大森立嗣監督

大森立嗣監督

【インタビュー】『タロウのバカ』大
森立嗣監督 驚異の新人YOSHI、
菅田将暉、仲野太賀共演作で「『生き
る』ということを見詰め直してみよう
と思った」

 ある川沿いの町。「タロウ」と呼ばれる名前のない少年(YOSHI)は、母親から放置され、学校にも行かず、高校生のエージ(菅田将暉)やスギオ(仲野太賀)と共に、当てのない日々を過ごしていた。そんなある日、偶然一丁の拳銃を手に入れたことから、彼らは過酷な現実と向き合うこととなる…。9月6日、テアトル新宿ほか全国ロードショーとなる『タロウのバカ』は、主演を務める新人YOSHIの圧倒的な存在感、痛烈な批評精神を持って現代社会を見つめた物語など、注目の一作だ。メガホンを取ったのは、『日日是好日』(18)、『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(18)などの話題作を送り出す大森立嗣監督。製作の背景、作品に込めた思いを聞いた。
-「名前がない、学校にも行かない」という主人公タロウのキャラクターが強烈です。どんなところから、この主人公が生まれたのでしょうか。
 この映画では、「生きる」ということを見詰め直してみようと思ったんです。今の日本はあまりにも経済を優先し過ぎて、豊かになったのはいいけれど、それで本当に幸せになったのかというフィードバックがなさすぎる。妄想に取りつかれているだけではないのかと。そこを考えるには、人間そのものを見つめる必要がある。そのためには、社会的なバックグラウンドを持たず、名前もない人間の視点がほしかった。ただ、大人になるとモラルやコンプライアンスなど、いろいろなものを背負ってしまい、だんだん人間そのものから離れていってしまう感覚が、僕にはありました。だから、主人公は少年の方がいいだろうと。
-演技初挑戦でタロウを演じたYOSHIさんの存在感が圧倒的だと感じました。監督ご自身がインスタグラムで発見したそうですが、起用の決め手は?
 オーディションのような形でいろいろな子に会ったのですが、みんな15、6歳になると、どこか社会化されていて礼儀正しい。でも、タロウはそういうものからかけ離れたところにいなければいけないだろうと。「今の日本に、そんな子がいるのか?」とも思いましたが、彼に会った瞬間、まさにこの子だと。社会化されていないということを、自分の中で肯定している感覚が、彼にはあったんです。そこがすごく魅力的で、即決でした。
-現場でのYOSHIさんは、どんな様子だったのでしょうか。
 普通の映画の現場で考えたら、彼の振る舞いはむちゃくちゃです(笑)。僕のことを「タッチャーン!」と呼んで膝の上に乗ってきたり、「撮影終わったら、ゲーセン行こうよ!」と言ったり…。撮影のときも、「やっべー、緊張する!」と言ったかと思えば、「俺、できたよ!」と言ってみたり…。ただのクソガキです(笑)。でも、そんな現場は長いこと経験していなかったので、スタッフもみんな喜んでいました。映画って、自由に表現をしているつもりだけど、実際はいろいろなしがらみを背負って撮影しなければならない。当時、事務所に所属していなかった彼は、そういうものとは全くかけ離れたところから来てくれたので、すごく新鮮でした。「野性的」と言ってもいいかもしれません。楽しかったです。
-現場でのYOSHIさんと菅田さん、太賀さんの関係は?
 先にYOSHIくんが2人のことを好きになってくれました。菅田くんと太賀くんは最初、「この子、誰?」みたいな感じでしたけど、すぐに仲良くなって。2人は大人なので、この現場のにおいも分かって、「この映画をよくするために、自分たちの役割を果たす」ということだったと思います。それでも、一緒に古着屋に行ったりして、心から楽しんでいる様子がありました。
-一方、タロウと関わる役で、ダウン症の方たちも出演していますね。
 人間そのものを撮りたいと思っていたので、タロウに近い存在として出てもらいました。今の社会で、彼らが大きな仕事をするのはなかなか難しいことですが、実はものすごく生命力にあふれている。社会的なものを背負っていないタロウと同じように、余分なものをそぎ落とした存在として、彼らをフィーチャーしてみました。
-というと?
 この映画には、普段から歌やダンスをやっているダウン症の女の子だけでなく、より重度の障害者の子たちも出ています。そういう子たちが、こうやって映画を通じて社会参加していくことは、どんどんやった方がいい。彼らが「菅田くんに会える!」と喜んだりするところは、本当に普通です。僕としては、障害者の人も健常者の人も、なるべく一緒に生活できることが、国として最も豊かな状態だと思っています。だから、一日も早くそういう社会が実現してほしい。それはもう、ずっと願っていることです。
-ところで、本作の脚本は20年以上前に書かれたものだそうですが、それを今、映画化した理由は?
 やりたい気持ちはずっとありましたが、内容的にハードなこともあり、なかなか機会がありませんでした。それがこのところ何本か映画を作る中で、環境が整ってきたので、「やってみようか」と。だから、特にこのタイミングを狙ったわけではありません。ただ、当時とは世の中が大きく変わる中で、僕自身、これを撮りたいのかどうか、心境の変化があるのではないかとも思いました。3.11のような災害が起きた後ですから、「生」に対する日本人の捉え方も、高度経済成長期から続いた豊かな時代とは変わるのではないかと。でも、それほど変わらなかった。それどころか、ものすごい勢いで3.11を忘却していこうとしているようにすら感じられた。であれば、この脚本でまだやれるだろうと。
-そう考えると、平成の30年間で、「生きる」ことに対する日本人の考え方が大きく変わらなかったということかもしれません。そうすると、ちょうど時代が令和に変わった今、平成を振り返るような作品になるのでは…という印象も受けますが。
 そんな大それたつもりはありませんが(笑)。ただやっぱり、平成の時代は、あらゆる都合の悪いものを排除しようとする動きが行き過ぎていたのではないかと。その思いは今も変わりません。それに対して、ちょっとやり過ぎではないか、異様な世界になってきてはいないか、という感覚はあります。
-お話を伺うと、この映画には「排除が続いた平成の時代にピリオドを打ち、新しい世の中に向かっていこう」という願いも込められているように感じます。
 どこそこの会社の部長だとか、映画監督だとか、そういう肩書きも生きていく上ではもちろん必要です。でも、人を見るときは、それとは違う、人そのものを見つめる力、人間が「生きている」ということそのものに触れていこうとする姿勢が必要ではないでしょうか。そういう感覚があると、これから問題になっていく高齢化社会などに対して、日本の社会がどう対応するべきかという哲学が持てるのではないかと。この映画が、そういうことを考えるきっかけになってくれたらうれしいです。
(取材・文・写真/井上健一)

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