【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#97 歌
手・田端義夫の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

あなたの頭のてっぺんからつま先まで、
二つと同じものはないんだから自信を持
ちなさい。天狗になるのは良くないが、
人の意見に左右されることなく頑張りな
さい

より

戦前、戦中、戦後の昭和と平成にかけて、70年以上も歌手として活動を続けた田端義夫。このインタビューは、2013年4月25日に94歳で死去した田端の追悼特集のため行われた。テイチクエンタテインメントで最後(1994年~)に田端のディレクターを務めた小松永枝が当時を振り返る。今回の名言は、田端が新人のアーティストによく言っていた言葉として紹介されている。非常に前向きで、良いと思った歌を売ることへの執念も深く、当時75歳にして、日本全国のレコード店の店頭で歌う、所謂「みかん箱キャンペーン」を行ったという。小松は「直接お会いするまでは、失礼ながら懐メロの人という意識もあったんですが、『そうじゃない! バリバリの現役だ』ってことを見せ付けられました」と語っている。「いま、若者はどんな歌を聞いているんだ?」と気にかけ、常に新しい歌を見つけたい、作りたいと考えていたそうだ。ミュージシャンとしてもさることながら、人間性においても大物であることがこの記事から読み取れる。田端の熱烈なファンで、楽曲提供者でもあるBEGINとの交流秘話も興味深い。歌手を目指す人には、ぜひ読んでもらいたい珠玉のインタビューである。

田端義夫(たばたよしお)
1919年1月1日生まれ、三重県松阪市出身。歌手。ステージでの「オースッ!」という掛け声と水平に構えた、米国のナショナル・ギター社製エレキギターがトレードマーク。1939年、ポリドールレコードから「島の船唄」でデビュー。その後、「大利根月夜」(1939年)、「里恋峠」(1939年)、「別れ船」(1940年)、「梅と兵隊」(1941年)など、次々とヒットをとばす。1941 年、戦地に慰問に赴く。1946年、テイチクに移籍し、「かえり船」を発売。累計180万枚を売り上げる大ヒットを記録。マドロス歌謡として人気を博す。1940年代当時は、映画俳優としても活躍している。1962年に「島育ち」が大ヒット。1963年には、『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。1989年、勲四等瑞宝章を受章。1995年、日本歌手協会の5代目会長に就任(2004年からは名誉会長)。2001年、BEGINの比嘉栄昇が作詞・作曲の「旅の終わりに聞く歌は」を発表。2007年、1980年代までのレコーディングマスターや未発表曲を収めたアルバムを発売。2009年、歌手生活70周年記念アルバムを発売。2013年4月25日、肺炎のため死去。享年94。レコーディングした楽曲は約1200曲に及ぶ。

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