【全6回連載】“傷だらけの天才バッ
ター”西岡剛が今だから話せる『過去
・現在・そして僕の未来』《第1回》
アキレス腱断裂の真相

西岡剛。2003年に千葉ロッテマリーンズにドラフト1位で入団後、2005年には盗塁王やゴールデングラブ賞など、自身の活躍もあり日本一を経験した。2010年のWBC(World Baseball Classic)ではキャプテンを務め、メジャー(2011-12、ミネソタツインズ)行きも果たした。西岡が平成時代の野球界の寵児のひとりであったことに異論をはさむ人は少ないだろう。
ここで、敢えて「あった」と過去形で書いたのは、西岡は現在、NPB入りを目指すBCリーグの選手だからだ。NPB・メジャー時代のイメージは、目つき鋭い眼光に象徴されるようなアグレッシブなプレーが特徴で、打てば200本安打、走れば盗塁王と、まさに天から選ばれし野球人だった。
しかし、その天才にはいつも不運な怪我がつきまとった。そして、その故障が彼を追い詰め、昨年NPB(阪神タイガース)から自由契約選手となった。記憶にも残る記録を残してきた西岡だけあって、誰しも綺麗な花道の「引退」を決断するかと思っていたが、彼が選んだのは泥臭くNPB入りを目指す、BCリーグの栃木ゴールデンブレーブス入りだった。
この西岡の姿を見て「不遇」と片づけてしまうのは簡単なことだ。もしかしたら、自由奔放に生きてきた彼を「自業自得」と突き放すファンもいるかもしれない。でも今回、西岡の口から聞けた話は、今までの彼のイメージを一掃するものだった。
今年35歳というプロ野球人としても円熟期に差し掛かる西岡が、今だからこそ言える胸中を吐露してくれた。波乱万丈とも言える多くの経験のうえに到達した境地。いや、強がっていた20代から、遅まきながら素の自分を取り戻した“心からのメッセージ”なのかもしれない。良くも悪しくもマスコミや全国から注目されてきた天才異端児・西岡剛。その西岡が気づいたこととは…。
今の一番の目標は、若い時にしてこなかったことを継続すること
―今年で選手生活17年目。栃木に来てみて今一番、何を感じていますか?
「自分自身、すごく反省すべき点があるんですよ」。
西岡は開口一番、真剣なまなざしの中、こう切り出した。まさに“肩で風を切って”歩いてきたような球界のエリート選手から、まさかこんな話が出てくるとは思いもよらなかった。
「このリーグで暴れまくりますよ~!」。BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに入って、今の心境は?と聞いた答えとして、こんな返事を予想していた記者は、はっきり言って裏切られてしまった。いや、次の質問に窮してしまったほどだ。しかし、西岡剛はとつとつと話を続けてくれた…。
「20歳の時に千葉ロッテマリーンズのレギュラーになり、昨年戦力外になって栃木にきたのですが、ゴールデンブレーブス入団の時に、あらためて自分の20代の過ごし方に、すごく反省する点がたくさんあるんです。あの時こうすればよかった、こういうストレッチをすればあのケガ防げたなと。でも、失敗だとは思っていません。(良くも悪しくも)経験ですよね。この経験を生かして、ここ(BCリーグ)で20代にしてこなかったことを続けようというのが、今の僕の目標なんですよ」
―バレンタイン監督(当時)も練習しまくっていたと言っていたし、やってこなかったことなんてあったのですか?
「練習はしまくっていました。練習ではなくて、ストレッチやケア。つまり、『体を大事にする』ということです。やっぱり野球の動作に入る前には必ず、体の芯から汗を出してこそ、その日の状態が分かるんですよ。どこが張ってるだとか、どこをもっと繊細にしなくてはいけないとか」
―若いうちはそんなことをしなくても動けるってこと?
「20代の時って、寝起き状態でもすぐにダッシュできる感覚なんです。だから、今は(それができない年齢となり)ストレッチやウォーミングアップの大事さだったりが分かったので、今は練習している時間よりも、そっちにかける時間の方が多いですね」
―今はケガをしない体の優先順位が高い?
「僕はケガばかりしてきて、そのケガを治すために、ずっと闘ってきました。でも、野球選手に関わらずプロアスリートって皆、すぐに『ああ治ったな~』という感覚なんです」
―でも、ケガしてもすぐに治療すれば動けるカラダに戻れるのでは?
「いや、3年、5年…、10年と経った時、古傷というか『ああ、あの時のケガの影響が、今こんなに響くのか…』と、ずっと後になって初めて分かることなんです。先ほど『闘う』と言いましたが、ケガと闘うのではなく、そのケガと向き合い『どう付き合っていくか』という風に考えと行動を変えてから、カラダの状態が良くなってきました」
―準備期間はどれくらいでしたか?
「こうやって向き合いだしたのは、この4年くらいです。自分のせいでケガしたものは大したことないんです。(2014年3月、阪神の同僚、福留選手との外野守備衝突などの)事故的なものが一番後遺症として残りますね。肉離れとかはストレッチでカバーできるんです。でも、予測できなくて突然事故したものはすごい衝撃なんです。デッドボールもほとんどが「来る!」と分かっているので力入れられます。そうではない、見えない状態でいきなりくる衝撃は予想をはるかに超えるものなんですよ。特に、僕は首もやっているんで。一般の方は僕らほどトレーニングをしないので、もっとしんどいと思います。(そういう事故にあってしまった人は)一日中、ムズムズしたりとか。それは多分、自律神経に関わっていて、うつ病になったりする人もいると思うんですよ。それをどう克服できるか―というのを自分は今、探っている状態です」

太ももを固めていたら、その影響がいきなりアキレス腱に

-2016年に起こったアキレス腱断裂はどうして起こった?
「あの時はハムストリングス(太もも)を張ってて、肉離れしないようにバンデージで固めていたんです。でも、ここ(ハムストリングス)を固定した分、(負担が)やっぱり下に流れてきて、そこで『ブチッ!』となったと思うんです。プロ野球選手で、痛み止めの注射を打ったり、ボルタレンやロキソニンを飲んだりしている人は今でも多いのですが、そこまでしてやること自体、ナンセンスだと思っているんですよ。プロで何億円も稼いで『今日、この試合だけは!』という時には必要なことかもしれないですけれども…。でも、人生は野球のあとも続くので、そういうのをカバーできるようになるとプロ野球界も変わっていくだろうと思います」

若いうちなら無茶もきくし、とにかく練習を重ねれば試合で結果が出て、それでいいと思っていた。もちろん、練習をすることは間違いではないが、若い時分は親から授かった天賦の才能に溺れ、いつしかケガにつきまとわれるようになっていた。そんな予期せぬ事故にあいながらも、持ち前の向こう気の強さで克服してきた。だが、その“病魔”はいつしか自分を追い詰めていたことを知る。30代となってストレッチやケアの重要性に気づいた西岡。次回はメジャーに行って分かったこと、そして先日引退したイチロー選手のことにも触れる(第2回に続く、敬称略)。
取材・文:青木秀道(SPICE記者)

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