- the Homeground 第30回 -

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KANA-BOON × 三国ヶ丘FUZZ 田原ベル
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ライヴ活動を行なうアーティストの拠点となるライヴハウス。思い入れ深く、メンタル的にもつながる場所だけに、当時の想いや今だからこそ話せるエピソードなどを語ってもらった。もしかしたら、ここで初めて出る話もあるかも!?

KANA-BOON

KANA-BOON プロフィール

カナブーン:大阪・堺出身のロックバンド。2012年に開催された『キューン20イヤーズオーディション』にて4,000組の応募者の中から見事優勝し、13年9月に1stシングル「盛者必衰の理、お断り」でメジャーデビュー。14年8月には地元大阪で野外凱旋ライヴを行ない、デビューから1年足らずでありながら16,000人超を動員。15年には大阪城ホールと日本武道館での単独公演を、16年には初の海外公演を含む全21公演の全国ツアーを敢行し大成功を収めた。そして、18年にメジャーデビュー5周年を迎え、5シーズンにわたる5リリース・5イベントを企画し、現在遂行中!KANA-BOON オフィシャルHP

バンドとライヴハウスの理想的な関係

メジャーデビュー5周年を記念した企画のひとつとして、KANA-BOONがホームとしていた大阪・三国ヶ丘FUZZで5日間連続ライヴを3月に開催しましたね。

谷口
巣立ってからもFUZZでライヴをするのがずっと大切な夢というか、目標ではあったので。ちょうど良いタイミングが5周年だったかなと思いましたね。

5日間にかけてアコースティック、ワンマン、昔やっていた企画ライヴ『ゆとり』をやったわけですけど、終えてみてどうでした?

谷口
う~ん…とにかく楽しかったっていうのが一番ですかね(笑)。
古賀
それはあるよね。
谷口
“ライヴっていうのがこんなに楽しかったんや”っていうのを改めて感じたというか。当時二十歳そこそこの自分たちもきっとそんな感覚でライヴやってたと思うんですけど。デビューをして活動をしていく中で、どこかで責任感というか、使命みたいなものが生まれていて。本当に何も考えず、無邪気でピュアに楽しむライヴってきっとほとんどの人はやれてないと思うんですよ。だけど、原点に立ち返ってみて、その感覚を取り戻したというか。取り戻そうとして足掻いてきた時期が2年くらい前にありましたけど、そうじゃなくてもFUZZに帰るだけでその“楽しい”って感覚が自然に帰ってきたような気がしました。特にFUZZもそこまで変わってないし、変化っていうのを大きく感じることはなかったけど…何でしょうね? “嬉しいな”っていう瞬間がめちゃくちゃたくさんあった5日間でしたね。

KANA-BOONとしてFUZZに一番最初に出たのはいつ頃だったのですか?

谷口
えーっと、2009年?
古賀
19歳くらいの時かな。
谷口
KANA-BOONとしては2009年12月だった気がする。1回、僕がサポートしてるバンドがあって、それでまずはFUZZに出ていたんです。それでFUZZと知り合って、“実は自分メインでKANA-BOONってバンドやってるんです”って話をしていて。たまたま昔の高校時代の知り合いの企画があって、そこに呼んでもらったか、ブッキングではまって出たのが最初ですね。

飯田さんは加入する前にKANA-BOONを観にFUZZに行ったこともありました?

飯田
前のベースが抜ける時のライヴも観に行ってましたね。もともとFUZZじゃないところでも高校生の時から観に行ったりして付き合いはありました。加入するのも決まっていたからどんな感情で観ていいか分かんなかったんですけど、ワンマンだったから曲もたくさんやってて、全曲すごいカッコ良くて。今は全然演らなくなった曲も多いし知らない曲とかも全然あったんですけど、めっちゃわくわくして観た覚えがありますね。良いライヴって時間があっと言う間で気にしなかったりするじゃないですか。そんな感じのライヴだったなっていうのはすごい覚えてますね。

FUZZから呼ばれたり以外にも、自分たちで企画やワンマンなど結構いろいろやっていたのですか?

谷口
そうですね。FUZZとはがっつり手を組んで(笑)。3年間くらいだったんですけど、多い時で月4~5本FUZZに出てました。
飯田
毎週やな(笑)。
谷口
それは本当にめちゃくちゃ出てた時ですけど、でも基本的には最低でも月1回は出てたかな。この間FUZZに帰った時に訊いたら、未だにKANA-BOONが一番多いって言ってたっけ。
古賀
うんうん。
谷口
出演頻度ではKANA-BOONが一番多かったみたいで。あとは遊びにもよく行ってたので、ほとんどFUZZにいましたね。
古賀
ほんとに家みたいな感じでFUZZにおった。
飯田
仲良いバンドが出てたら、“じゃあ、応援しに行こう”って言うて遊びに…みたいな感じ。
谷口
そして、打ち上げで勝手に朝まで残る(笑)。
飯田
自分たちの企画のように(笑)。
谷口
もう出演してるやつは誰もいないのに(笑)。
飯田
俺らと店長だけになって、“あれ? これ、何してんねやろ?”ってなりながら、朝まで熱い話してたな。

店長さんやスタッフさんと仲が良かったのですね。

谷口
そうですね。かなり距離感は近かった。っていうのも、全力を捧げる相手がお互いにいなかったというか。その当時の僕らの地元のライヴハウス周りってすごい過疎化が進んいて、もちろん出てるバンドはいるけど、そこからスターダムに仕上がったバンドは、時期が少し前だったりとか…部活とか高校生のバンドが多かったんかな? そんな中で僕らはいろんなライヴハウスに出たりはしてましたけど、“僕らデビューしたいんです”っていう話を真剣にちゃんと聞いてくれるっていうか、“じゃあ、一緒にやっていこう”って言ってくれるライヴハウスがあまりなかったんで。FUZZとはすごい真剣に向き合って、俺らは俺らで自分たちのためだし、半分か3分の1なのか、どれくらいの割り合いなのかは分からないけど、どっかには絶対“FUZZのために頑張る”っていう気持ちもあって。そこの噛み合いがすごく上手くいってた関係…大袈裟な言い方かもしれないですけど、バンドとライヴハウスの理想的な関係っていうのを作れていたと思います。

FUZZの外壁にはKANA-BOONの絵が描いてあったり、ライヴハウス側も愛がありますよね。

谷口
“そこまでする? そんな贔屓すんな!”とは思ったけど(笑)。
全員
(笑)。
谷口
でも、ひとつの象徴だとは思うんでね。三国ヶ丘FUZZの。

今ではそこにヤバイTシャツ屋さんも並んで…

谷口
だから、もうそんなにスペースがなくなってるし、もっとここからバンド出していくんちゃうの?って(笑)。
飯田
どうつなげていくんだろ(笑)。

(笑)。FUZZならではのよく覚えているエピソードってありますか?

谷口
そう言えば、猫を途中から飼い出してたな。“あぁ、とうとうおかしくなったな”って思った。
全員
(笑)。
谷口
最初は店長が個人的に猫を飼い始めて、ライヴハウスに一緒に連れてくるみたいな感じで、バンドマンとかお客さんとかがかわいいかわいいって言ってて。で、ライヴハウスの事務所、普段清算とか大事な話とかするところがいつの間にか猫の部屋になってしまっていて…キャットタワーっていうの? あれが導入されたりして、“俺らどこで精算するの?”ってなった(笑)。そんな店長の猫熱の歯止めが利かなくなってきてたっていうのがありまして。猫がいるライヴハウスってなかなかないと思います。それで『めざましテレビ』の今日のにゃんこに密着されてました。ブレてるやん!って(笑)。
飯田
どっちでいくつもりなんだろ?(笑)
谷口
そこはFUZZならではの感じ。
古賀
FUZZの猫は象徴的だね。

今のKANA-BOONに影響を受けていることはありますか?

谷口
もう言ってしまえば全部かな。
古賀
そうだな。
谷口
“この人のためにやるんだ”っていう、この感覚はFUZZのおかげかな。それはFUZZに教えてもらったとかじゃないですけど、一緒に過ごす中で“この人たちは絶対に裏切ってはいけない”というか、“いつまでも誇らしくいさせなければいけない”っていう。その頑張る理由っていうのが自分たちのこと以外で生まれたのはFUZZが初めてっていう気がしますね。すごい近い、何もかも話し合えるような関係になれたからこそなんですけど、そういうところかな。それが今にもつながってて、今でも変わらずFUZZのためっていうのもありつつ、自分たちの音楽を聴く人とか、KANA-BOONを観る人がどんな期待を持ってるのかなっていうのが、デビューした当時はFUZZに重ねて考えてみたりしたことがあったので。でも、KANA-BOONらしいところや絶対に変えちゃいけない大事なところっていうのはFUZZから生まれたんじゃないかって感覚がありますね。それだけ大切なライヴハウス。

それはみなさんも変わらないですか?

古賀
僕らがここまでこれたのは間違いなくFUZZのおかげなんで、僕は恩みたいなものを感じています。僕らにすごく親身になってくれて、バンドの行く先とか“こういうふうにしたほうがいいよ”っていうアドバイスを親切に教えてくれたりとか。そういう関係性もあって、そこから何かあるごとに“僕ら企画したいんですけど、どうしたらいいですか?”とか全然分かっていない時からずっとお世話になってたりしてたんで、そういう積み重ねはずっと思い出として残ってます。
小泉
バンドを活動していくにあたってのアドバイスは全部FUZZから教えてもらって、こうやってデビューできてるし。5日間ライヴやった時も、5日間のライヴを観た店長が“KANA-BOONが帰ってくる場所をずっと維持したいって強く思った”って言ってくれたので、良い関係のライヴハウスだなって。
飯田
僕はKANA-BOONに入る前にバンドは高校の時から続けてて、二十歳になって解散しちゃったんですけど。その当時は、どこで誰のためにライヴをしたいとかが全然分かってなかったりしてて、ライヴハウスも転々と出てたりしたんです。自分たちがどうしたいかとかを相談する相手も分かんなかったりとか、安心する場所がずっとなかった状態で。KANA-BOONに入ってFUZZに出るようになってからは、すごい親切っていうか、ちゃんと人と人が喋ってる感じっていうか…自分たちが何をしたくてどうしたらいいかとか、その道筋とかを相談できる人だったり、すごい安心できる場所みたいなのは、バンドにとって大切なんだなってKANA-BOON入ってから感じました。そういうのに気付けたっていうのもすごい幸せだし、バンドにとって一番大事なことなんじゃないかなと思いましたし。

今思い返すと若かったなぁと思う出来事はありますか?

古賀
MCをギャグ路線でやってた時があって、鮪が鮭フレークとか食ってた。
飯田
俺が加入する前に観に行ったやつや(笑)。
谷口
迷ってた時代だな。
古賀
そうそうそう。ライヴのMCでなんかせなあかんみたいになってた時期あったよな。
谷口
人がやらんことをしなきゃあかん!っていう。
飯田
そうそう。MC中に全部食べ切るとか言ってて。

それは他のメンバーがMCをやってる間にずっと食べてるんですか?

古賀
いや、もう普通にMCをしながら、“おいしい、おいしい”って(笑)。
飯田
それで“なんでこんな口乾くのチョイスしてん!”とか自分で言ってて、こいつ何やってんのやろ?って思ってた。
古賀
あれ、結構な過ちやと思うんだけど(笑)。
谷口
そうやな。
飯田
若いな~(笑)。
小泉
それだけじゃなくてもいろいろやってた。

それがデビュー後の日本武道館のステージでは本物のマグロになるっていう。

飯田
そう! だから、つながってんねん。
古賀
ほんまやな! つながってるやん!
谷口
…ふはははは(笑)。
飯田
良かった良かった。いいこと。
古賀
あれがめっちゃいい感じになって、武道館のあれになったんか。
飯田
より磨かれたってことや。

レベルが上がって、鮭フレークじゃなくてマグロを丸々一本解体して食べられるようになったという。

谷口
ちゃんと原点はあったってことやな。
古賀
鮭やったんや(笑)。

では、最後にFUZZに向けてのメッセージがありましたら。

谷口
自分たちが出てた頃のFUZZとはやっぱり今は違うものになってると思うんですよね。久々に5日間出ただけなので、今のFUZZの実情っていうのは全然分からないけど。でも、店長は当時から変わってないし、KANA-BOONが巣立って5年経って。で、ようやく店長も自分のやりたいことっていうのをここ数年で見つけたタイミングではある。バンドをプッシュしていくのには、たぶんいろんな理由を持ってやってると思うんですよ。店長はちょっと頼りないところがあるんで、安心していろんなバンドをFUZZに任せられるかって言うとちょっと心配はありますけど…(笑)。でも、変わらずバンドには関わっていてほしいなって思う。ライヴハウスに行くお客さんとしても居心地の悪いライヴハウスではないんで、初めてのライヴハウスのきっかけにしてもらってもいいと思うし。とにかくそれに向いてると思うし。人見知りの俺らがこれだけ懐くくらいだから(笑)。そういうライヴハウスなので、興味を持ってもらえたら嬉しいです。
古賀
人がすごい温かいんで、僕らのようなバンドの面倒も見てくれるというか…すごい細かいところまで見てくれているんで。5日間やった時も、今育ててるFUZZのバンドの話とかもしてくれたんですけど、ギターの子がどうだとか、すごい細かいところまで見ていて。そういうとこをまでちゃんと見てくれてるんで、バンド側もFUZZを大切にしてほしいし、FUZZもこのスタンスをずっと貫いてほしいなって思いますね。
飯田
うん。みんな気持ちはひとつです!
全員
(笑)。
谷口
最後にさぼんなや(笑)。

OKMusic編集部

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