松本白鸚が語る、日本初演50周年ミュ
ージカル『ラ・マンチャの男』の遍歴
の旅とこれから

日本初演50周年となるミュージカル『ラ・マンチャの男』が2019年9~10月、上演される。初演からセルバンテス/ドン・キホーテ役を演じ続け、本作品をライフワークとしている二代目松本白鸚は、今年の8月19日に喜寿を迎え、10月19日ソワレ公演で通算上演回数1,300回を突破する予定だ。製作発表後に行われた合同取材会で、これまでの“旅”の軌跡や、作品への思いや意気込みを語った。
大人の人間が持っている「心」がテーマ
ーー日本初演50周年おめでとうございます。長年のファンもいらっしゃいますが、初めて見る方もいらっしゃると思いますので、改めて作品の魅力などを教えてください。
台本を開きますと、第1頁にデール・ワッサーマンがこの『ラ・マンチャの男』を書いた経緯が書いてあるんです。ドン・キホーテをミュージカル化することはとても不可能に近い。描くべきはドン・キホーテを書いたその陰にいる、ミゲール・デ・セルバンテスという作者だと思った、ということを書いているんですね。
私どもにとってもこれが大事なところです。我々が演じていることはあくまでも表面に出てきたもので、裏にある作者や作者が意図するものが大事だということ。「事実というのは、真実の敵だ」とか「本当の狂気とは、あるがままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わないことが本当の狂気だ」とかね、普段は照れ臭くて言えないような、大人の人間が持っている心をテーマにしたミュージカルなんです。
松本白鸚
だから最初にブロードウェイで初演された時(1965年)はみんなビックリしたんですね。50年以上前ですが、当時はベトナム戦争があって、アメリカの権威が失墜しかかっていた。『ラ・マンチャの男』は、もう一度アメリカのスピリッツを鼓舞しようとして作ったミュージカルらしいんです。ですから、舞台の最後、セルバンテスが牢獄の階段を上がって行く時、一小節もないかな、アメリカ国歌の旋律が入っていたりして……。とにかく初めてご覧になる方には、普段はあまり言えないような言葉をとても大事なこととして扱ってるミュージカルだと思っていただければ、ありがたいです。
 
私はブロードウェイ・ミュージカルだから日本で上演しなければならない、ということはないと思います。それはこの『ラ・マンチャの男』という作品が優れた作品であるから上演するのであって……。蜷川幸雄さんと『ロミオとジュリエット』(1974年)をした時に二人で話したんです。「これはシェイクスピアだから上演するんじゃないよね。いい芝居だから上演するんだよね」と。
 
私はその精神をいつも持っています。自分は歌舞伎の家に生まれて、歌舞伎をやらせていただいている上で、この『ラ・マンチャの男』をはじめとするミュージカルに出演していますけど、両方を行っているという気持ちはないんですね。いい芝居をしているという思いなのです。その思いで続けてきて、気がついてみると、この『ラ・マンチャの男』初演から50年経ってしまった。出演者の方々、関係者の方々、東宝と松竹の演劇人の良心がそうさせてくれたと会見では申しましたが、本当にそうです。そうでないと、これは上演できない。とても大事なことを言っているミュージカルなので、ぜひぜひご覧になっていただきたいと思います。
1969年4月に日本初演を迎えた『ラ・マンチャの男』のビジュアル (撮影:篠山紀信、東宝提供)
ーー1969年に帝国劇場で初演された時のエピソードがあれば教えてください。
初演の思い出ですか。思い出しますとね、二度とこの作品は上演できないと思ったのは確かです。とにかく難解なんですね。非常に哲学的なテーマで、ミュージカルショーとは一味違ったような作品だったもので。​
  
そうしたら、ブロードウェイからの話が来たんです。ジャーナリストの方々が「これは素晴らしい作品であるから見るように」と取り上げてくださって、なんとか息を吹き返した。みなさんの思いに何とか応えなくてはと思って。ただやはり一方では歌舞伎もありますから。生木を裂くわけではないですが、両手両足を持たれて、両方から引っ張られている感じがありましたけれども……とにかく今日の日を迎えられて、幸せです。
ーーこれまでいろいろな「思い姫」が出演されましたが、差し支えない程度でエピソードを教えてください。
差し支えないも何も(笑)。初演はアルドンザ役が3人(※草笛光子、浜木綿子、西尾恵美子)で、サンチョ役の番ちゃん(※当時は小鹿敦)とね、3回稽古しましたよ。2人とも若かったからですから。2代目が上月さん(※上月晃)。もう亡くなってしまったけれど、「二人でテキーラをあけましょう」とテキーラをボトルでプレゼントしてくださったけれど、それっきりでしたね。テキーラを飲む機会もなく、逝ってしまった。
 
それからツレちゃん(※鳳蘭)。その前にツレちゃんとは『スウィーニー・トッド』というミュージカルで共演して、とても素晴らしかったことを覚えています。骨折なさったまま、本番を続けていらっしゃった。公演中一言もそのことを仰らなかったので、申し訳ないなと……。その後は松たか子。ずっとアントニアをやっていたんですけど、アルドンザをやって。それからこないだはキリヤン(※霧矢大夢)がやってくださって、今度は瀬奈じゅんさん。
 
……思い出は尽きないです。すでに亡くなった方もいらっしゃるし、初演時はまだ生まれていらっしゃらない方もいらっしゃる。長い長い歴史なんだなぁとつくづく思わされます。すみません、色っぽい話が出てこなくて(笑)
「染五郎くん、日本にミュージカルが根付くまで、続けてくれよ」
ーー白鸚さんは『ラ・マンチャの男』のみならず、『王様と私』、『心をつなぐ6ペンス』、『屋根の上のヴァイオリン弾き』、『スウィーニー・トッド』など数々の東宝ミュージカルに出演されていますが、そのことは、日本の演劇界で功績を残してこられた菊田一夫先生抜きでは語れないと思います。1965年の『王様と私』で菊田先生が、当時の市川染五郎さんに初めてミュージカル出演を薦めた時は、歌舞伎の名門ご出身である白鸚さんにとっては、さぞや無茶振りだったのではないかと想像するのですが、菊田先生からはどのような言葉をかけられたのですか?(※会見時の質問)
 
私が『王様と私』の王様役で初めて出演したのは22歳のときでございました。22歳の歌舞伎役者がミュージカルに出演するなんてことは、当時は皆無です。日本でミュージカルも年に1、2本ぐらいしかなくて、(劇団四季の)浅利慶太さんもまだミュージカルをやっていらっしゃらなかったと思います。もう50年以上前ですね。
 
菊田先生は僕に「染五郎くん、続けようよ。日本にミュージカルが根付くまで、続けてくれよ」と仰いました。随分無謀な考えですよね。歌舞伎をやって、ミュージカルもやるなんてね。「先生……」という声が喉まで出かかったのですが、若かったんですね、「やります」と言っちゃった(笑)
 
ただね、菊田先生がちょうど『風と共に去りぬ』を基にした『スカーレット』というミュージカルを書かれていて、それでブロードウェイにいこうとした矢先、私に『ラ・マンチャの男』のブロードウェイ出演の話が来たんです。「先生、ブロードウェイの話が来ました」と言ったら、「おめでとう」と。握手をするときの、先生の目がね、嫉妬と悔しさで(笑)。それでも「一緒にやろうよ、ミュージカルが根付くまで続けよう」と言った先生が、「おめでとう」と仰ってくださいました。
 
私は「見果てぬ夢」を歌う時に、いつもレクイエムのつもりなんです。親父(※初代松本白鸚)が東宝に移ったこと、菊田先生に出会えたことが『ラ・マンチャの男』の出演に通じているわけですから。「見果てぬ夢」を歌うときはいつも二人の男に対する、レクイエムだと思っております。
日本初演の翌年1970年、日本人として初めてブロードウェイから招待を受けて、名門マーチンベック劇場にて全編英語のセリフで計60ステージに立つ。 東宝提供 
ーー白鸚さんが『ラ・マンチャの男』に出演するきっかけとなったのは、お父様がブロードウェイで『ラ・マンチャの男』を一番最初にご覧になったことだそうですが、お父様はこの作品の何に惹かれたと思いますか?
この作品がどんな作品であるかぐらいは把握していたと思いますが、英語が分かるわけでもないしねぇ。何か知らないけれど、舞台から素晴らしい、胸を打つものが迫ってきたんでしょうね。
 
昔、祖父の『沼津』という歌舞伎をご覧になったアメリカの将校さんが、日本語も歌舞伎も全然わからないけれど、舞台から大きな悲しみの波が押し寄せてきたのを感じたと仰っていたという話があって。それと同じようなことが起こったんじゃないですかね。きっと何か、感銘、感動の波を舞台から受けたんじゃないですかね。ブロードウェイで『ラ・マンチャの男』を観た父は、その場で菊田先生に海外電話をして、「これを染五郎にやらせてください」と。まだその頃は『ラ・マンチャの男』をご存知の方は日本にはいらっしゃらなかったし、それで実現したという。親父が東宝に移っていなければ僕と「ラ・マンチャ」の出会いはなかったわけで、菊田先生との出会いももちろんなかったわけで。ご縁ですよね。​
 
そして、親父が歌舞伎を教えた俳優さんが、(ブロードウェイ出演時に)私に英語を教えてくださったというのもまた運命というか、不思議な出来事ですよね。
「まだ夢は叶うと信じているんですよね、この俳優はね」
松本白鸚
ーー2002年からは演出も担当されています。大変だと思いますが、演出をする際に心がけていらっしゃることを教えてください。
演出という言葉を聞くと気恥ずかしいのですが、(日本初演の演出振付/演出の)エディ・ロールが全部やってくれたんです。彼はコレオグラファーだったのですが、オリジナルの演出を全部してくださった。それを踏襲しているわけですから、演出というよりも、アレンジメントですね。正確に言うと。僕はそう思っています。​
  
そのエディ・ロールがブロードウェイで演出をしてくれて、その時にたった1日だけ、マチネ公演でサンチョをやってくれた時があったんですよ。死ぬ場面の時に日本語で「旦那様……死んじゃ嫌だ」と言った。日本語ですよ? ブロードウェイの舞台で! お信じにならないでしょうけど、一ヶ月間日本で稽古をして、ラ・マンチャを僕に植え付けてくれたエディ・ロールが。僕はこの気持ちを味わうために、ブロードウェイに来たんだなと思いました。
 
……その上で、アレンジャーとして心がけていること。例えば、専門用語ですね。最初に城を見つけた時に「旗をみよ、あそこにミャ〜オと書いてあると」というセリフがあって、「猫のお城」というのはヨーロッパの方々にとっては有名ですぐ分かることらしいんですね。でも、日本のお客様は旗に猫の印があっても、いまひとつ分からないので、そのセリフを削りました。​
 
それから森岩雄さんと高田蓉子さんが訳してくださったのだけれど、やや直訳的でこなれていない日本語があった。それを直したり。僕が自慢する話はほとんどないんだけど、「白鸚の外国語の翻訳劇を見ていると、セリフがこなれている。翻訳劇のようではない」と仰っていただけることもあって。演出家として、あるいはアレンジャーとして、日本語に直す作業をいたしました。それは、日本のお客様にお見せするための一つの義務だと思っておりますから。
2005年5月、カスティーリャ・ラ・マンチャ州栄誉賞を受賞。白鵬の右にいるのは州政府ホセ・フォンテス首相、左は松たか子。 (東宝提供)
ーー難解な作品ながらも強いメッセージ性が感じられる作品ですが、白鸚さんがこの作品で伝えたいものを教えてください。
歌舞伎をご覧になったことがない方へのメッセージなど、そういうご質問はよく受けるんですね。「この言葉はこういう意味です」とか「テーマはこうです」とか、堅苦しいことは申しません。歌舞伎もそうですが、とにかくご覧になって、興味の持てるところを感じていただければいいのではないでしょうか。たかがお芝居、されどお芝居なんですけど、楽しんでいただかなくては。劇場で観る芝居が楽しく、面白くなければね。面白おかしくやるばかりではもちろんありませんけれども。
 
初演の時はそれは難しかったです。26歳ですからね。分からなかった。でもね、人生を歩んでくると、そういう目に遭わされてくる。人生で夢は敗れて、希望なんてものはなくて。実生活で経験するわけです。そして「あぁ『ラ・マンチャの男』というミュージカルで言っていたなぁ」なんて思い出したりして。さきほども申し上げましたが、この作品は青臭くて、あまり声に出して言いたくないようなテーマなんですよ。でも無くなっちゃうと寂しいもんだなぁという思いに至らせられる。だから、気づきのミュージカルとでもいいましょうか。自分の人生を経験したことで、色々と気づかされるミュージカルです。
理解するということは、「頭で理解する」ことと、「思い知らされる」ことと2種類あると思うんです。否応無しに思い知らされる時に、この『ラ・マンチャの男』をね、僕はいつも思い出しています。50年間、夢は叶うと思ってやってきたけど、なかなか叶わないですよ。叶わないのが夢だと思う。「見果てぬ夢」に何度騙されてきたか。(笑)本当にもうそう思うと、よくぞ50年……でもまだ夢は叶うと信じているんですよね、この俳優はね。あまり利口でない僕が50年もずっとやり続けてきたのですから。何かがかあるんですよね、このミュージカルには。
「いつの日か、お客様の胸の中に、消えていきたい」
松本白鸚
ーー『ラ・マンチャの男』と『勧進帳』の弁慶。いずれも白鸚さんにとっては大切なお役ですが、一世一代や役納めということはないと考えてよろしいでしょうか?
 
それは分かりません。けどね、「ラ・マンチャ」のドン・キホーテは槍を、「勧進帳」の弁慶は杖を持っていて、二人とも旅をしているんです。かたや遍歴の旅、かたや逃避の旅と言ったらいいのかな。なんか、シチュエーションが似ていませんか。ですから、もうこれで終わり、一世一代かどうかはお客様の方で決めていただいて。役者にとってはね、思い出はいっぱいあるけれども、これから幕を開ける『ラ・マンチャの男』は新しい、まっさらな『ラ・マンチャの男』なんです。初めてご覧になる方もいらっしゃるので。​
常若の精神というものがありますね。歌舞伎の襲名もそうですけど、初めてこの世に初代幸四郎が現れたのが300数十年前で、去年10代目として新しい幸四郎が生まれた。常に新しくなっていくというのは、日本の素晴らしい精神だと思うんです。たまたま日本でこの『ラ・マンチャの男』を50年演じ続けていたけれど、その常若の精神は持っていたいと思っています。一世一代ではなくて、『ラ・マンチャの男』と『勧進帳』を演じ続けていて、いつの日か、お客様の脳裏の中に、胸の中に消えていきたいなと。役者として「あれが一世一代だったのか、松本白鸚という役者もいたなぁ」ということで。僕はね、『ラ・マンチャの男』と『勧進帳』はそこまで考えております。
−−『ラ・マンチャの男』と『勧進帳』はどちらが白鸚さんにとって重いお役ですか?
命が持てば両方とも120%で演じておりますけれども、人間限りがありますからね。自分としてはそうありたいですが、もう後戻りはできません。
 
僕がいなくなった後も、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』のように、毎年必ず『ラ・マンチャの男』の火が灯ったら嬉しいなぁ。役者というのは欲があるんですよね。役者の芸というのは、その役者がなくなってしまうけれど、お客様の脳裏に残るような役者でありたい。それが役者としての務めでもあると思います。
取材・文=五月女菜穂 写真=東宝提供
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