【特集企画】A New Musical『FACTOR
Y GIRLS~私が描く物語~』The road
to the opening<No.8>世界初演の
新作ミュージカル堂々開幕!

ブロードウェイの新進気鋭ソングライティングコンビと日本のクリエイティブチームが、新作ロックミュージカルを共作し、世界に先駆け上演するプロジェクトとして注目を集めるA New Musical『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』(以下『FACTORY GIRLS』)。
この作品は、劣悪な労働環境の改善と、働く女性の尊厳を勝ち取ることを求めて、19世紀半ばアメリカで実際に起った労働争議を率いた実在の女性サラ・バグリーと、サラと固い友情を結びながらも雇い主との板挟みで苦しむハリエット・ファーリーを主人公に、今の時代にこそ伝えたい「自由を求めて闘った女性達の物語」を、ロックサウンドのミュージカルナンバーに乗せた、迫力の歌とダンス満載のエンターテインメントとして創り出す、日米合作による画期的な新作。
SPICEではこのかつてないプロジェクトで生み出される作品が、開幕するまでの道程に密着。様々な角度から、作品が立ち上がっていく過程をレポートしていく。

A New Musical『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』The road to the opening世界初演の新作ミュージカル堂々開幕!
連載第8回は、遂に開幕した『FACTORY GIRLS』が、9月25日(水)TBS赤坂ACTシアターの舞台で、その全容を表わした模様をお届けする。
初日を前に、マスメディア向けの囲み会見とゲネプロが行われた。客席には脚本・演出の板垣恭一をはじめ、この日の為にスクラムを組んできたスタッフ陣、そしてニューヨークから駆け付けた音楽・詞のクレイトン・アイロンズとショーン・マホニ―が揃い、ゲネプロの開幕を待っていた。だが、そこにはピリピリした緊張感は意外なほどなく、むしろ静かな高揚感が伝わってきていた。それが開幕への確かな手ごたえによるものだったであろうことを、繰り広げられたステージが教えてくれた。
ステージ奥に位置したバンドメンバーによるオーバーチュアがはじまり、『FACTORY GIRLS』が動き出す。どこか剥き出しの鉄骨感を残す二階建てのセットは、紡績工場で栄えたローウェルの街を象徴するようであり、同時にライトやキャストたちの手によって動かされる様々な道具によって、舞台を様々な時空へと変化させてもいく。
舞台プロセニアムの最上部に「1887年 ルーシー・ラーコムの講演会」の文字が浮かび、オールド・ルーシーに扮した剣幸が登場。女性だけで創られた文芸誌として大きな話題を呼んだ「ローウェル・オウファリング」の編集長ハリエット・ファーリーのソニン、そして、女性による初めての労働争議を率いたサラ・バグリーの柚希礼音が登場。オールド・ルーシーの「これは過去から現在へと続く、女性たちの戦いの物語です」の言葉で、物語は紡がれていく。
描かれていくのは、働いている女性自体がまだ稀な存在で、布を織ることを機械のように1日13時間も14時間も続けて尚、男性の半分の賃金しかもらえないことが当たり前の時代に、彼女たちが剣ではなくペンで女性も男性と同じ人間だと認めさせようとする姿だ。女性が学ぶことがそもそも不必要だとの考えが強く残っている時に、女性が文章で意見を発表することは驚きと同時に揶揄もされる。それでも彼女たちは「言葉」を使って、それぞれの主張を展開していく。けれども、この連載でも度々触れてきたように、舞台はその現在も世界の至るところで、そしておおっぴらに言葉にすることこそ憚られているだけで、社会のしくみや意識の中には、残念ながら我が日本にも根強く残っている問題を正面から扱って尚、決して重苦しいだけのものになっていない。過酷な労働の中にあっても「ファクトリー・ガールズ」たちはよく笑い、夢もみる。睡眠時間を削ってもちゃんとオシャレに精を出す女性もいれば、愚痴を言う暇があるなら手を動かすと言いきって病院に寄付をするキルトを縫う女性もいる。いさかいがあっても、意見の違いがあっても、彼女たちは常に手を取り合い、決して明るさを失わずに生きていて、だからこそ舞台からは爆発するようなエネルギーが迸る。
このパワーに接した時、この作品が日米合作による新作ミュージカルで、キャストを想定してあてがきをした板垣恭一の脚本と、そもそもの着想を立ち上げ曲を書き、さらにこの日本での世界初演の為に、多彩な楽曲の多くを書き下ろしたクレイトン・アイロンズとショーン・マホニ―の楽曲の力を思わずにはいられなかった。過去の時代の出来事を描いていながら、今日に続いている問題だというテーマが、クレイトン・アイロンズとショーン・マホニ―の、複雑さも併せ持つリズムと、それでいながら美しいメロディーという、まさに「今」を感じさせる楽曲が雄弁に語るものの大きさ。さらに板垣の紡ぎ出した、この役者が演じるとわかって書かれた言葉たち。それら、日本語でオーダーを出し、英語で書かれ、またそれを日本語に翻訳するという、労力と時間を惜しまなかったからこそ生まれた日米のコラボレーションが、全く新しいミュージカルを生み出した力には絶大なものがあった。
そして何よりも大きいのは、作品を共に一から創り上げた「オリジナルキャスト」の面々が、舞台に躍動する姿だ。
物語は柚希礼音のサラ・バグリーがローウェルに現れたことで動き出す。ガッツがあり信じたものに真っ直ぐに突き進み、女性たちのリーダーとなっていくカリスマ的な求心力を持ったサラは、思えば宝塚歌劇団で10年に一人のレジェンドと言われた柚希の姿にそのまま重なる。心のうちをダンスで表現する場や、女性たちを率いていく様にも、柚希礼音ここにあり! のオーラが迸る。それでいてふと見せる脆さや、揺らぎに絶対的存在である宝塚のトップスター時にはむしろ不要だった、人間らしい惑いも見えて、サラが決してスーパーヒーローではないことも、作品に深みを与えている。柚希が宝塚を退団してからの日々に女優として培ったものがここに生きていて、今の柚希にしかできないサラ・バグリーが生まれた爽快感には代えがたいものがある。
一方、過酷な境遇にある女性たちが数多く登場する中でも、よくぞここまでたった一人で歩み続けてきたと思える過去を持つハリエット・ファーリーのソニンは、その能力で手に入れた地位と立場を守りながら、むしろ守り続けることで女性の尊厳を認めさせようとする頭脳戦を展開する女性を、エネルギーをうちに秘めて演じている。革命に正面から身を投じていく役柄を多く演じてきたソニンがこうしたある種の辛抱役を演じるからこその新鮮さがあり、立ち居振る舞いに宿るエレガントさも効いていて、最後の最後に溜めに溜めていたマグマが噴出する際の強さとカタルシスには、胸を鷲掴みにされるほどの力があった。なぜハリエットがソニンだったのかと、ソニンだったからこそこのハリエットが生まれた、その双方に得心がいく見事な造形だった。
この二人が対照にあることで、作品はより味わいを増していく。二人のデュエット「あなたと出会えて」「自由の国の娘たち」サラのソロ「剣と盾」ハリエットのソロ「ペーパードール」いずれもが耳と心に深く残るのは、楽曲の素晴らしさをそのままに届けてくれる二人の歌唱も大きく寄与している。
それと同じ意味で「ファクトリー・ガールズ」たちに実力者が揃い、戦うガールズという集団としてだけではなく、個々のキャラクターが粒だっていることがさらに舞台の力を増していく。
弟の手術代を作る為に工場で働き、いつかは医療に従事したいとの願いをキルトに込めるアビゲイルの実咲凜音は、サラをも奮い立たせる原動力になる「ファクトリー・ガールズ」たちのまとめ役を凜とした気概で演じている。宝塚歌劇の元トップ娘役として、儚げなヒロインも演じられる実咲だが、彼女の根っこにあるのはこのアビゲイル役に打ってつけの、あくまでもメゲない力強さと突進力。「自由か死か」で「私は私を生きたい!」と主張し、「言葉の戦争」で女性たちをセンターで率いる姿に、実咲の本質が生きている。同時に常に相手の立場に立ち、意見が異なることがあってもハリエットを同じ仲間だと言い切るアビゲイルの公明正大な優しさが、綺麗ごとにならないのも、心優しい女神のような女性も演じてきた実咲の経験の賜物だった。
他にもルーシー・ラーコムの清水くるみの気が付けば目で追っているほどの、愛くるしい動きが、様々な出来事を経て成長していく様は、語り部であるオールド・ルーシーに成長する役柄にリアルを与えているし、自ら稼ぎ出した自由になるお金を使って、どんな時もオシャレをして「良い男をゲットする!」との言動が、女性の権利獲得を描いている作品の中で全く嫌味にも軽薄にもならない石田ニコルの美しさと多彩な表現力が、最後には友情を選択していくマーシャを支えた。パワフルな歌声で寄与するへプサベスの青野紗穂、グレイディーズの谷口ゆうなも、それぞれのソロはもちろんのこと個性的なキャラクター造形が際立っている。特にどこかで怯えていて、引っ込み思案のフローリアの能條愛未が、壮絶な境遇をひたひたと生き抜いていく姿に、真実味を感じさせて力量を発揮した。
彼女たちの物語に登場してくる男性陣では、工場長アボットの原田優一が、もう原田にしかできない、登場しただけで笑わせる存在感と、瞬時にどう立ち回るべきかを判断していく男性のゾッとするほどの怖さを描くと、さらに上の悪党とも言える州議会議員スクーラーの戸井勝海が、権力ですべてをねじ伏せようとする一挙手一投足が嫌な奴を、惚れ惚れとするほどきちんと造形して感嘆させられる。
一方、労働新聞「ボイス・オブ・インダストリー」を発行するアイルランド移民の男性シェイマスの平野良が、サラに剣となるペンを持つ勇気を与える人物を力強く演じて強烈に目を引く。またハリエットを妻にと願うベンジャミンの猪塚健太が、作品が求める王子様感を的確に表現していて、台本を読んだ印象よりも、ハリエット自身もベンジャミンに心惹かれていることが伝わる関係性に説得力を与えたのは、猪塚のこの演じぶりあってこその効果だった。
こうした役名がハッキリ明記されている人物たちだけでなく、ファクトリー・ガールズや、工員などを演じるアンサンブルの面々も個性的でパワフルで、作品の熱量を底上げする力になっている。そんな登場人物たち全てを束ねる位置にある剣幸の大きな包容力が醸し出した、新しい時代の生き方を認めていくルーシーの母と、そのルーシーが長じた姿という難しい二役で、作品をつなげた要としての存在感にも余人をもって代えがたいものがあった。
何よりも感じたのは、本読み、稽古場、そして舞台とこの作品が、途方もない人々の情熱と努力によって、最初に見えた景色の遥かに先の高みへと飛翔していった素晴らしさだった。ここには日米の合作、あてがきによるキャストと役柄のマッチ感なくしては生まれなかっただろう熱量と、すべての力が結集する総合芸術としての舞台作品の輝きが満ちている。誰一人が欠けてもこの作品はここまでの境地にはたどり着けなかっただろう。それがまるで奇跡のように感じられる。

「この戦いが終わってすべてが語られるときに 流した涙のワケ伝えたい」

「いつか私が終わるとしても 誇りをこの胸に歩き続けよう 世界はまだ変われるから 私はまだ変われるから」
と締めくくられる物語『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』は、今、舞台作品として私たちに手渡される物語になった。このことを連載企画の最後に伝えたい。この物語を手渡された誰もが、きっとまだ変われるし、誰もが変われるなら、世界はきっと変わる。きっと変わっていく。
「だからあきらめず進み続けよう」
日米の、言葉の壁を越え、多くの人々の知恵と時間と努力で紡がれた作品から発せられる、この言葉を、一人でも多くの人に受け取って欲しい。そう強く感じたA New Musical『FACTORY GIRLS~私が描く物語~』。The road to the opening=開幕への長い道のりのすべてが昇華された舞台が、いま続いている。

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