ハルカトミユキの軌跡に新たな光をあ
て示す未来――初のベスト盤の魅力に
せまる

ハルカトミユキのベストアルバム『BEST 2012-2019』が素晴らしい。ベストなので“最高傑作”と呼ぶことには違和感があるが、そうとでも言いたくなるほどに。その理由として、まずは二人の持つ魅力がこのうえなく凝縮された、ベスト盤たる選曲。そのうえでハルカのHから「Honesty」、ミユキのMから「Madness」、二つのテーマを設けたことが挙げられる。ニュートラルな感覚で曲を選りすぐったあとに、コンセプトを考える。その結果、偶然なのか必然なのか、見事な2枚組の新しいオリジナル・アルバムと言っていいほどの“作品”になっているのだ。そこで今回は、ハルカトミユキの歴史を結成以前からあらためて振り返るとともに、今作に込めた想い、新曲「二十歳の僕らは澄みきっていた」が示す二人の現在地と未来について、話を聞いた。
――今回は初のオールタイム・ベストのリリースにともなう取材なので、あらためてハルカトミユキの歴史について振り返りたいと思います。まず、ハルカトミユキを結成する以前のことについて聞かせてください。そもそも音楽をやろうと思ったきっかけは何だったのですか?
ハルカ:小学生の頃から歌詞や詩などの“言葉”が好きで、なんとなくそれっぽいものを書いてました。将来的には何かしら、この道で何かを表現したいと思ってたんですけど、それと同時に、自分自身が前に出たいと思う気持ちもあったんです。
――そこで音楽だった。
ハルカ:子供ながらに、詩は触れられる場も少ないし、すごく地味だなと思っていて(笑)。それをいかに多くの人に触れてもらえるかを考えたときに、歌しかないと思ったんです。だから当初は言葉を伝えるための手段が音楽、という感覚でした。
私が小学生の頃は、音楽番組が今よりたくさんあってよく観てたんです。でも、その段階では大きく心を揺さぶられることはありませんでした。音楽というものが、好きでも嫌いでもなかった。そこから中学に入ったあたりだったと思います。クラスに一人はいる、“お父さんがギターやってて”みたいな、ちょっとませた友達にUKのロック、ビートルズやオアシス、レディオヘッドなどを勧められて聴いてみたんです。そこで頭を思いっきり殴られたような衝撃を受けました。
――どこがそんなに衝撃的だったんですか?
ハルカ:まず音が気持ち悪かった。なんか効果音みたいな変な音が入ってるし、コードとかメロディーとかもポップに上がって行かずに、ずっと低空飛行のままループしてる感じにハマっていたんです。そして歌詞に興味が湧いて調べてみたら、子供ながらに「なんかやばいこと言ってるぞ」って。ぜんぶひっくるめて、私がテレビを通して知っていた音楽とは明らかに違う中毒性があったんです。そこからまたしばらくして、銀杏BOYZBUMP OF CHICKENに出会って「日本にもこんなバンドがいるんだ」と思ったことも、大きなきっかけになりました。
――最初に出会った海外のロックと銀杏BOYZやBUMP OF CHICKENはどう繋がったのですか?
ハルカ:もちろんそれぞれサウンドや使う言葉はぜんぜん違うんですけど、本心で思ってることをこっそり歌ってる感じが好きで。私自身、表面的に友達や大人に見せている顔や言葉と、本当に思っていることがどこか違っていることが、すごく嫌だったんです。でもその本心は、先生や親にも友達にも、言ってはいけない醜いことだと思ってました。その鬱屈したものを、表現していいんだって。それはテレビでは教えてくれなかった。
――なるほど。ハルカさんの表現の土台が見えたように思います。では、ミユキさんはいかがですか?
ミユキ:母親がめちゃくちゃ厳しくて、クラシックピアノを習わされてたんですけど、そこで演奏する音楽以外は聴かせてもらえなかったし、テレビも観ちゃだめだったんです。でも小学校の中学年の頃に、家族がばらばらに暮らすことになって、私はお婆ちゃん家に行きました。その瞬間に一気に解放されて、最初に好きになったのはORANGE RANGE。中学生になってファンクラブに入って、学校は嫌だけどライブに行ってリフレッシュしてまた頑張る。私にとって音楽はそういう存在でした。でも、高校生くらいのときにちょっと物足りなくなるんです。
――そこで自分も音楽をやりたくなった。
ミユキ:ヴィレヴァン(ヴィレッジヴァンガード)をうろうろしてたらニルヴァーナのカート・コバーンについての伝記が目に入ったんです。「なんてカッコいい顔なんだ」と思って手に取って、そこから彼の生き様を辿っていくと、薬物中毒だし、すでに死んでるし死因もわからない。そんな人がシンプルでめちゃくちゃカッコいい音楽を作って歌ってる。クラシックとORANGE RANGEしか知らなかった私にとっては、そのすべてが大きな衝撃でした。そこで私も音楽をやりたいって、思ったんです。
――そこからハルカトミユキのキーボードになるまでの経緯を教えてもらえますか?
ミユキ:カートの本能の赴くままのパフォーマンスや、破壊衝動むき出しの感じ、辛いことも悲しいこともぜんぶ歌とギターと曲で表現してる姿に感動したから、最初はギター・ボーカルをやってみようと思いました。今までは嫌なことがあっても何も言えなくて、ライブに行くか、親に習わされた鍵盤を強く叩くことしかできなかったんですけど、ほんとうに自分のやりたいことが見つかったんです。だから大学でバンドサークルに入って、まずはギター・ボーカルに挑戦しました。でも、あれだけ沸々とした想いがあったのに、1回のライブでだめだと思って諦めました(笑)。
――(笑)。それはなぜですか?
ミユキ:あんな声も出ないし、存在的にもボーカルでもギターでもないやって。
――そしてハルカさんに出会った。
ミユキ:はい。そのサークルのライブで、ハルカがマイクを持ってフロアに出て、けっこう暴れて歌ってたんです。すごくカッコよくて「あ、いた!」と思って、誘ったんです。私は鍵盤なら多少できるから、そこで音を歪ませて感情を表現すればいいと思いました。
ハルカトミユキ 撮影=大橋祐希
――当時はその思いをシェアしてました?
ハルカ:いえ、まったく。ミユキがピアノをやってるという情報だけでした。私は歌いたいと思ってサークルに入ったんですけど、ギターもあまり弾けないし曲も書けないから、とにかく音楽がわかる人と組みたかった。でも、いざ蓋を開けてみたら、譜面が読めないって(笑)。
ミユキ:3歳から高校までピアノを習ってたのにね(笑)。
ハルカ:おい話が違うぞって(笑)。とんでもない奴を捕えてしまったと思いながら、仕方なく見よう見まねで曲を作って、そのままずるずると。
――あらためて辿ると、お2人はけっこう近い部分がありますね。
ハルカ:だと思います。ミユキは今も当時も変わらず、フワフワした感じで、いきなりカートが好き、バンドやりたいって言ってきて、何か思うところがあるんだろうなって思ってました。で、一緒にやってみたら変な音を出すんですよ。
ミユキ:ラットを買ってキーボートにつけてね。それは音楽というよりただのノイズ。
ハルカ:だから、言いたいことを言葉にするのは上手なほうではないけど、何かを表現したいんだろうなって。そこはすごく伝わってきてました。
――そこから形にしていくのは大変ですよね。
ハルカ:サークルだから定期的にライブがあるんですけど、二人の名前すらなくて、とりあえず“ハルカトミユキ”でエントリーしました。曲もなかったから、夜中にミユキの家でアタフタしながら朝までかかって作ったんです。1曲はフォークっぽいので、もう1曲はひたすらノイズを鳴らしてるだけ。それで何とかライブをやったあとに、観ていた人から「めちゃくちゃだったけど、何かやりたいことは伝わった」って言われて、そこから真面目にやり出しました。
――それが大学1年ですから18才の頃。そこからレコード会社なり事務所から声がかかってCDを出すまでは、けっこう早かったんですね。
ハルカ:私は真面目に何曲か作った段階で、デビューしたいと思ってたから、その気持ちをミユキに話すことなく、勝手にライブの予定をたくさん入れたり、友達に頼んでレコーディングした無料CDを配ったりしてたんです。
――その音源が、今回のベストの初回盤に入ってるんですよね?
ハルカ:はい。で、その頃に作った曲をMyspaceに登録して、オーディションに応募したんです。でも、山ほどある音源のなかから、当時の私たちが作った曲なんて選ばれるはずがないと思ってたから、もう応募したことすら忘れてかけたある日、いつもやってるようなお客さんが数人しかいないライブに、見たことのない山男みたいな人がいるんですよ。それがソニーの人で。
ミユキ:山男。失礼だ(笑)。
ハルカ:その人が「こういうものです、音源を聞きました」って。ミユキは何のことだかさっぱりわかってないから説明して、ソニーの事務所に行って。
ハルカトミユキ・ハルカ 撮影=大橋祐希
――そして2012年11月にEP『虚言者が夜明けを告げる。僕たちが、いつまでも黙っていると思うな。 』でデビュー。次の年の3月に『真夜中の言葉は青い毒になり、鈍る世界にヒヤリと刺さる。』をリリースします。「Vanilla」、「ドライアイス」、「ニュートンの林檎」は今回のベストにも入ってますし、ライブでもずっとやり続けていますね。
ハルカ:2012年に大学を卒業してから出した作品なんですけど、この2作は、ドタバタしてた学生時代に作った曲がほとんど。そうですね、初期からずっとやってる曲って、けっこうあるんですよね。
――ここからさらに、時系列でハルカトミユキの軌跡を辿っていっても、おもしろい話がどんどん出てきそうなんですが、今回のベストはリリース順ではなく、はっきりとテーマを分けた2枚組全32曲。それぞれのタイトルを『Honesty』と『Madness』にしたのはなぜですか?
ハルカ:昔から“光と闇”とか“希望と絶望”とか、そういう二面性を形として表現したいと思ってたんです。そこで、ベストを出すにあたって、ハルカの“H”を取って『Honesty』とミユキの“M”で『Madness』として二つのテーマを打ち出して分けてみたら、けっこうしっくりきました。
――選曲の段階で過剰に『Honesty』と『Madness』を意識したら、“ベスト”という軸がぶれるからそうはしてないと思うんです。
ハルカ:そうですね。先に曲を選びました。
――にもかかわらず、綺麗に分かれましたね。
ハルカ:そもそもの私たちの曲って、明るい曲ですごく暗いことを言ってることも多くて、単純に音の質感ではわけられないんですけど、私たちならではの、いい感じなりました。
――私個人の印象としては、『Honesty』は何かしら答えにつながる道がある。『Madness』は絶望的なことや感情の無限ループを描いた曲が詰まってるんじゃないかと。そこで、サウンドの印象として、前者には比較的明るい曲、後者にはダークな曲が必然的に多くはなりつつ、一筋縄ではいかない。実にハルカトミユキらしいなと。
ミユキ:その感じ、わかります。
ハルカ:結果的にそうなったように思います。『Madness』的なものを振り分けようとすると、パーソナルなところに深く潜って自問自答してしまう。そこが反映されんだと思います。かたや『Honesty』は、確かに、何かしらの答えを導き出したいと思って書いたものが多く入ってますね。
ハルカトミユキ・ミユキ 撮影=大橋祐希
――その両者の歌詞を書くときのモードについて、詳しく聞きたいです。
ハルカ:いまだに光を見せる言葉ってすごく難しいですね。最初に話した音楽的なルーツの話から、地元の高円寺にあるライブハウスに通うようになって、お金もないしぜんぜん売れてないし、お客さんもほとんどいない、その日暮らしなのにめちゃくちゃ明るい人たちが演奏するパンクソングが大好きだったんです。なんで外から見たらこんなに絶望的な状況なのにパワフルなんだって。ただ「頑張れ!」とか言ってるわけじゃないんです。どうしようもない状況を赤裸々に歌った曲でも、私はなぜかその言葉に励まされてた。だから私も絶望的なんですけど、「なんか大丈夫かも」って感じられる曲が書きたくて、ずっとそうしてきたので。
でも、大人になって、もうちょっと力まずに足どり軽く言葉を書いてもいいかもなって。もっとも強くそう思えたのは「17才」ですね。曲やメロディーに責任を投げるじゃないですけど、光のある言葉を書くときは、そういう気持ちのような気がします。
――それはセカンドアルバム『LOVELESS/ARTLESS』以降、それまではほぼすべてをハルカさんが手掛けてきた作曲を、ミユキさんに委ねるようになったことも大きいですか?
ハルカ:すごくあると思います。
ミユキ:私にとっても曲を書くようになったのは分岐点でした。ハルカは最初から音楽の道でやっていきたいって言ってましたけど、私はどこか「楽しかったらいいや」って思いながら進んでしまっていた部分があった。曲はハルカが作るからそれに乗せようって、今思えば責任を押し付けていたのかもしれません。
――なぜそこで気持ちを新たに動き出したんですか?
ミユキ:ハルカもずっと一人で書いてると、書きたいものがなくなることもある。それがたまたまセカンドアルバムの制作期間で、プロデューサーの野村陽一郎さんが、「あなたが曲を作るしかないんだよ」って。そこから野村さんにいろいろ教わって理論を学びだしたんです。今までは私に曲は書けないと思ってたけど、それはぜんぶ感覚でやってたから。今の私は当時の私に、「なにそんな甘っちょろいこと言ってんだ」って思います。
――そしてハルカトミユキに新しい色が加わった。
ミユキ:私はORANGE RANGEのような、そもそも明るい曲が好きだったんですけど、大学に入ってハルカトミユキをやりだしてからはそこを隠してたんです。暗い曲とかクールなものが好きな自分だけを出してた。ある意味自分を作ってたんですけど、いざ曲を作ろうとすると、本来の自分が出るんですよね。明るい曲も好きだし書ける。暗い曲もそう。そこは自分の強味だって、自分が縛られていたハルカトミユキの影みたいなものから放たれたんです。だから、そうなってからしばらくしての「17才」はすごく書きやすかったです。
――ハルカさんのレスポンスはどうだったんですか?
ミユキ:ハルカも全部マイナーとかだと、アルバム的にはおもしろくないって。そこでキラキラしたエレクトロポップみたいな曲が好きな私を前面に出したときに、速攻で歌詞を書いてきたんです。ハルカは人が書いた曲に歌詞を充てるのは抵抗あるんじゃないかと思ってたら、ぜんぜんそんなことなくて。私の個性ややりたいことを出せば出すほど応えてくれました。
――セカンドアルバム以降、本当の意味で二人の個性がぶつかり合って高まっていく熱をすごく感じています。
ミユキ:ハルカはシンガーソング・ライター。歌詞も書いて自分で歌うから、コード進行にもメロディーにも癖があってそこがいいんです。私はあまり癖がないから、それらがいいバランスになって、新しい世界が開けたように思います。
ハルカトミユキ 撮影=大橋祐希
――ここで、話を初期に戻して質問させてください。前述したデビューから2枚のEPと、2013年のファースト・アルバム『シアノタイプ』、2014年5月のEP『そんなことどうだっていい、この歌を君が好きだと言ってくれたら。』までは、さまざまな曲があるんですけど、先にお二人が大きな影響を受けたとおっしゃった、ニルヴァーナやレディオヘッドなど、オルタナティヴ・ロックやインディー・ロックの系譜に連なる世界観で統一されていたように思います。それは意図的なことだったのか、そのときの精一杯だったのか。
ハルカ:私としては、そんなに考えずに曲を作ってたんです。そこにオルタナ的な匂いをかぎとってくれた人たちがいて、アレンジしてもらったら、そういう要素をデフォルメしてくれたというか、いいところに落とし込んでくれました。だから『シアノタイプ』は特に、自分たちだけだとそこまで行けなかったけど何の違和感もない、絶妙な作品だと思います。
――その頃から現在、人は環境もやることも変わっていくものですけど、本質的な部分で、変わらないか変わったのか、根本から何か揺らいだのか、そこを聞きたいんです。
ハルカ:私個人としては変わってないんです。書きたいことや歌ってる理由はずっと一緒。今ここで一人で曲を作って歌えって言われたら、18才の頃と変わらないことをすると思います。だからデビューした頃の勢いでそのままトントン拍子にいってたら、今も昔と近いサウンドだったかもしれない。でも、そうではないことも経験してきたうえで、変わらなきゃいけないと思ったところもあるし、変わらざるを得なかったところもあるなかで、ハルカトミユキの表現はすごく変わったと思います。
――アルバム『溜息の断面図』でぶちまけた、世間に感じるノイズへの怒りは、今どうなってますか?
ハルカ:めちゃくちゃあります。ワイドショーとか観てるとムカついて仕方がないし、それは歌ってる人じゃなくても、みんなあるじゃないですか。でもそういう感情は、10年前に私が歌い始めたときと比べたら、みんながアウトプットできるようになってる。世間自体が変わってきたと思うんです。
だから、歌の役割や存在意義も変わってるんじゃないかと。怒っていたり虚しくなったり、“もう嫌だ!”ってなった気持ちをそのまま歌うこととはまた違うアプローチも大切だと思うようになってきました。
――そして、ここまで話してくださったことを経ての現在地が、このベストに収録されてる新曲「二十歳の僕らは澄みきっていた」だと感じています。作曲のクレジットが“ハルカトミユキ”、お二人になってることもそうのなのかと。
ハルカ:『シアノタイプ』のときもクレジットはそうだったんですけど、実質作曲はすべて私で、ミユキの役割はアレンジ。それをクレジット上は二人にしてました。今回は当時とは違って、本当に二人が別々に作っていたものを合体させたんです。
ミユキ:例えば、サビはマイナーコードでハルカが作っていた曲のメロディーだけを抜き取って、私がメジャーコードに乗せるとか。今までにない作り方を試しました。
――このサビ、すごいですよね。
ハルカ:これ、大丈夫ですかね?(笑)
――Bメロでハルカさんの地声のもっとも高いところから、ブレイクで一気に低いところに。サビはその低い声とひとつ上の声が入れ替わる。インパクトはすごいです。メロディーラインもその雰囲気も、夢にまで引きずるくらいこびりついて離れません。
ハルカ:私が作った段階では全体的に不気味な曲で、サビだけがそこまで浮いたものではなかったんですけど、ミユキのAメロBメロと組み合わせたら、おかしなことに。
ハルカトミユキ 撮影=大橋祐希
――これ、高い声と低い声、すべてハルカさんが重ねたんですか?
ハルカ:はい。なんでですか?
――その世界観に頭揺さぶられてトリップしてたんだと思いますけど、途中でおじさんの声が聞こえた(笑)。
ミユキ:低すぎて(笑)
ハルカ:ハハハ! ぜんぶ私です(私)。
ミユキ:けっこう衝撃的でしたね。ベストにも入ってる私が作曲した「奇跡を祈ることはもうしない」も、サビは低いところから入るじゃないですか。
――はい、それでハルカさんが苦労したと、当時のインタビューでも。
ミユキ:だから、なるべくワンオクターブのなかで作らなきゃって、それが頭にあったから、まさかハルカ自らこうくるとは思ってなくて。
ハルカ:ちょっとふざけた曲を作ったら、まさかちゃんと曲にしてリリースすることになるなんて。おかげでレコーディングはすごく大変でした。
――歌い手ではないから、その苦労を想定せずに作曲するミユキさんと、自分で歌うことが前提にあるハルカさん。その特性がスイッチしています。お互いが無自覚のうちに影響を与えてるんでしょうね。
ハルカ:そうですよね。ミユキにもうちょっと考えてほしいと思ってたことを自分でやってる。
――いい状態ですね。
ハルカ:そうですね。前のシングル「17才」がアニメ『色づく世界の明日から』のタイアップということもあって、今までハルカトミユキを知らなかった多くの方にも聴いてもらえたことを受けての新曲なんですけど、ある意味裏切りとも言えてしまう、想像以上にすごい曲になっちゃいました。でも、歌詞は、自分の17歳から20歳そしてデビューするまでの間の、キラキラしているだけじゃいられない部分とか、若さゆえの感情や今の苦悩など、いろいろと引っ掛かったことを散りばめて、リアリティがあるものができたと思います。
ミユキ:こうしてインタビューを受けるたびいつも「ここがスタート地点」みたいなことを言ってる気がするんですけど、今回は具体的に新しい作曲方法が見つかったので、その気持ちがかなりリアルで強いです。今まで12カ月連続新曲配信とか、野音(日比谷野外音楽堂でのライブ)とか、47都道府県ツアーとか、無謀なことも含めていろんなことをやってきましたけど、ようやくライブにおいても制作においても、地に足付いた二人の目標を持ててるんです。だから、一つの区切りとして、ベストを出せるのも、本当によかったと思ってます。

取材・文=TAISHI IWAMI 撮影=大橋祐希
ハルカトミユキ 撮影=大橋祐希

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