【インタビュー】seek&AYA [Psycho
le Cému]、「作ったのは“生で観な
いと聴けないもの”」

Psycho le Cémuが12月8日の名古屋ボトムライン公演を皮切りに、ロールプレイングな世界観による東名阪ツアー<FANTASIA>を開催する。同ツアーではひとつのメロディと歌詞に対して3つのアレンジで異なるサウンドを構築した会場限定シングルCD「FANTASIA〜恋の幻想曲〜」「FANTASIA〜怒りの幻想曲〜」「FANTASIA〜勇気の幻想曲〜」のリリースも決定。自身初の三部作として届けられる。BARKSでは“FANTASIA”をキーワードに、Psycho le Cémuというバンドが生まれた必然性や、彼らの光と影に迫る。
先ごろ公開した第一弾インタビューDAISHI 前後編では、Psycho le Cémuを構成する要素からバンドの核を紐解きつつ、復活から現在に至る不可避性、そしてメッセージ色の濃い「FANTASIA」の核心を解き明かした。そして、インタビュー第二弾はseekとAYA。別プロジェクトMIMIZUQを始動するなど、音楽的な関わりの深い両氏だが、Psycho le Cémuにおいては“着ぐるみ”“女形”を担当するキワモノ的な立ち位置でもある。それぞれ、「seekはバンド全体を見ている母親のような存在」「AYA君が挙げた手の先には未来絵図がある」と語る2人が、Psycho le Cémuの20年と現在、そして未来をじっくりと語ったロングインタビューをお届けしたい。ある意味では対局の感性を持つ両氏だけに、Psycho le Cému というバンドをより深く知ることのできるテキストとなった。

   ◆   ◆   ◆

■僕が嫌がるものほどウケるんです
■悲しいですけど染みついてます

──戦隊キャラクターやゲームキャラクターのコスプレといったPsycho le Cémuならではのコンセプトの誕生にはお二人も関わっているのですか?

seek:バンド作ったのはDAISHIで。“こういうバンド作ろう”っていう骨組みの部分はDAISHIがアイディアを出したんです。AYA君はバンド内ではアイディアマンなので、“あんなのしたい”“こんなのしたい”っていう肉付けの部分を担っていましたね。

AYA:僕はアニメとかゲーム結構好きだったんで、『ドラクエ』とか『ファイナルファンタジー』のアイディアは足していきましたね。最初、このバンドは“派手にしたい”っていうところから始まったんですけど、MALICE MIZERさんみたいな西洋的なのとかをいろいろ足していくうちに、“『ドラクエ』とかゲームの要素を足していったら面白いんかなぁ”とか、“派手な色やショッキングな色をヴィジュアル系に持ち込んでも面白いのかなぁ”っていうのは、当時YURAサマと話していましたね。
▲2002年<TOUR“スターオーシャンの秘宝”>

──黒を基調にしているヴィジュアル系とPsycho le Cémuは全く違うわけじゃないですか?

seek:僕ら自身も憧れて聴いていたのは、所謂そういうヴィジュアル系バンドで。でも、そのヴィジュアル系バンドの世界の中で“どうやったら自分たちの個性が出せるのか?”を考えるタイプのバンドだったんです。普通は自分たちがカッコいいと思うものをやりたいわけですよね。もちろんその発想は間違ってないんですけど、“そっちにいったらたくさん人がいてるから、違うやり方でいかないと”っていうほうが強いバンドなんです。

──空いているイスを取りに行ったと?

AYA:そうですね。

seek:ましてや、僕らがバンドを結成した1999年頃はヴィジュアル系シーンが完全に出来上がっている感があったんです。そこに対して新しい何かを考えないと、“この人たちは超えられないだろうな”っていう感じはもう完全にありましたね。

──それにしてもヴィジュアル系の中で最も縁がない要素である“笑い”を持ち込んだのは衝撃でした。何故ならヴィジュアル系と言えば“美”です。それが“笑”っていう。

seek:やっぱり関西人なんで(笑)。でも、結成した当時から笑わせていたわけじゃなく、“笑われていた”ほうなんですよ。僕ら、ダンスもやるんですけど、オーディエンスからすると“何をやってるんだこの人ら? 出てきていきなり踊ってる”っていうので笑いになってたんです、こっちは真面目にダンスしてるのに。別に笑かそうとはしてなくて、実はカッコいい“美”の意識でした(笑)。

AYA:そうやね。“笑われている”から“笑わせにいく”へ徐々にシフトチェンジした気がします。

──いずれにしても“笑い”に対して抵抗はなかったんですか?

AYA:僕は今でもありますよ。でも、“ここまでやらな、あかんのかな?”ってものほどウケるんで、逆にそっちを選ぶようになりました。例えば、ピンクっていう色はカッコいいことをやりたい人が普通は嫌がるものなんです。でも、今は逆に“あ、ピンクをやったほうがいいんやな”って思っちゃいます。嫌がるものほどウケるんすよね、悲しいっちゃ悲しいんですけど、もう染みついてます(笑)。
▲2003年<TOUR“理想郷旅行Z”>

──そこの折り合いはどうやってついたんですか?

seek:最初の2年間ぐらいは、特にこの二人は葛藤があったほうやと思います。

AYA:僕ら二人はやっぱり、ちゃんとしたバンドが好きやったんで(笑)。

seek:AYA君の“色の話”で言うと、まだ東京に出てくる前、僕は身体を青にカラー塗りすることになったんですけど、そのライヴが噂になって。バンド名もよく知らない人とか会う人会う人に、「Psycho le Cémuなんとかっていう、身体を青に塗ってるバンドの子?」って言われたことがあったんです。その時、“あっ、覚えてもらうってこういうことなんや”って。最初の2年ぐらいは、「人がやってない、面白いことをしてるらしいね。ライヴ観たことないけど」みたいな感じで徐々にバンドの存在が浸透していったんです。つまり、異物感ですよ、みんなにとっての。

──異物感としてみんなに受け入れられるって凄いなぁ。

AYA:プレイヤーとしては、絶対にこんなコスプレで弾きたくないですけど(笑)、さっきも言ったように、人が嫌がるものほど覚えてもらえるんです。それをいかに楽しそうにやるかっていう話ですね。

seek:今となって思うのは、僕らが楽しんでやっていたことが大事でしたね。ちょっとでも“嫌やなぁ。ほんまはこんなんしたくないんやけどな。やらされてるんですよ”みたいな空気を出した瞬間に、全部がシラケる気がするんですよ。僕らが真剣に遊んでいる感じにワクワクしてもらえるのかなって、キャラクター含めて。

──キャラクターやコスプレへのボイコットはなかったんですか?

AYA:YURAサマが髪の毛の色を変える時に、「バンド辞めるかも」って話になったことが一度ありましたけど(笑)。僕も女性キャラクラーが嫌で、ラストインディーズライヴのときにファンの前で泣き出しました(笑)。
▲2003年 メジャー1stアルバム『FRONTIERS』

──ははは(笑)。seekさんは一番突飛な着ぐるみ姿ですが、演奏しにくくないんですか?

seek:もちろん演奏しにくいです(笑)。でも、着ぐるみの“中の人”の大変さを感じさせないで楽しんでもらうのが面白いところやと。ディズニーさんとかもそうですけど。

──なるほど。

seek:僕は多くの人から、“突飛なことが好きな人”と思われていますけど、バンド内では真逆なんですよ。素の状態の僕からこういうアイデアはひとつも出てこない。実際、約20年間、Psycho le Cémuをやってきて自分で衣装を考えたこともないんです。だいたいDAISHIかAYA君が考えてくれてて。

AYA:seekは一番ギャップがあるかもしれないですね。

──そのギャップをどうやって埋めるんですか?

seek:さっき言った“青の人”で覚えられた時に埋まったと思いますね。“プロとしてやっていくんやったら、振り切って、人に覚えてもらえる立ち位置でいきます”って。seekっていう着ぐるみを楽しんでる“中の人”なんです。ただ、僕はそういうアイデアを出せるタイプじゃないので、考えてくださいっていう感じです。

AYA:seekはバンド全体を見ている母親のような存在ですね。DAISHIがバンドの父親。

──なるほど。では、seekさんからみてAYAさんはどんなタイプですか?

seek:AYA君は“こうします”って決めたら、会話より先に動いちゃうタイプで。みんなで会話をする時に、真っ先に手を挙げて喋ったり、表現できる人です。で、みんながAYA君の手の先を見るんです。すると、ちゃんとそこに未来絵図がある。

──感覚的な人?

AYA:僕自身、そうだと思います。

seek:だから、この二人が対になっていることが結果的に多いんやと思います。AYA君の直感とスピード感を他の人に伝えるのが僕の仕事。それがお互いの役割りです。
■もし武道館公演をやっていたら
■既に解散していたかもしれない

──seekさんとAYAさんのお二人は、“MIMIZUQ”という別バンドも始動していますが、Psycho le Cémuを客観的に見てどうですか?

seek:これまでいろいろなバンドマンに会ってきましたけど、YURAサマとLidaさんみたいな人に出会ったことがないですね。“この人らヤッバイな!”って思いますもん(笑)。発想からなにからかなりヤバイ人で、完全に天才肌ですよね。

AYA:僕はPsycho le Cémuを外から見てみると、まだ完成してないなとは思います。“天才的に面白いこの人たちの面白さを、もっと上手いこと出す方法はないんかな?”って最近ずっと考えていますね。結成20年目を前にして。
▲2004年 Maxi single「夢風車」

seek:アピールの仕方が下手なんかもしれない。特にDAISHIとLidaさんはそうですね。二人の面白さがあんまり世に出てない気がするなぁ。コアなところだけにウケてる感じがしてるもんなぁ。ツイッターひとつ見てもYURAサマは外に向けてのアピールがすごく上手い。DAISHIとLidaに関しては、ツイッター全然おもんないわ!

──あはははは! カライですね。

AYA:本当はもっとおもろいんですよ、この人ら(笑)。

Seek:その面白さがなんで出えへんの?って。内弁慶なんですよ。

──DAISHIさんも「自分は楽屋でウケるタイプ」だと今回のインタビューで言っていました。

seek:そうなんですよね。自分のテリトリーだと思ったらめっぽう強くなるんですけど、テリトリーの外に向けては弱いんですよ。昔はそうじゃなかった気がするんですけどね。

──昔っていうのは?

AYA&seek:活動休止前、つまりDAISHIの事件前ですね。

──もっと面白くなれるっていう今、バンドとしては何を目指していくんですか? 既に頭三つぐらい飛びぬけて面白い存在だと思うんですけど。

AYA:逆に頭三つ分ぐらい足りてない感じで、あと十個ぐらいいけるんじゃないかなと思うんです。

──AYAさんは具体的にはどんな未来絵図を描いているんですか?

AYA:言葉としては難しいですけど、もっと出来るなってことはいろいろあります。20年やってきましたが、やり尽くした感はないですし、まだ誰もやれてないことって、たぶん沢山ある気がするんです。

──セールス的なところではどうですか? もっと売れたいとか?

seek:売れたいですよ。この20年の中で一番売れたいと思っていますね。

──売れたいというのは具体的に言うとお金ですか? もっと多くの人に聴いて欲しい?

seek&AYA:全部ですね。

seek:デビューする前までは全部欲しかったんです。チャートの1位も、ライヴの動員も、メディア露出も、お金も。でも、デビューから3年間ぐらいして、ちょっと僕らの具合が悪くなった時に、“売れるって何なんやろ?”って分からなくなった時期があったんです。でも、今はまた“全部なのかもな”って思っています。あと、僕らの写真を見てもらえたら分かるように、目立ちたいんですよね。そこがやっぱり重要なポイントで、僕らのことを知らない人が雑誌をペラペラとめくって“こういうバンドいるんやね!”って止まってもらうことが大事なんです。そこで流されたら一番困る。その惹き付けの一発目として、こういう衣装を着ているわけなので。
▲2005年 Maxi Single「LOVE IS DEAD」

AYA:売れるってことでいえば、シンプルに武道館と東京ドームはやりたいっすけどね(笑)。それは小っちゃい頃からの夢やし、武道館に関してはお客さんにずっと言ってますしね。

seek:悔しいかな、先輩たちが武道館、ドームに立ったのを見てしまってますんで。やはりそこには立ちたいですよね。

AYA:しかも、武道館にはずっと届いてないんで、僕ら。

seek:まあ届きそうで届かない(笑)。何回もチャンスが回って来たけどその度に何かがあって、離れて。離れたからまたやりたい欲求が出ての繰り返し。だから、Psycho le Cémuは続いている気もします。僕ら、もし武道館をやっていたら既に解散していたかもしれないです。

AYA:しかも、武道館に全然届きそうもなかったら、それはそれで辞めているかもしれないです。微妙に届きかけたっていうのがあるんで、辞めてないのかもしれないです。

──いちばん武道館に届きかけたのは?

AYA:デビュー1〜2年ぐらいですね。

Seek:デビュー1年目にアルバム出した時、国際フォーラム ホールAを売り切ったんです。それで僕ら「次は武道館、売り切りたいっす!」って言ったら事務所の社長は「次はベイNKホールです!」と。「まじかーっ!」ってなりましたよ。

AYA:「着実に上っていきましょう」と言っていたところが、山がちょっと下りだし……あれあれ?って(笑)。

seek:あと、沸点で言えば復活の時じゃないですかね。

AYA:復活の時もやっぱり「着実にやろう」っていうのがあって……。

──お話を伺っているとseekさんは売れることへのこだわりがかなり強いですが、復活時の着実路線は納得したんですか?

seek:うーん……僕らが他のバンドさんと違うところの一つが多数決制なんです。多数決で負けてしまえば、媒体のインタビューを自分が代表して受ける時にも、その結論をバンドの決定事項として言えないとダメなわけです。つまり、僕自身が納得している状態。「僕的には武道館やりたかったんすけどね」っていうのは嫌なんですよ。

──武道館とは違いますが、2004年にはニューズウィーク日本版の『世界が尊敬する日本人100人』にランクインし、世界での活躍も実現を帯びたましたね。その時は?

seek:その記事に関しては、僕ら、尊敬されようと思ってやってなかったんで(笑)。まぁ、たまたまだと思います。

──あの記事、本人たちはどう受け取めたのですか?

AYA:嬉しかったんすけど、その直後にDAISHIが捕まるんですよね(笑)。尊敬されたらあかんやつやと(笑)。でも、記事自体は嬉しかったです。

seek:昭和天皇の下に僕らの写真が載ることはないですからね、人生で。
■一緒にバンドをやってる以上は
■DAISHIを信じるしかない

──それこそ武道館を飛び越えて、世界で活躍できる可能性もあったと思いますが?

seek:現に、そこそこ海外でライヴもやってましたんで。

AYA:でも僕ら、ライヴの中で芝居をやるんですよ。それを英語に吹き替えてやったんですけど……そこは壁でしたね。

seek:言葉を超越した『シルク・ドゥ・ソレイユ』ほどの技術があれば、その壁も超えられたんでしょうけどね。だから当時、向こうの人にも「英語勉強せなあかんと思うで」って言われましたから。気づいたら今、韓流アーティストは絶対英語喋れるし、日本に来たら「日本語勉強がんばってまーす!」って言うでしょ。日本語で片言でも会話が出来て、“かわいい”“応援したい”って思わせるわけで。僕らはその言葉の壁が超えられなかったんです。
▲2015年<TOKYO MYSTERY WORLD 〜名探偵Dと4人の怪盗たち〜>

──逆に言えば、言葉の壁を越えれば、そこのイスは空いていますよね?

AYA:空いていますね(笑)。

──seekさんどうですか?

seek:衣装を海外に持って行くのがね……。

AYA:海外で作って、現地に置いておけばいいんだよ。

seek:それならOKかも……この間、台湾公演で着ぐるみを持っていったんですけど、衣装の一部を無くして帰ってきたんで(笑)。

──身体一つで行けばいいのかと(笑)。

seek:YOSHIKIさんみたいに身体ひとつで世界を飛びまわればいいわけだ!

──さて、今回は3ヵ所のライヴ会場限定で「FANTASIA」という楽曲が発売になります。これは、歌詞とメロディが同じだけどアレンジが異なる3つのヴァージョンが、それぞれの会場で手に入るというPsycho le Cémuらしい企画ですね。原曲はAYAさんが書かれたんですよね?

AYA:ずっと前に書いた曲でして。今回、3パターンのアレンジを作るっていう企画をDAISHIが持ってきて、「じゃあ、どの曲にする?」となった時に、DAISHIがこの曲を選んだんです。

──曲を書いた時、3ヴァージョンで演奏することは……。

AYA:全然想定してなかったです。Lidaさんがアレンジした“勇気ヴァージョン”に近いテンポ感で、ミディアムな感じがオリジナルのイメージなんです。

──“恋”“怒り”“勇気”の3ヴァージョンのアレンジは、AYAさん的にはどうですか?

AYA:面白いですよね。“ああ、こういうことしてくれるんや”って勉強になりました。

──seekさんは?

seek:曲を選ぶ前に、先に企画自体が話として上がったんですけど、すごくPsycho le Cémuらしくて面白いなって思いました。今までやってないし、スキルという意味でもチャレンジできる。昔やったら、アレンジは誰か他の人に投げちゃっていたと思うんです。でも、みんなそれぞれがコンポーザーとしてレベルが上がっているから、やってみようかっていう話になったんですね。ちょうど東名阪3ヵ所やし、会場に行って生で観ないと聴けないものを作るのが、今回の企画として面白いんちゃうかなぁって。でも、“DAISHIあるある”なんですけど、会話が面白いから“おもろいやん!”って夢見るんですけど、いざ取り掛かったら“何でこれ僕がせなあかんねん”って何もしない。

──あはははは!

seek:結局、言い出した本人“してへんやん!”みたいな(笑)。

AYA:“Psycho le Cémuあるある”です(笑)。
▲2016年<Legend of sword 2016 -伝説は再び->

──ライヴでは各会場ごとに違う演奏をするんですか?

AYA:そうですね。12月8日の名古屋が“恋”。12月9日の大阪が“怒り”。12月14日の東京が“勇気”、それぞれ一回勝負です。プレイヤーとしては緊張感がハンパない(笑)。しかも、新しい衣装やからまた弾きにくいんですよね。

seek:“ハイフレットが全然見えへんねんけど”みたいな(笑)。そこは他のバンドさんとは違う“プロフェッショナル感”を僕らは持ってるかもしれないです。ちなみに、衣装によってはちょっとアレンジ変えるときがありますから、僕は。

──「FANTASIA」の歌詞では、“破滅へと向かうの? あの世界 僕が終わらせた”と薬物使用で逮捕された2004年の事件のことをDAISHIさん自身が書いて、歌っていますね。

AYA:そうですね。「FANTASIA」言うてるのに、ファンタジー感がない歌詞やなと思います(笑)。かなり懺悔っぽいです。

seek:DAISHIって自分のヒストリーに基づいてじゃないと詞が書けないんじゃないかな。だから、DAISHIなりの懺悔が詞に出てくるんだと思います。だた、事件のこととなると、僕らもちょっと言葉を選んでしまう。DAISHIの事件に対して、僕らが思っていることと世の中的な受け止め方は、きっと違うと思うんです。与えてしまった影響があるし、それは当たり前のことで。“もう大丈夫っすよ、DAISHIは反省したと思う”って僕らが軽く言うのは違う。

AYA:再始動してから、DAISHIがシングルの歌詞を書くのは初めてなんですよ。だから、まぁ懺悔になるんだと思います。

──ちなみに、事件のことをそれぞれはどんな風に受け止めているのですか?

AYA:本人が反省してることは間違いないんじゃないですかね。

seek:これ、話し出すと長くなりますよ。僕らは昔から変わらないです。“反省してるんじゃないんですかね”って他人事っぽい言い方に聞こえるかもしれないですけど、僕らは信じるしかできないので。元々DAISHIが「この5人でバンドを始めるぞ」ってメンバーを誘って、「この5人で東京に行って売れるんだ!」っていうところから始まってるわけやから。その段階で、人生を彼に委ねたっていう気持ちが当時はあったと思うんです、僕ら年下なので。彼が夢を語って、その夢に僕らが乗っかったっていうスタート。だから、どんなことがあっても一緒にバンドをやってる以上は、彼を信じるしかないのかなって思います。
■それぞれ復活まで10年間修行を積んで
■ドラクエみたいに再びパーティーが集まった

──当時、解散とかそういう話にはならなかったんですか?

seek:DAISHIが捕まった時ですか? もうみんなの思考回路が止まっていた気がします。その時に“活動休止”って言葉を付けたのはYURAサマやったと思うんですけど、その言葉を置いただけの話で。あの時「解散」だと言われたら、たぶんその道だったのかもしれない。“今は活動休止”だって、先の展開を考える余裕は誰にもなかった。それぐらいの感覚で、ずっと短距離走をやってきた感じだったんです。今は、“これから先、どうやったら音楽を続けていけるんだろう?”ということを考えた上で、時には持久走と長距離走を使い分けている時もあると思う。

──ええ。

seek:“DAISHIが捕まったことでPsycho le Cémuが終わった”と思われてるかもしれないですけど、実はそうじゃなくて。それはたまたまのきっかけです。あんな走り方してたら、いずれはどこかで僕ら大怪我してたはずで。それはすごく思うんすよね。それぐらい勢いあったし、動員がどんどん増えて、目指していたメディアにも出られるようになって、目まぐるしく環境も変わって、というのが続いてる中やったから。武道館も、“手が届きそうや。あれ?届かんかったぞ……着地どうすんねん?”みたいなところから急激にガタガタってコケた印象がありますね。
▲2017年<Doppelganger ~Next Generations~>

──それはAYAさんも同じ感覚ですか?

AYA:そうなんですけど、ちょっと違う感じ方もしてました。“DAISHIというアイデアマンがいるけど、自分も何かをやりたい”っていう欲はずっとあったんです。だから、DAISHIが捕まったことをきっかけに僕は“自分のやりたいことをやりますよ”という考えになったのかな。で、それぞれが復活まで10年修行を積んで、再び『ドラクエ』みたいにパーティーが集まった、みたいな感覚なんです。なので……別に感謝はしてないですけど、まぁ良かった10年やと僕は思っています。ちゃんと成長してこられたと思うので。

──タラレバですけど、DAISHIさんの事件がなかったら、逆にバンドは空中分解していたと思いすか?

AYA:もう1年やって解散して、みんな音楽を辞めていたかもしれないですね。

seek:AYA君の言うとおり、事件があって、結果放り出されて、各自が修行を積めたんです。そして、その成果をDAISHIもすごく信頼してくれている、それはすごく嬉しいことで。でも、Psycho le Cémuのパワーバランスをもう一回、DAISHIが無茶苦茶にすべき時期に来ています。音楽的な意味、表現的な意味でね。「若いチームもしっかりしてきたから、僕、結構安心してできるわって」ってDAISHIが言ってることに対して、苛立ちが大きいんですよ。

──“丸くなってんじゃねぇよ”みたいな?

seek:“DAISHI、丸なるの早ない? それせめて武道館やってから言ってくれへん?”みたいな感じです。僕ら元々めちゃめちゃ仲の良いバンドなんですよ。でも大人になって、“昔やったら、ここまで踏み込んだら喧嘩になったかな”というところまでは言わないようにしているというか。そこは仲が良いからこそだし、いい関係だなとも思うんですよ。でも、DAISHIは元々すごく尖ってるというか、牙の生えているタイプで。にもかかわらず、最近は牙が休んでいる状態なんですよ。

──事件を起こした心苦しさもあると思いますし。それでも、“破滅へと向かうの? あの世界 僕が終わらせた”の一行が書けたので、なにか吹っ切れたかもしれませんね。

AYA:僕はこの歌詞を聴いてお客さんがどう思うんやろ?って。そこが楽しみです。

──それにしても丸くなることはこのバンドではダメなんですね?

AYA:うーん……似合わないと思いますね。

seek:ホンマに向いているのは短距離走やと思いますよ。もう僕らコケたくないし、死にたくないから、長距離走もしていますけど(笑)。
▲2018年<TOUR 2018 Doppelgänger ~ゲルニカ団 漆黒の48時間~>

──来年は20周年ですが、そこからまた短距離走ペースに戻るとか?

seek:そのターニングポイントがいつなのか分からないですけど、本来はそうあるべきかなと僕個人は思っています。でも、僕が長距離走のタイプやから、今、パワーバランス的にそれを握っているところはあるかもしれない。

──なるほど。

seek:僕らやっぱりイジられてなんぼやと思うんです。復活してから3年なんですけど、この期間が結構しんどくて。若い時は周りが先輩ばっかりなんで、イジられやすかったんです。「おいおい、お前、魚みたいな格好して、カッコええと思っとんかい!」「いやー、楽しいんですよ。あははは!」って感じのはずやったんですけど、後輩が増えてくると、段々ベテラン感が出てきちゃうんです(笑)。

──あはははは。

seek:「先輩、スゲーっすよ」って後輩たちは僕らを立ててくれるんですけど、この見た目で立てられても困るし(笑)。自虐ネタで、「僕らこんな格好なんで、弾きづらい!」と言ったところで、「そうなんですか。勉強になります!」って返されるみたいな。「いや、そこ笑ってもらわないと」みたいな時期やったんですよ、この3年間は。でも、さらに年齢を重ねることによって、逆に面白くなっていくのかな。40歳を超えてこの格好でこんな楽しいライヴやってたら、逆に世代を超えて楽しんでもらえるかなと思うので。でも、基本は貫禄が出てくるタイプのバンドになったらあかんと思っています。

──確かに(笑)。

seek:初めて僕らを見た人に「知らんけど、えっ!? こんな人らおるんや!」ってならないと。「Psycho le Cému、知ってます!」と言われちゃったらダメな気がしてるというか、辛いタイプのバンドではあるんです。

AYA:そうですね。

seek:Psycho le Cémuっていう名前自体も、覚え辛くするために付けたし。

AYA:そうなんですよ。わざと長くしてるんですよ。

seek:“名前を見たところで読み方が分からへんやん”みたいな。そもそも造語なので意味ないし(笑)。“画の情報が先に入ってくるように、バンド名は覚えられないように長くしよう”という意図やったんです。来年で20年。キャリアが長くなってくると僕らも麻痺してきて、“知ってもらってて当たり前でしょ”みたいになっちゃうんです。でも、そこは今あらためて、そういう気持ちにならないようにしとかなダメかなと思ってます。

──その状態で武道館とかドームができたら、本当にすごいですよね。

seek:そうですね。今まで僕らがやってきたこと、結果やってしまったこと、全てが武道館だったりの大きなドラマに繋がっている気はしているんです。今度こそ、きっちり山を登らないとですね。

──「人がやってないものをやる」って言い切れるバンドは面白し、興味が尽きないです。

seek:そう言ってもらえると嬉しいです。パッと見の印象はイロモノだったりチャラいだったりするかもしれないけど、やってるスタイルがここまで変わらない部分も含めて、「話を聞くと、“めちゃくちゃロックやな”」って言われることが多いんです。この間もある先輩から、「初めて見た時はすげーイロモノなバンドやなって思ったけど、話を聞いたり一緒にセッションすると“ロックな気持ちを持ってるんやな”って思える」って言ってもらえたんです。そこが僕ら自身ずっと変わらないし、20年過ぎても変わることなくいきたいですね。

取材・文◎ジョー横溝
■東名阪ツアー<FANTASIA>
▼<FANTASIA~恋の幻想曲を探す物語~>
2018年12月8日(土) 名古屋ボトムライン
Open 17:30 / Start 18:00
▼<FANTASIA~怒りの幻想曲を探す物語~>
2018年12月9日(日) 大阪パルティッタ
Open 17:30 / Start 18:00
▼<FANTASIA~勇気の幻想曲を探す物語~>
2018年12月14日(金) Zepp DiverCity Tokyo
Open 17:00 / Start 18:00
▼チケット
楽天チケット https://ticket.rakuten.co.jp/music/jpop/visual/RTCYPLH
ローソンチケット http://ur0.work/Nbbp

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