『THE RENAISSANCE』には
THE ALFEEがブレイク後に示した
堂々たるロックサウンドがある

苦節9年の末、
「メリーアン」でブレイク

そんなTHE ALFEEも、デビュー時から順風満帆というわけではなかった。1974年に4人組でデビューするもヒットに至らず、1975年にメンバーのひとりが脱退。その時、用意していたシングルが発売中止となったこともあって、当時契約していたレコード会社を離れ、しばらくの間、今で言うインディーズでの活動を余儀なくされた。そんな経歴を持つ。1979年に再デビュー。高見沢俊彦がエレキギターを持ち、そのサウンドが徐々にロック色を強めていく中で、コンサートの動員は伸びていったが、その名を全国区にするまでにはもうしばらく時間を要した。THE ALFEE、ブレイクのきっかけが1983年6月発売のシングル「メリーアン」であったことは議論を待たないと思うが、そこに辿り着くまで、最初のデビューから実に9年。再デビューから数えても4年もかかった。“石の上にも三年”と言うから、THE ALFEEの辛抱はそれ以上だったことになる。これもまたすごい事実だ。

THE ALFEE、初のチャートトップ10入り。この楽曲で『第34回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした「メリーアン」は彼らの代表曲のひとつであることは間違いないが、メンバーにとって、とても深い思い入れがある曲というわけでないらしい。いや、そういう書き方だと語弊がある。「メリーアン」はもともとアルバムの中の一曲として作られたもので、メンバーがことさらヒットを狙って作ったものではなかったという。この頃、メンバーは同年8月に開催が決まっていた初の日本武道館公演へ意識を集中していたそうで、スタッフが「メリーアン」をシングルに推した時も“何でもいい”といった感じだったそうである。ライヴ活動にこだわるTHE ALFEEらしいエピソードであると同時に、ヒット曲が生まれるのは得てしてそういう時であることを示した話でもある。

むしろ「メリーアン」のあとのほうが大変だったと、後に高見沢は述懐している。周りからは“(本当の)勝負は次”と言われ続けたそうである。スタッフだけでなく、他のメンバーふたりからもそう言われたというから、かなりのプレッシャーだったようで、大分痩せたとも振り返っている。そこで完成したのが8thアルバム『THE RENAISSANCE』に“Long Version”が収められている「星空のディスタンス」である。

OKMusic編集部

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