大江千里のヒット作
『APOLLO』に垣間見る
現在の活動スタンスにも通じる
表現者の意思
現在につながる決意を秘めた歌詞
《渋滞のスクランブルで 見覚えあるシャツを見つけた/降りだした雨にせかされて 傘もささずに走ってた》《ひたむきなその横顔と 夜更けの路地ずぶぬれの髪》《人ごみに埋もれて歩く 生活から離れられない》(M9「dear」)。
その他、サビの英語的な語感も楽しいM2「たわわの果実」や、恋愛初期の瑞々しさを綴ったM4「舞子VILLA Beach」、所謂“負け犬”的な視点が彼の作風としては意外な気もするM7「8年土産」の歌詞もいいが、注目なのは現在の大江千里のポジションに通じているとも考えられる以下の歌詞ではなかろうか。
《あたりまえの未来が あたりまえに叶うから/むくわれない希い 気づかなかった/出逢った頃のあの日に戻りたい》《届くはずない未来 いつのまにか追い越して/もう何が起こっても 届かない/夢中で錆びたペダルをこいだ》(M1「APOLLO」)。
《やっと気がついた/やっと気がついた/今夜を逃せば決め時はもう来ない/身体をください》《やっと気がついた/やっと気がついた/乗るときゃ乗らなきゃ この波はもう来ない/ベッドをください》(M6「やっと気がついた」)。
《騒がしい風にせかされたら 少し休めばいい/静かな草に耳を澄ますと 明日が聞こえてくる》《追われてる今に疲れたら たまに歩けばいい/静かな川に耳を澄ますと 夜明けが聞こえてくる》(M11「星空に歩けば」)。
M1「APOLLO」は滞在中のニューヨークで作った曲で、これができた時にアルバムのレコーディングをニューヨークで行なうことを決めたという。そう思うと、上記の歌詞は意味深だ。随分と冷静であると思えるし、何か開眼しているとも言える。邦楽シーンで確固たる人気を獲得していながらも、それとは迎合していないというか、微妙な位置関係を保っているようにうかがえる。本作が大江千里にとってアーティスト人生のターニングポイントとなったという、本人による明確な言質は発見できなかったけれども、彼がのちに自ら望んでジャズミュージシャンに転身し、現在、ニューヨークを拠点に活動していることを考えれば、この辺の歌詞は決意表明だったとも思える。ポップさの裏に隠された確かな意思。名盤と呼ぶに十分な条件が揃った作品であることは間違いない。
TEXT:帆苅智之