこっちゃないんですけどね(苦笑)。やっぱり最初の頃は、ちょっとありがた迷惑でしたよ。「そんなこと言ってもお金はあるの?」「現場はあるの?」という話ですから。
――監督からすると、そうなりますよね。
山本:俺ひとりで1枚1枚描くわけじゃないよって。そういう基本的なところを分かっているのかなと思いながらも、まあ最終的には任せちゃいましたね。結局のところ、「薄暮」ができるとなった瞬間に僕も色めきだつわけですよ。そういえば「東北三部作」の福島編をやっていないと思い出して、「薄暮」と福島がくっつくなと思った瞬間に……。かつて宣言した以上は、やっぱりやっておかねばならないなと最終的には思ったんです。
(c)Yutaka Yamamoto/Project Twilight――昔から思い描いていた「薄暮」のストーリーを、舞台を福島におきかえるかたちで再構成されていったわけですね。
山本:東北三部作のことはそれまで諦めていて、もう忘れかけていましたからね。「アニメはもう勘弁してくれ」となって実際体調を崩して、まあ今も万全ではないんですけれど。なので、三部作どころかアニメをつくること自体が無理だと思っていたんですが、和田さんのオファーをきっかけに全部繋がっていったので、「んー、じゃあやるか」と。そういう感じでしたね。
――クラウドファンディングがスタートした2017年2月の時点で、小説のかたちで物語の骨子ができていますよね。そのときの小説を改稿したものが文庫として出版されていますが、ほぼできあがった映画そのままで、絵コンテをそのまま小説にしたんじゃないかと思ったぐらいでした。
山本:構想25年ですから、普通に書けますよ。もうあたため放題にあたためていましたので(笑)。ただ、最初はやっぱり20分の尺で考えていて、若い頃書いた第一稿というか、草稿では佐智が「朧月夜!」と言ってルンルンと帰るところで終わっているんですよ。
――あ、そうなんですね。
山本:最初の稿は20分尺のつもりで書いていたんですが、和田さんから「どうしても劇場にかけたいから、もう少し長くしてほしい」と言われて。で、今の僕の体力だと、伸ばしても1時間が限界ですとハッキリ言ったんですよ。それでももっと伸ばしてほしいと言われて、「絶っ対無理です!」と断って、最終的には、新海(誠)さんの「言の葉の庭」ぐらいの中編が限界ですと。それで後半部分をつけ足したんです。
――たしかに、ふたりが交流してLINEを交換するところで終わるのも、それはそれでいい終わり方だと思います。
山本:きれいでしょう? それでいいと思ったんですよ。そこをみんな無理したから現場がグチャグチャになって……(苦笑)。「だから後半はいらんかったんや!」と、ほんとに後悔してますけどね。
――いえいえ。やっぱり後半があってよかったと思います。初見のときに、いちばんいいなと感じたのが、52分の尺で過不足なく物語がまとまっていて、ダレずに楽しく見れたことでした。山本監督は「Wake Up, Girls!」(以下、「WUG」)で3本、同じぐらいの尺でつくられていますよね。
山本:あの尺の感覚が、僕には気持ちいいんですよ。この年になると2時間見るのが嫌になってくるんですよね。集中力も切れるし、トイレにも行きたくなるし。そんなときに、「WUG」の劇場を3本やって、これはちょうどいいなと思っていたんですよ。なので、最終的に52分になった「薄暮」もまったく同じ感覚でやれていて、もう慣れているんですよね。「あと30分足せ」と言われても、まあそれは足せますよと。そういう意味では楽でした。
 ただ、尺を伸ばしたのはいいけど、予算はどうするのという話になって、またもめたんですよ。「これはたぶん(製作費が)億いきますよ」と言った瞬間、和田さん「うわあ、どうしよう」とビビッちゃって。だから20分にしようと言ったでしょう、なんて話になって(笑)。でも、どうしても1時間でかけたいと意見があわなくなったとき、「分かりました。クラウドファンディングをしましょう」と。クラウドファンディングで1億円も集まるわけがないけれども、これがもし成功したらやろうと。一種の賭けですね。成功したら絶対にあとには引けないからやりましょう。で、失敗したらやめましょうと。
――それでクラウンドファンディングを行ったのですね。
山本:当時は、クラウドファンディングで「アニメをつくります」と言っても、どうなるかまったく自信がなかったんですけどね。そのときに原作をばばーっと書いて、ちょっと粗い最初のプロトタイプを無料公開しちゃえと。いまでもクラウドファンディングのページに無料配布版が載っていると思いますけど(※編注)。その後、誤字脱字ふくめて全部洗い出して紙の冊子にしましたが、それはクラウドファンディングが成功したあとですね。そこまではほぼ手弁当で、プロトタイプを執筆するだけの最低限のお金だけもらって、あとはクラウドファンディングが上手くいくかどうかで決めようと。そんなふうに和田さんと約束したんです。
編注:無料公開された原作小説「薄暮」は、クラウドファンディングのページ(https://camp-fire.jp/projects/11715/activities/25052 )から読むことができる。
――どちらかというと、作り手である監督がブレーキなしのフルスロットルでいこうとして、周りの人がそれをセーブするイメージがあるのですが、今の話を聞くと逆ですね。山本監督のほうができる範囲でやろうと言われていて。
山本:いやあ、そんなふうに鼻息あらくやった作品は、この10年ないですよ。「薄暮」のときも「やめたい、やめたい」と言っていた僕を慰めてくれたのはありがたかったですけど、「じゃあやるかあ」という感じでした。もちろん、やるからにはプロですから、きちんとやらなきゃいけないし、言うべきことは言うし、間違っていることは間違っていると人よりも強く言いますけどね。
――なるほど。
山本:それがねえ、プロデューサーというのは実に愚かな生き物なので、「ヤマカンが勝手にやった」「暴走した」とか言いはじめるんですよ。何を言っているんだと。お前が暴走したんだから責任とれよ! と思うんです。
――監督は、つくられたものに対して責任をもつ部分があると思います。だからこそ、「薄暮」では20分ぐらいの尺でいいんじゃないかと現実的に考えられたわけですね。
山本:僕は、そういうことを全部踏みにじるのはプロデューサーだと思っています。監督なんて力ないですよ。庵野(秀明)さんくらいの頃までは違ったかもしれませんが、僕らの世代なんてもうプロデューサーのわがままに振り回されっぱなしです。で、都合が悪くなると「監督がメチャクチャしたんで」みたいに言って。もうほんと「プロデューサーはいらない!」と僕は確信しているので。
――「薄暮」で山本監督は、「プロデュース」としてもクレジットされていますね。
山本:「薄暮」については、最初から僕がプロデュース業務の片棒を担ごうと考えていました。ふたりは経験値が浅くて、きっと全部はできっこないと思ったので、足らないところは全部僕が補おうということではじめました。

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