【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#95 ギ
タリスト・野村義男の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

ギタリストっていう枠の中では全員が先
輩で、全員が後輩で、全員がライバルで
、常に全員が上である感じ

より

「たのきんトリオ」の”よっちゃん”こと野村義男は、人気アイドルからいかにしてギタリストへと転身したのか? このインタビューでは、その真相が明かされている。インタビュアーが、「アイドルだったときと比べると生活も一変するわけで、心が折れそうにはならなかったですか?」と質問すると、野村は「ならなかった。その間はギターの勉強をしていたから。練習じゃないよ、勉強。つまり、レオ・フェンダーが何年に最初のTelecasterを作り始めたとか、そういう勉強をしてるだけで幸せだったから」と答えている。野村をそこまで駆り立てた、ギターの魅力について語ったのが今回の名言である。「まだまだ上があるってことかもしれないなぁ…。もっと上手くなりたいと思わせてくれるものだから」という、純粋な向上心が原動力になっているようだ。「僕もそろそろちゃんと練習しなきゃダメだね。勉強じゃなくて(笑)」という言葉に、ギタリストとしてのプライドとプロ意識の高さが感じられる。

野村義男(のむらよしお)
1964年10月26日生まれ、東京都中野区出身。ギタリスト、音楽プロデューサー。1976年、ジャニー喜多川にスカウトされてジャニーズ事務所に所属する。同年、ジャニーズ少年団というグループのメンバーとして、特撮テレビドラマ『小さなスーパーマン ガンバロン』(日本テレビ)の主題歌でレコードデビュー。1979年、学園ドラマ『3年B組金八先生』に出演。共演していた田原俊彦近藤真彦とともに、たのきんトリオとして活躍する。1983年、アルバム『待たせてSorry』でソロデビュー。同年、ロックバンド・The Good-Byeを結成。1990年、ジャニーズ事務所から独立。その後は、主にギタリストとして活動する。1992年、ジョニー吉長のソロライブツアーに参加。1995年、自己のレーベル「PEGレーベル」を立ち上げる。1998年からは浜崎あゆみのバックバンドのギタリストとなる。2001年からは、世良公則とも様々なユニットで不定期に活動している。2003年、The Good-Byeとしての活動を再開。2013年には、国際フォーラムにて、The Good-Byeのデビュー30周年ライブが行われた。2018年にも35周年ライブが行われている。 2019年5月31日、福岡 Gates’7にて、元ジャニーズのシンガーソングライター・曾我泰久との共演による『ON&OFF LIVE TOUR 2019〜今年もアコギで二人旅始めちゃいます〜』を開催予定。

全日本歌謡情報センター

歌謡曲・演歌に特化したエンタメ情報サイト

連載コラム

  • ランキングには出てこない、マジ聴き必至の5曲!
  • これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!
  • これだけはおさえたい洋楽名盤列伝!
  • MUSIC SUPPORTERS
  • Key Person
  • Listener’s Voice 〜Power To The Music〜
  • Editor's Talk Session

ギャラリー

  • 〝美根〟 / 「映画の指輪のつくり方」
  • SUIREN / 『Sui彩の景色』
  • ももすももす / 『きゅうりか、猫か。』
  • Star T Rat RIKI / 「なんでもムキムキ化計画」
  • SUPER★DRAGON / 「Cooking★RAKU」
  • ゆいにしお / 「ゆいにしおのmid-20s的生活」

新着