ロックアーティストの
テクニック向上に
大きな役割を果たした
『スーパー・セッション』

エレクトラ・レコードの
不思議なサンプラー
『ホワッツ・シェイキン』

ロック界に話を戻すと、最初にジャムセッションを行なったのが誰かは不明だが、ジャム的な意味合いを持った作品はある。1966年にエレクトラレコードのサンプラーとしてリリースされたコンピレーション『ホワッツ・シェイキン』がそれだ。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったポール・バタフィールド・ブルース・バンドと、ジョン・セバスチャン率いるラヴィン・スプーンフルの2グループを中心に組まれた作品だが、クリーム結成前のエリック・クラプトンがパワーハウス名義で3曲、エレクトラの看板フォークシンガー、トム・ラッシュが1曲、アル・クーパーが1曲(!)収録されている。

不思議なのはラヴィン・スプーンフルは違うレーベル(カーマ・スートラ)に所属しているし、ソロアーティストデビューとなるアル・クーパーもエレクトラと契約はしていない。クラプトンのパワーハウスに至ってはスペンサー・デイヴィス・グループに在籍していたスティーブ・ウィンウッド(レーベル違いのため変名で参加)とピート・ヨーク、マンフレッド・マンのポール・ジョーンズとジャック・ブルースらが参加しており、要するにこのアルバムのためだけに集まった完全なセッショングループなのである。そう、セッション…なのだ。違うレーベルのスターたちを使う(利益が出ない)エレクトラの意図はよく分からないが、おそらく、この『ホワッツ・シェイキン』こそがロック界初の隠れたジャムセッション作である。余談だが、このセッションでの「Crossroads」や「Steppin’ Out」は、すでにクリームのイメージに近く、クラプトンは『ホワッツ・シェイキン』に参加することで、この後すぐに結成するクリームのサウンドイメージを固めていたのだと思う。

アル・クーパーは『スーパー・セッション』の着想について、67年にリリースされたアメリカ西海岸の人気グループ、モビー・グレープの『グレープ・ジャム』に参加したことで思いついたと語っているが、それは違うと言いたい。彼は『ホワッツ・シェイキン』のことを忘れているのか、何らかの理由でわざと言ってないのかのどちらかだと思う。『スーパー・セッション』のイメージは『ホワッツ・シェイキン』所収のクラプトン&パワーハウスに最も影響されていると僕は考えている。

アル・クーパーの戦略

『ホワッツ・シェイキン』のことはさておき、早熟なアル・クーパーはポップソングのソングライターとして活躍する傍ら、ジャズを演奏するのが好きだった。だから、ロックでもジャズのようにジャムセッションを取り入れることで、技術面での大幅なレベルアップが図れると考えていたようだ。そんな理由から、黎明期のロックはブルースやR&Bを模倣・展開することで成長してきただけに、ブルースの定番曲ならミュージシャンなら誰でも演奏できるはずだとアルはその企画をコロンビアレコードに持ち込んだ。

クーパーはボブ・ディランの傑作『追憶のハイウェイ61』(‘65)への参加(マイク・ブルームフィールドも参加)や、同じくディランのニューポート・フォークフェスでの有名なブーイング事件時にバックを務めるなど、すでに大物アーティストとなっていたからか簡単に企画は通り、まずは当時アメリカで最高のギタリストとして知られていたクーパーの盟友マイク・ブルームフィールドに電話を入れる。

OKMusic編集部

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