【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#89 作
曲家・都倉俊一の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

メロディーと美しい日本語がなかったら
言葉は人の心に入らない

より

今回の名言は、2010年8月に、都倉俊一が日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長に就任した直後のインタビューからの抜粋。インタビュー記事は、少年時代のエピソードから名曲の誕生秘話など、都倉の音楽人生を垣間見られる内容になっている。都倉が一番危機に感じていることは、「今の子どもたちの音楽的な感情は数段発達しているんですが、メロディーがなくなっている」と明かし、その理由を、機械に頼っていることでサウンド作りが総合的になってしまっているから、と語る。それは、若いアーティストたちへのメッセージであり、都倉にとっての音楽に対する考え方そのものでもある。都倉は、今回の名言について「西洋音楽が入ってこようとコンピューターがあろうと、それを忘れてはいけない」、「音楽の原点は、作り手と聴く人のハートとハートの繋がり」と結ぶ。今の歌謡界に反映されることを心から願う。

都倉俊一(とくらしゅんいち)
1948年6月21日生まれ、東京都港区出身。作曲家、編曲家。1968年、フォークグループのザ・パニック・メンのボーカルとして「想い出の小径」でレコードデビュー。1969年、中山千夏の「あなたの心に」で、作曲家としてのデビューを果たす。、作詞家・阿久悠とのコンビで「ペッパー警部」(1976年)をはじめ、ピンクレディーの楽曲を手がけ、「S・O・S」(1976年)、「カルメン’77」(1977年)、「渚のシンドバッド」(1977年)、「UFO」(1977年)などヒットを連発する。山口百恵には、デビュー前から歌のレッスンを担当。デビュー曲(「としごろ」/1973年)から楽曲を提供し、百恵をスターダムに押し上げた。他に、フォーリーブス山本リンダ、倉田まり子、狩人など、多くのスターを誕生させる。1983年、音楽活動の拠点をロサンゼルスに移し、ミュージカルの制作などを手がける。2010年、JASRAC会長に就任(2016年退任)。2017年、第68回「NHK紅白歌合戦」より、平尾昌晃(2017年7月21日逝去)を引き継ぐ形で「蛍の光」の指揮者に就任。2018年、文化功労者に選出。

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