MARCHOSIAS VAMPの
『乙姫鏡』に刻まれた
完成されたグラムロック・
バンドのスタイル
4代目グランドイカ天キング
“イカ天”を知る人ならわりと知っているエピソードであろうが、MARCHOSIAS VAMPが番組に登場した時にキングだったのがたまで、その回は両バンドが対戦。1票差でたまが勝ったが、MARCHOSIAS VAMPが消えるのが惜しいとの声が上がり、たまが5週勝ち抜きでグランドイカ天キングとなって翌週のキングの座が空位になったことから、特例措置としてMARCHOSIAS VAMPが仮イカ天キングとなった。それが1989年12月。そこから彼らは1990年1月までキングの座を守ったわけだが、そのまさに4代目グランドイカ天キングとなった日に発売されたのがアルバム『乙姫鏡』である。
超久しぶりにその『乙姫鏡』を聴いたが、この時点ですでにバンドが完成されているというか、凡そ非の打ちどころがない作品だと言っていいと思った。全6曲。収録時間27分強というミニアルバムとも言える容姿ではあるものの、MARCHOSIAS VAMPというバンドが何をやりたいのか、どういうバンドであるのかが非常によく分かる。
メンバーは秋間経夫(Vo&Gu)、鈴木ユタカ(Gu)、佐藤研二(Ba)、石田光宏(Dr)。ヴォーカル、ギター×2、ベース、ドラムという、よくあるロックバンドの形式だが、ほぼ外音を入れず(M1「FAKE」だけにゲストコーラスが参加)、4人のアンサンブルでとても奥行きのあるサウンドに仕上げている。全員が全員、独自の演奏をしながらも、それが合わさってひとつの楽曲を成しているという言い方がいいだろうか。“どのバンドだってそうだろうよ!?”と突っ込まれれば、それは確かにそうで、ロックバンドでも一般的には楽曲のフォームのようなものはある。歌とギターとがメインのメロディーを奏で、ドラムはテンポのキープで、ベースは旋律とリズムとの間をつなぐ(サイドギターがあればサイドギターもまた旋律とリズムとの中間、あるいはベースと旋律との中間をつなぐ役目であろう)。
もちろん、MARCHOSIAS VAMPとて基本的にはそれなのだが、個々のパートが実に奔放であることは言えると思う。ほぼヴォーカルと拮抗したようなギターのフレーズもさることながら、リズム隊にそれが顕著だ。ベース、ドラムともにテンポをキープしようとか、楽曲のコード感を下支えしようとか、おそらくそういうことだけを考えて弾いているのではないことがよく分かる。ドラムは“ドラムンベースか!?”と思うほど…というとさすがに大袈裟だが、この手数の多さはただごとではない。しかも、所謂オカズが多いと単に耳障りが悪くなるだけにもなりかねないが、そう聴こえないというところが素晴らしい。グラムロック…というよりも、R&R本来のポップでダンサブルな躍動感を生んでいる。
さらに素晴らしいのはベースである。ひと時もフレットを抑える左手が止まっていない(…と言うと、これもまた大袈裟だが)ベースの音はそう思わせるに十分な響きである。“イカ天”出演時から佐藤の出で立ちが、沢田研二がシングル「サムライ」のステージ衣装に似ていることから(…ということは即ち、ナチス風ということだ)、そこにスポットが当たることも多かったような気もするが、本来語られるべきはそのベースプレイである。筆者は過去たぶん二度ほどMARCHOSIAS VAMPのライヴを生で観ている(と記憶している)が、ピッキングでもスラップでもなく、擬音にすればブインブインと形容したくなるその音を目の当たりにして絶句したことはよく覚えている。あえて言葉にすれば“ベースってこんな弾き方もあるのか!?”という衝撃だったが、あれから約30年、彼を超えるのベースプレイを観たことはないように思う。MARCHOSIAS VAMPのリズムはそれほどすごいものだったし、それは音源にもしっかりと刻み込まれている。
歌は一様にキャッチーで、覚えやすく、口ずさみやすいメロディーである。ビジュアルからもT. RexのMarc Bolanを意識していることは確実の秋間は、その高く粘りつくような声質もまさにそれで、抑揚を強調したメロディーによく合っていると思う。ロック的かつ妖艶。まさにグラマラス・ロックである。
ギターが奏でるサウンドもグラマラスである。アーミングかと思えば、カッティングを聴かせ、そうかと思えば、続いてはヘヴィなストロークと、多彩なプレイが聴ける(とりわけM2「ROUGEをふいて」の間奏で魅せるリズミカルなニューオーリンズ風フレーズは意表を突く代物で絶品だ)。重要なのはそれが止まることなくずっと鳴らされているところではないかと思う。イントロでガツンと鳴らし、歌が入ればヴォーカルと並走し、間奏ではまた違った表情を見せるといった具合に、ノンストップでさまざまなサウンドを鳴らしているのはロックギタリストとしての矜持であろうか。決して伴奏などではない、“こっちが主役だ!”と言わんばかりの姿勢がとてもいい。