日本のAORファンに
熱狂的に支持された
ボビー・コールドウェルの
『イヴニング・スキャンダル』
シンガーソングライターとニューソウル
このAOR志向は、いつから始まったのだろうか。僕はAORの隆盛はシンガーソングライター(白人)とニューソウル(黒人)の動きに関連していると考えている。ジェームス・テイラーの『スイート・ベイビー・ジェームス』(’70)や『マッド・スライド・スリム』(‘71)、キャロル・キングの『タペストリー』(‘71)といったシンガーソングライターのアルバムは、それまでのロックの多くがグループ中心であったのに対して、生ギター中心の弾き語りにサポートメンバーが付帯するというスタイルであった。このスタイルは白人だけのブームには終わらず、黒人ソウルシンガーにも影響を与える。
1971年にリリースされたマーヴィン・ゲイの記念碑的名作『ホワッツ・ゴーイン・オン』は、ポップスの要素が強かったそれまでのモータウン・レコードのサウンドを一変させる。このアルバムはシンガーソングライター作品のように内省的で社会的な問題提起を含むシリアスな音楽性を持ち、白人黒人を問わず、新しい音楽として認知されることになる。これ以降、黒人音楽はシンガーソングライター的なニュアンスを持つニューソウル系作品がメインになった。ダニー・ハサウェイやロバータ・フラックを筆頭に、ビル・ウィザーズ、テリー・キャリアー、ビリー・ポールらが登場して、それらのアルバムに参加したバックミュージシャンにも大きな注目が集まり、彼らの都会的なセンスは逆に白人シンガーソングライターのバックにも起用される結果となった。
AORの萌芽が感じられる作品
突如スポットが当たったスタジオミュージシャンたちは黒人も白人も同じ土壌で各種アルバムに参加し、相互に影響を与えながら演奏テクニックは格段に向上していく。70年代初頭の時点で既にAORの萌芽は見られ、セールス的には芳しくなかったが、ベン・シドラン『夢の世界(原題:Feel Your Groove)』(‘71)、ビル・ウィザーズ『スティル・ビル』(’72)、アレサ・フランクリン『ヤング・ギフテッド・アンド・ブラック』(‘72)、セヴェリン・ブラウン『セヴェリン・ブラウン』(’73)、マイケル・フランクス『マイケル・フランクス』(‘73)、キャロル・キング『ファンタジー』(’73)らのアルバムでは、のちのAORにつながる明らかに都会的なサウンドが生み出されていた。中でもダニー・オキーフの『そよ風の伝説(原題:Breezy Stories)』(’73)では、同じレーベルであったことも幸いしてか、白人シンガーソングライター作品にニューソウルの旗手であるダニー・ハサウェイが参加し、AOR誕生前夜を思わせる仕上がりとなった。また、フュージョンはシンガーを外したバックミュージシャンのみの活動である場合も少なくなく、AORとフュージョンは表裏一体の関係だとも言える。バックミュージシャンとして認められたTOTO、クルセイダーズ、スタッフなどは、AOR関連やフュージョン作品で引っ張りだことなり、その役割は現在まで続いている。