【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#54 ミ
ュージャン・遠藤ミチロウの言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

変態っていうのは知的なんだっていう認
識があったんです。だから僕らにとって
は全然違和感ないんですよ

ザ・スターリン 吐き気がするほどロマンティックなパンクレジェンド30年史』(音楽ナタリー 2012.3.16/取材・文:吉田豪)より

遠藤ミチロウは、このインタビューで「裸になることとか、臓物投げることがそんなにすごいことなんだって思ってなかったですから」とも語っている。そんな言葉からもわかる通り、遠藤が率いたザ・スターリン(1980年~1985年)は、過激なパフォーマンスとともに伝説となった日本におけるパンクの草分け的存在である。しかし、ステージをおりた素顔の遠藤は、穏やかで紳士的な人物という印象。遠藤は、いわゆる団塊の世代である。多感な時期は、学生運動、ハプニング集団、アングラ、ネオダダなど、現在では異様とも感じるとれるような表現で溢れていた。豚の頭や臓物を客席に投げたり、ステージ上で排泄するといった行為も、遠藤にとっては芸術表現として抵抗のないものだったのだろう。

遠藤ミチロウ(えんどうみちろう)
1950年11月15日生まれ、福島県二本松市出身。音楽活動の原点はフォークだが、1972年に住んでいたアパートの前にあった喫茶店でセックス・ピストルズやパティ・スミスなどを聴きパンクに目覚める。1980年、ザ・スターリンを結成。遠藤ミチロウ(ボーカル)、金子あつし(ギター)、杉山晋太郎 (ベース)、乾純(ドラム)が、ザ・スターリンの初代メンバーで、解散までに総勢13人のメンバーが入れ替わっている。石井聰亙監督の映画『爆裂都市BURST CITY』でマッド・スターリンという役名で出演し話題となった。1985年、ザ・スターリンを解散。Michiro,Get the Help!というユニットによりグロテスク・ニュー・ポップをテーマに三部作を発表。1986年、ゲイノーブラザーズを結成。1987年、パラノイア・スターとビデオ・スターリンを結成。1989年、新生スターリンを結成。1993年、スターリンの活動を休止し、ソロ活動に入る。1994年、COMMENT ALLEZ-VOUS?を結成。2001年、TOUCH-MEを結成。2018年7月は、TOUCH-MEでの北海道ツアー、友川カズキとのライブ、ロックフェスの出演など、精力的な活動が予定されている。

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