KENZI & THE TRIPSの傑作
『Kangaroo』に見る
奇跡的タイミングで生まれた
絶妙なバランス感覚
活動休止の要因が隠された歌詞
筆者は1990年、ソロアルバム『ゴチャマゼのスープ』が発表されたタイミングでKENZIにインタビューをさせてもらったことがある。その時の彼はとてもテンションが低くて口数も少なく、インタビューを進行させるのにかなり四苦八苦した。ほとんど盛り上がらないまま取材が終了したのち、同行したスタッフのひとりが“『Kangaroo』が充実しまくった作品だっただけに、バンドをやり尽くした感があったんですかね?”といった主旨の話をKENZIに振った。彼は力なく、“そうかも…”みたいな答えをくれた記憶がある。その時の印象から、あのメンバーでのKENZI & THE TRIPSは『Kangaroo』でひとつ結実したのだと勝手に決めつけていたのだが、今回この原稿を作成するためにあれこれ調べていたら、どうもそういうことだけでもないらしいことが分かった。
詳細は『八田ケンヂOFFICE SITE』のKENZIが自分の詞に込めた思いを伝えるコーナー“KENZI'S EYE”に残る“FREEニキメチマエ”の回に譲るが、1988年頃、KENZIは強いトラウマ体験によるフラッシュバックに襲われていたという。M6「ANOTHER BIRTHDAY」の歌詞はその時のものを綴ったものだと本人が記している。
《午前0時僕は一人疲れきった体を横たえる/誰も知らない胸の痛みを少しでも抑えようと必死だった》《バースディ足音が近づいてくるよ/お前を待ってるくせに素直になれない/バースディ今すぐにでも会いたいけど/止まらない震えは毒にもならない》《あふれだした涙のわけ 君はなにもかも僕の全てを知っていたさ》《当時僕は弱り始め期待はなく不安だけを感じていた/誰か想う余裕もなく手に届くものならばすがりついてた》(M6「ANOTHER BIRTHDAY」)。
パンクらしい反骨心全開のM1「カンガルー」や、ツアーバンドの所信表明とも言えるM2「これしかBABY」辺りと比較すると、明らかに内向的で、パッと聴いただけでは意味がよく分からない。
《LET’S PUNK いつでも目つきは反抗的/LET’S PUNK 怒りと勇気が満ちあふれてる》《関係ないのさ ほっといてくれ/ピョンピョン跳ねたり 袋に逃げ込むのはゴメンさ》(M1「カンガルー」)。
《ただお前の町に行って/ただ楽しくなりたいだけで/ただそれだけの事で俺たちいるのさ》《金の為じゃない これしかBABY/できないだけ/金の為じゃない これしかBABY/やれないだけ》(M2「これしかBABY」)。
上記2曲には彼らがライヴステージで見せていたような明朗快活なイメージはあるけれども、M6「ANOTHER BIRTHDAY」にはそれがない。フラッシュバックを描いたものと聞けば納得ではあるし、ドラッギーな体験を歌詞に反映させた点は素直と言えば素直と言える。また、こうした作風が作品に深みを与えていることも間違いないであろう。しかし、そうした当時のKENZIの行動がバンドを止める要因になったことも、これまた間違いなく、本人もそれを認めている。少なくともKENZI以外のメンバーはあのままバンドを続けていくことは難しかったと思われる。
『Kangaroo』の収録曲はほぼKENZIと上田ケンジとで作られたもので、のちにthe pillowsを結成し(1992年に脱退)、著名なアーティストのプロデュースやツアーへも参加している上田ケンジが頭角を現したアルバムとも言える。そうしたことも考えると、多くの名盤がそうであるように、『Kangaroo』もまた奇跡的なタイミングで生まれた作品と言えるのだろう。
『ゴチャマゼのスープ』発売時にダウナーなKENZIに取材させてもらってからおおよそ10年後(はっきりと覚えてないのだが、たぶん2000年はすぎていたように思う)、再びKENZIに取材する機会を得た。今度は『ゴチャマゼのスープ』の時とは真逆で、KENZIは実に朗らかに受け答えしてくれたので、取材後に“以前、お会いした時とは別人のようですね?”と伝えると、さすがに詳しい話の内容は失念したが、“あの頃、一番精神状態が良くなかった”と苦笑いながら話をしてくれた。今になって思えば、あの時はトラウマを克服しつつあったのだろう。そこからさらに10数年。何度かの活動再開を経て、2014年には(ほぼ)初期ナンバーでのKENZI&THE TRIPSも披露した。紆余曲折あったが、現在のソロでの活躍ぶりを見ても、KENZIは完全復活したと言える。
TEXT:帆苅智之