『音楽旅団』は宝石の原石のような
BEGINの確かな才能を
感じることができる逸品
ブルースだがそれだけでない音作り
島唄要素はM3「SLIDIN' SLIPPIN' ROAD」。三線とブルースギターの融合がとてもいい感じの、オキナワンR&Rとでも言うべきナンバーだ(《30になったとき/うまいバーボン飲むのさ》《30になったって/奴とバーボン飲むのさ》は、少なくとも一部は“泡盛”か“古酒”にすればもっと良かったと思うのだけれども…あくまでも個人の感想です)。
L.A.録音だからなのか、また、この頃のメンバーが洋楽に傾倒していたこともあってなのか、分かりやすく米国音楽も取り込まれており、カントリー調のM2「流星の12弦ギター」とM5「8月の森へ行こう」、アメリカ民謡風なM6「いつものように」、ジャジーなM10「星の流れに」と、多彩である。ただ、それにしてもルーツミュージック然とした感じではなく、しっかりとポップに仕上げているのがポイントとは言える。M10「星の流れに」が最も分かりやすいだろうか。後半のThe Beatles「Hey Jude」を彷彿させる《LaLaLaLa……》は最初に聴いた時は若干戸惑ったものの、聴き手を意識したものだと考えると合点もいくし、好意的にも受け取れる。確かにそのサウンドはブルースと呼べるものであったが、強い悲哀を感じさせるような内向的なものではなく、メロディーやコードは開放的なものなのである。その辺は所謂J-POPに通じるものであったと思う。M9「砂の上のダンス」のサウンドの優雅な感じはヨーロッパ的でアルバムの中では少し異質な印象もあるが、それにしてもメロディーはフォーク調で親しみやすいというのも、同じことではなかろうか。
この辺りはもともとBEGINがコテコテのブルースバンドではなかったことにも起因しているのだろう。[結成当初はハードロックを演奏していたが、下手だと指摘され、のちにブルース調の楽曲を作るように]なったというのは有名な話([]はWikipediaからの引用)。前述のラジオ番組に出演した時には、島袋優(Gu)がそれまでアコースティックギターの弦を張り替えたことがなかったことを笑いながら白状していた。それゆえにか、メジャーデビューしてからは、関西のベテランブルースバンドである憂歌団やサウス・トゥ・サウスのライヴに誘われることもあったそうだが、そこにも今ひとつ馴染めなかったという。さらにはナッシュビルへ行った時、3人とも洋楽コンプレックスが解けたとも語っていた。おそらくそれは1993年発表の5thアルバム『MY HOME TOWN』制作時のことだろう。曰く、「洋楽に近付けば近付くほどカッコ良いという想いがあった。だけど、そんなことはないんじゃないか? 絶対ここには入れないと思った」とのこと。そこから自分たちができる音楽を考えたことが、彼らが今、島唄を演奏していることへとつながっていったとも言っていた。
デビューは華々しかった彼らだが、無論ここまで苦労と無縁だったわけではなく、冒頭で述べたチャートリアクションが鈍い時期には大分逡巡したところもあったそうである。しかし、そんな中でも現在に通じる自分たちの音楽性を確立することができたのは、(彼らを支えた事務所、メーカーがいたことはもちろんのこと)未完成だったかもしれないが、その片鱗とも言える要素を第一作目からキチンと入れ込んでいたからだろう。デビュー作にはそのアーティストの全てがあるとはよく言うが、『音楽旅団』もまたそのひとつである。
TEXT:帆苅智之