1980年代ニューヨーク・アート界の風
雲児・バスキアの作品と人物像に迫る
『KING FOR A DECADE―JEAN‐MICHEL
BASQUIAT』

2019年9月21日(土)から11月17日(日)の期間、森アーツセンターギャラリーで『バスキア展 メイド・イン・ジャパン Jean-Michel Basquiat : Made in Japan』が開催される。ニューヨークのアート界に彗星のように現れ、数々の有名なアーティストたちと交流し、エキセントリックな行動で注目されたジャン=ミシェル・バスキアは27歳の若さで急逝。一度見たら忘れられない鮮烈な作品と、伝説的な生き様が相まって、半ば伝説と化しているアーティストだ。
バスキアが生まれ育ったニューヨーク
さまざまなカルチャーが混じりあうエネルギッシュな空間
1960年にニューヨークで生まれたバスキアは、幼少時から母親に連れられて美術館に通った。彼は7歳の時に車に轢かれ、入院中に母親が『解剖学』という本を贈る。事故の体験と解剖学の本は、後にバスキアの作中に繰り返し登場する人間の臓器や骨格というテーマの元となった。その後、美術などを専門に教える学校に通いながら、ニューヨークのストリートでスプレーペインティングを開始する。
バスキアが有名になる前の1970年代後半のニューヨークは、美術だけではなく、文学や音楽、パフォーマンスなどのボーダーレスなコミュニティがあった。特に音楽に関する動きが活発で、スラム街の日常などを語る歌詞で構成されたヒップホップが生まれ、そこからラップ、ブレイク・ダンスなどの動きに膨らんでいった。同じ時期、絵だけではなく文字や記号を使い、仲間だけにしか分からない隠語が含まれたスプレーの落書きが増えた。反社会的なメッセージを含むそのアートはグラフィティと呼ばれ(日本ではストリートアートとも呼ばれる)、地下鉄や街中などに氾濫していった。
バスキアは「SAMO(c)」という偽名を使い、ソーホーやブルックリン橋、トライベッカなどでスプレーペインティングを実施、有名になっていく。その後グラフィティからは遠ざかり、壁ではなくキャンバスに描くようになり、ギャラリーでグループ展や個展を開催、有名なレストランやパーティー、ナイトクラブに顔を出し、アンディ・ウォーホルをはじめとした多くのアーティストやギャラリー・オーナーと対面、アート界の寵児になった。バスキアのアート作品と、人物像を追ったのが、実際にバスキアと会い、当時のニューヨークのアートシーンを目の当たりにした河内タカによる『KING FOR A DECADE―JEAN‐MICHEL BASQUIAT』だ。
河内 タカ (監修) 『KING FOR A DECADE―JEAN‐MICHEL BASQUIAT』 amazonより
バスキアのキャリアと作品の特徴
短くも濃密な制作期間とグラフィティ・アーティストの名残
バスキアのキャリアは本書において、三つの期間に分けられている。最初は1980年から1982年の三年間で、ストリートで見られるオブジェなどの特徴が多くみられる時期だ。1982年から1985年までは文字やコラージュを多用し、バスキアの名で想起される先鋭的な作品をつくった。最後は1986年から亡くなるまでの1988年で、新しい人物表現や過去には見られなかったシンボルなどが生まれ、作品は洗練を極めた。
本書では、バスキアの作品の性質の一つとして「つかみどころのなさ」を挙げる。バスキアは文字や記号を駆使するが、彼の言葉は「時には断片的で簡潔に省略された形で提示されたり、またある時は思慮深くアレンジされ暗号化されて」いる。言葉はさまざまな使われ方をし、イメージを導くが、逆にイメージが言葉となることもある。言葉とイメージは相互に作用して流動的な役割を果たし、それらが一体になって「独特のバスキアの世界を形成」している。
またバスキア作品は「初めも終わりもなく、画面上のどの部分も平等に取り扱われていて」、「多くのイメージや情報などが、どさっと私たちの前にほうりだされる感じ」であることも特徴とされる。バスキアはストリートを舞台とした後、活動の場をギャラリーへ移したという経緯があり、もともとキャンバスという限られた空間で描いていたわけではない。メインのモチーフを決めて描くのではなく、描く対象のさまざまなスペースに情報を置くのは、バスキアがグラフィティ・アーティストだったことに由来するのだろう。

ジョン・ルーリー、アンディ・ウォーホル、メアリー・ブーン……
華やかな人間関係と目まぐるしい私生活
本書には、バスキア存命時に彼と交流のあったアーティストやギャラリー・オーナーたちの証言が掲載されており、生のバスキアの人物像が伝わってくる。映画『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の主役を務めた俳優でありミュージシャンでもあるジョン・ルーリーは、バスキアが有名になる前から交流しており、大喧嘩もしたが、彼の葬式ではサキソフォンを吹いたそうだ。ギャラリー・オーナーのメアリー・ブーンはまだ20歳だったバスキアの才能を見抜き、黒人や女性アーティストも多く紹介する彼女のギャラリーでバスキアの個展を開催した。欧米のアート界に最も影響力のある人物の一人であるブルーノ・ビショッフバーガーは、アンディ・ウォーホルにバスキアを紹介した時の思い出とバスキアの特異な才を語る。
身近な人々の証言から浮かび上がるバスキアは、自由気ままで好奇心に溢れ、固定観念に縛られずに常に新しい要素を採り入れ、野心的でありつつ繊細である。恐らくバスキアは磁力のように人を惹きつける吸引力があり、作品の強烈な個性と相まって多くの人を惹きつけたのだろう。彼に対するコメントは温かく実直で、恐らくトラブルメーカーでもあったのだろうが、それでもつき合いたいと思わせる魅力があったことをうかがわせる。
『バスキア展 メイド・イン・ジャパン Jean-Michel Basquiat : Made in Japan』では、世界中から集めた約130点ものバスキア作品を見ることができる。1980年代のニューヨークのアート界を駆け抜けた風雲児・バスキアの世界に浸ることができる本展、是非この機会を逃さずに足を運びたい。

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