「音楽を作るときくらいは何にも縛ら
れず自由でいたい」退屈な日々を突き
破れー No Buses|the future magaz
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考えてもみてほしい。不自由で全部に退屈している。なんとなく虚しい気分だ。音楽ばかりを聴いて高校時代をやり過ごしていた青年が、大学生になって同級生にバンドしようとこっそり声をかけてみる。デモを聴いた友人が素直にそれにのっかる。呼吸するように音楽ばかりを聴いてきた人間が、音楽仲間と出会うことで心をひらいて、誰にも邪魔をされずに淡々と好きな音楽を創っていく。そのバンドの音楽が海を超え支持されて何万回も再生される。なんて夢物語みたいなのだろう。
音楽を聴く僕たちもそんな彼らの心情に呼応するように彼らの音楽に耳を傾け、重なる部分が見つかれば、小さなキッカケが水面に波紋を落とすように、何かをはじめたくなるような気分に駆られることがごく稀に訪れる。
No Busesというバンドを聴いたとき、湧き上がったのは懐かしい感慨だ。00年代のUKロック直系のガレージ・ロック、ざらついたギターに隙間の多い音像。だけどNo Busesには懐古主義過ぎない、風通しのよさも感じられれる。
やる気があるような、ないような表情の彼らが標榜する未来はどこにあるか気になり、首謀者であるボーカル・ギターの近藤大彗君を中心にバンド結成の経緯を聞いてみた。同じ大学の同じサークルの先輩後輩という関係である我々ではあるが、この日、初対面である僕たちはシャイさを発揮しあって、なんだか小さな声で話しあった。

音楽好きな人と一緒に過ごすのって、
最高だな。

ーNo Busesは大学に入ってからはじめたバンドなんですよね。高校時代はどんな風に過ごされていたんですか?

近藤大彗(Vo&Gt):
音楽ばかり聴いて、あまり周りとつるまなかったですね。本格的に音楽にのめり込んだのは、高校1年生の頃。ONE OK ROCKを聴きはじめるのと同時に、The StrokesとかArctic Monkeysといった海外のバンドを聴くようになって。ガレージロックのジャキジャキとした音が気持ちよかったんです。
ーバンド名はArctic Monkeysの楽曲タイトルから取ってますもんね。オリジナルの楽曲を作ろうと思った経緯は?

近藤大彗(Vo&Gt):
海外のお気に入りバンドの曲を聴くと『これで完璧だ』と思う曲もあるんですけど。色々と繰り返して聴いてるうちに、『ここがもうちょっと違ったら、もっと好きだな』と思うことが時々あって。だったら自分で聴きたい曲を創ればいいやって。 だからギターを買ったばっかりで全然楽器を弾けない頃から、ボイスメモにフレーズを入れたりガレージバンドで音楽を意識的に取り入れるのが楽しくて。『音楽で食べたい』とか『売れてやる』という気持ちより、本当にただ楽しいから始めたんです。

ー楽曲はどんな風に制作しているんですか?
近藤大彗(Vo&Gt):
自分がどんな音楽を聴きたいもの次第ですね。まず、こういうビートの曲を作りたいとか、こういうベースラインの曲を作りたいというアイデアから始まるので。歌メロから考えるときもあれば、ギターのコードでバッキングを弾いてメロをのせるときもありますね。

ーまずは自分が聴きたい曲を創る。

近藤大彗(Vo&Gt):
はい。音楽を作るときは自分のためというか…自分の感覚に頼らざるを得ないので、自分が聴きたいもの先行で創ってます。曲を創る時くらいは他の人のことなんか考えないで、好きにやりたいなって。
ーでも高校時代はオリジナルのバンドを組まなかったんですね?

近藤大彗(Vo&Gt):
中高一貫の私立に在籍していたのですが、うちの学校は運動部の強豪校で。僕みたいな音楽好きは隅の方に追いやられていて。
Vo/Gt.近藤大彗
近藤大彗(Vo&Gt):
だから家でギターを弾いて、一人で膝抱えて音楽を聴いてという感じで。大学に行ってもあんまり意味がないなぁなんて思っていたんですけど。
ーその鬱屈としていた頃に今のシャイな人格が形成された感じがしますか?

近藤大彗(Vo&Gt):
そうですね…、今の感じにできあがったのは……間違いなく中高時代が影響していると思います(笑)。でも親から『大学だけは何がなんでも入ってくれ』って言われて。 仕方なく、まぁ、バンドメンバー探しついでにというノリで大学に行ったら、めっちゃいいサークルがありまして。
ーその音楽サークルに入ったことが、現メンバーと活動をするきっかけになったんですよね。
近藤大彗(Vo&Gt):
はい(笑)。はじめて周りに自分と似た音楽を好きな人がいる環境に恵まれて。音楽好きな人と一緒に過ごすのって最高だなって。
ーそこで現ギターの後藤晋也君とベースの杉山沙織さんに出会ったんですよね。
近藤大彗(Vo&Gt):
そうですね。後藤は、同期だし、一番仲が良かったので、最初に声をかけて。結構ピュアな人間だったので、割とすぐに乗り気になってくれました。でも最初は『オリジナルのバンドやりたい』とはサークルでは言わずに、慎重にタイミングを見計らってました。あるときこっそり、高校時代に作ったデモを聴かせたんです。
Gt.後藤晋也
ー杉山さんはコピ ーバンドサークルの先輩だったんですよね。

杉山沙織(Ba):
入学式の日にサークルで新入生を勧誘する習慣があるんですけど。彼だけ明らかに派手なスーツで目立っている奴がいて(笑)。ヘアスタイルもボブでデニムがネメスのもので。なんか絶対私達の仲間に入れたほうがいいと言うか、『多分私達と同じような趣味だ!』って思って声をかけたんですね。
ー(笑)。

杉山沙織(Ba):
その日から好きな音楽の話で盛り上がって。居酒屋の隅のほうで話をしていました。
ba.杉山沙織
ー杉山さんはどんなきっかけで音楽に触れるようになったんですか。

杉山沙織(Ba):
家族が全員音楽好きの家系で。リビングでJ-WAVEのラジオや洋楽が流れているような感じの家なので、意識しなくても洋楽を聴いてましたね。中学時代になると親にパソコンを買ってもらうタイミングで。自分でインターネットで調べて、バンド名と曲名が上手く一致して。NirvanaやJohn Frusciante。邦楽だとArt-Schoolを聴いてましたね。高校時代になると、毎日家に帰ったらIndie nativeをチェックするような感じで。大学に入って、サークルに迷ってるときに先輩たちが『PEACE』とか『SWIM DEEP』が好きだと聴いて。「これはヤバイ!」と思って(笑)。 こんな趣味の近い人達に出会ったことがなかったので、衝撃でした。
ー音楽を話せる友達がいないところにはじまって、サークルに救われたんですね。だから近藤君にも似たものを感じて声をかけたと。近藤君からのオリジナルバンドの誘いも2つ返事で了承したんですか?
杉山沙織(Ba):
それが 、最初オリジナルのバンドは一度断ってるんですよ。飲み会の帰り道に電車のなかで誘われたんですけど、のらりくらりとかわしてしまって。
ーそれはまたどうして?

杉山沙織(Ba):
普段仲良くしているバンド好きの先輩たちの手前、迂闊なことはできないなって。先輩たちの目が若干気になった部分はありますね。でもライブを観に行ったらめちゃくちゃ格好よくて協力したくなって。最初はデザイン周りで活動のお手伝いしようかなと思った矢先に、先のベーシストが抜けて。私が入ることになりました。
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